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トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

感謝は人のためならず

人をしあわせにするのは、感謝、というエネルギー。

わかっちゃいるけど、調子のいい時はできても調子悪い時はできない、というのが自然の成り行きかと思います。

 

生まれてこの方調子が良くない、という人もいるかもしれません。或いはおとなになって社会人になったと同時くらいから、調子が良くないという方にもよく出会います。

 

私は高校生で完全に調子が悪くなって、大学で演劇に出会って復活したかと思ったけれど、やっぱり自立したとたんに調子悪くなってしまいました。

 

調子悪いというのはいい結果が出ないことだと皆さん思っているかもしれませんが、実は発しているエネルギー、つまり波動が負けているってことです。負けているというのは、周波数が攻撃&防御状態になっている、ということです。これは魂の本質の状態ではありません。怯えた野生動物の状態なのです。

 

敏感な人というのは優しいけれど傷つきやすいので、傷ついてしまうととたん、被害者的感覚に陥ってしまいます。被害者になると、加害者を頭の中で裁いたり、或いはいつも嫌なことを想定して先回りして備えたり。更に負を引き寄せて更に被害者になり、その理不尽さに怒りでいっぱいになってしまいます。

 

まるで負のエネルギーの発信機です。

 

敏感で感受性の強い人も、思考の力が強い論理的な人も、また正義感の強い人も、本来の良き資質がゆえにこの負の連鎖にはまりやすいのです。ものごとの表面を見ている限りは。

 

今ではエネルギー的なものの見方はわりと普及していますが、私がドはまりしていた時分はわずかな情報しかありませんでした。でもそういう見方に導かれて採用したことで今ではいろいろなことが見えるようになりました。

 

心に傷があるままで感謝することは難しいです。でも心を理解して向き合って癒し、自分とのつきあい方、自分の取り扱い方を見出せば、変わります。

 

かの斎藤ひとりさんがこうおっしゃっていますがまさにそうです。

「この宇宙のすべては周波数を持っているが、人間だけがその周波数を変えられる」

 

イエス・キリスト

「人間は神の似姿に創られた」

と言いました。同じ意味ですよね。

 

自然のすべてはそのままで調和するよう神から創られていますが、人には神の機能が備わっています。自分を成り立ちから変えられます。自分を変えることで、世界を創造できるという権限です。

 

自然の中に神がいることを知っている人は多いのですが、その中で最たるものはあなた自身だということを、すべての人が思い至ることが神の望みだと私は思います。自然の中に見える神は、あなたの内なる神が外側に投影されているにすぎません。

 

それまでの間は私たちは自然という運命に翻弄されながら生きます。でも本分を思い出したなら、私たちは創造の主となります。

 

冒頭に戻ります。

調子の良し悪しに流されずに、いつも心に感謝を持つことが可能でしょうか?

私たちにはできます。それが波動を上げる旅の答えです。しあわせになりたいけれどできていないのであれば、癒しによってそれが可能になります。

ワクワクは天才の始まり

今日も昨日の記事を受けて書きます。

スピリチュアルの有名な文句に「ワクワクすることをやる」というのがありますね。

バシャールやエクトンという進化した意識体をチャネリングする人が地に降ろしたというメッセージです。今はいろんな人がやっています。

 

ワクワクすることをやってみる、というのは自分の中の天才と出会うための簡単な方法です。

 

このワクワクしている意識はなにかというと、インナーチャイルドです。インナーチャイルドはイコール潜在意識ですから、経験上、得意なこと、好きなこと、慣れていることを知っています。

 

ワクワク反応をするのは、自分にとって有利で現実的なものなのです。

 

ワクワク反応をしないとしても、自然に続けられることは潜在意識がYESと言っているということです。ですからよく、職業のことで「長年これをやっているけれど、本当にこれでいいのだろうか」と悩まれているかたをみかけますが、長年続いているだけで充分以上の才能なのです。

 

なにも職業にワクワクを見つけなくてはならないわけではありません。でもこの世では職業は真剣にやるもの、それ以外は趣味、みたいなカテゴライズがありますよね。

 

ライフワークという言い方もあります。でも、職業でも趣味や娯楽でもない、自分が輝くことや人を輝かせること、自分と人を幸せにすることで真剣に取り組んでいるものがあるのであれば、それをライトワークと呼んでいただけたらと思います。子育てだってパートだって、家事だって、ライトワークになりえます。

 

ライトワークは次元上昇のために奉仕することなどとも言われますが、次元上昇とは魂として生きることですから、人が輝き幸せになることに自ら貢献することこそがライトワークです。

 

人が自分の命を喜んで生きることは神を喜ばせます。

 

最初は自分が好きだから、楽しいから、と始めるのですが、そうすると自分の波動が上がり、周囲を幸せに、自由にすることがわかってきます。

 

そして、そのことの価値を体験できます。

 

そうみていくと、結局なにをするかが問題なのではなくて、自分と周囲を幸せにしたり自由にすることのすばらしさが理解できます。

 

だからなにをするかにあまりこだわらないほうがいいのだと私は思います。それは最初の入り口に過ぎません。

 

一芸に秀でるのが天才なのではないのです。一芸などというものは、潜在意識の慣れに過ぎません。良いカルマなだけです。魂として肉体を乗りこなすことが真の天才です。それが、神が創ったままの、人間の本当の姿だからです。

 

でもまずはやってごらん、ワクワクを、と宇宙の先輩は言います。神の創ったままの姿になろう、などと思うのではなくて、肉体に乗って乗って体験して、気がついたらどうにか乗りこなせて、そんな自分を心底愛おしく思えるから。へたな練習につきあってくれた周囲の人に感謝がわいてくるから。やってごらん。

 

自分への愛って、こんなものかもしれません。そして気がついたらあなたは愛でいっぱいなのです。

自分の中の天才と生きる

昨日のブログ すべての人にある天才を開くからの引用です。

天才と凡人の違いを洞察すると、肉体の死以上に魂の導きの魅力を感じるかどうか、のようにも思います。もとは、すべての人が等しく神の子として創られていますが、魂を忘れて肉体の本能にばかり従っていると、群れをなす安全にばかり気を取られ、魂として生きることを忘れてしまうのです。

 さて、肉体の死、以上に魂の導きに魅力を感じるってどういうことでしょう。

 

「三度の飯よりも〇〇が好き」とか「寝食を忘れる」って言葉がありますよね。これってある意味、そういうことだと思いませんか。からだの根源的欲求である食欲や睡眠欲を差し置いて選ぶということですから。

 

こういう感覚ってみなさん体験するものですか?私は、演劇をやっている時がそうでした。演劇をやる場ってそもそもそういう人の集まりですから、それが当たり前、普通って思っていました。特に、学生(玉川大学の演劇専攻)時代や、学内で結成して活動し始めたころの劇団はまさにそれでした。

 

劇団時代は、プロ意識の高い人の集まりだったので、とにかく鍛錬は厳しくて、その中でも私こそが「稽古の鬼」などと呼ばれていました。

 

おとなになって活動の枠を広げるにつれて、むしろ自分の集中力や鬼的な面などが周囲と調和できずに場を失っていったのですが、なにが原因なのかわかっていませんでしたから苦しみました。

 

なんというか、自分は1つの舞台でもう、これで死んでも悔いはない、というくらいまですべてを出し切ってしまうのです。実際に1つの公演が終わると3日くらいはほとんど寝たきりになり、そこから通常の生活に戻すのに10日くらいかかりました。

 

あとから前世療法をやるようになりわかったのですが、1つの役を演じると、ひとりの人生を生き切って終わったくらいの内的体験があり、エネルギーを使い切ってしまうのです。

 

でも1つの舞台を創ることはそれくらいの価値あるものだと心底思っていましたし、その舞台にかかわる人すべてとそういう意識を共有したいと望んでもいました。

 

しかし自分の劇団よりもメジャーな集団に参加してみてもまったく共感してもらえませんでした。ある先輩の役者さんから「あたしは仲村(当時の私の芸名)と違って生きるために芝居やってるから。仲村みたいに死ぬために芝居やってるんじゃなくて。」と、全体ミーティングの時に言われたことがあり、その時はものすごいショックで大泣きしてしまいました。

 

私はもちろん、死ぬために芝居をやっていたのではなく、自分が本当に生きる道はこれだと思ってやっていました。でも私にとっての生きることは確かにある意味命を捧げることでもありました。当然ながら通常の意味で生きるために働くというのは「食べるため」であり食べるためとはすなわち肉体が生きるため、という意味なのです。

 

でも当時は自分ですらその違いや、自分がなにを選んでいるのかもわかっていませんでした。ただ少なくとも大学や自分の劇団では「これがそれだよ!」と言える作品を作ってきた体験がありましたから、それらもまとめて否定されたようなショックだったのです。23、4歳の頃のことです。

 

そのあたりから結局私は30歳をすぎるまで低迷し続けました。30歳を過ぎてもまだ往生際悪く自分の生きる場所が見つからず、また生きていたいとすら思えませんでした。35歳になってもそうでした。もちろんその期間にも努力と探究はし続けていましたし、すばらしい経験もたくさんさせていただいたのですが、ただ舞台以上に自分が魂と一致して心の底からこれが私なんだと感じられる生き方が見つかりませんでした。

 

ただ望むのは、いつの日か、人生のすべてに「ああ、そうか、そういうことだったのか」と納得できる日を迎えたい、そんな思いでなんとか生き延びることが目的の毎日が続きました。

 

振り返るとこの頃の体験が自分にとって、まるで理解が及ばないほど意義深い体験だったことがわかります。演劇は私を食べさせてはくれなかったけれど、魂として生きることを教えてくれました。

 

そして今となってはその魂が、私の肉体をも養ってくれる生き方をみつけたのです。それが私が探していたものです。


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