AZU WORLD

トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

わたしたちは世界です

私の大学は当時ひと学年30人足らずで校舎の中心は立派な劇場型のスタジオでした。そこで授業を受け、和太鼓を叩き、年に6回ほどの実習公演があり、ほとんど芝居付けの青春を送ります。

私にとっては天国の数年間でした。

ある朝登校し太鼓に触りたくてスタジオに行くと、音楽がかかり、先輩たちが集まってノリノリで歌っていました。歌詞カードを持っての熱唱です。その光景はよくあることなのですが、その日のその曲は『we are the world』でした。1985年。

 

最近夫がロックの古典のお勉強と称して古いCDをレンタルし聴いているので、連鎖的に思い出しYouTubeを見てみました。

 

YouTubeを見て思い出したのは、当時はこういう媒体がなかったゆえに、学校に集まって誰かが入手したレコードや当時まだ新しかったCDというものをみんなで聴いて覚えるという形でわけあったのだということです。からだで覚えて、それを歌うことで楽しむのです。

当時大学には、自分こそが時代を創り世界を変えるのだという空気が静かに満ちていました。その中で聴いたwe are the worldは、あの時の時代そのものであり、私の気持ちと同じでした。

youtu.be

 

34年が過ぎて、その時の輝きは心の中で褪せることはありません。

しかし、時代は当時の思いを反映するわけではありませんでした。

あのエネルギーは、思いは、未だ世界に反映されてはいません。

 

わたしたちは世界です。

なにかがそれを覆い隠しています。

いつか、人として当たり前の良心と意思が地球に溢れ、そして根付きますように。

 

youtu.be

メイキングはとても興味深い内容です。

「エゴはスタジオの外にに捨てていけ」

本気でそうしていたのだろうと想像できます。

8月の定期瞑想のお知らせとお盆ありんくりん

今月の定期瞑想は25日㈰10~12時です。告知前からご予約ありがとうございます。

あとお二席ご用意がございます。お申込み、お問い合わせをお待ちしております。

トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]沖縄

8月の定期瞑想会のお知らせ

 

鍼灸師・ヒーラーの風間真吾と、心のセラピストAZUの主催による瞑想会です。深い瞑想は私たちを本来の無限の魂の意識へと呼び戻してくれます。瞑想の磁場と波動をご用意してお待ちしております。私たちの施術、セッションの根幹をなす癒しと瞑想の時間をご一緒にお過ごしください。

 

場所  ルーア心のセラピーセッションルーム(南城市知念具志堅34-4)

日時  2019年8月25日㈰ 午前10時から12時

ご参加費  1500円

内容  リラクセーション、ヒーリング、ボイスヒーリング、誘導瞑想、瞑想、経絡体操、シェアリング、質疑応答

定員  8名様まで(参加者おふたりさまから催行いたします)

お申込み  お電話かe-mailで、お名前と、初めての方はお電話番号を添えてください。✆ 098-928-3925 ✉ ruach@live.jp

締切  前日18時までにご連絡ください。

※駐車場はございますが、狭めのためお乗り合わせてのご参加は歓迎です。

 お盆も過ぎ、暑いながらもおてんとうさまが少し遠のいた感を感じます。

先月、知念の字知名の方とお目にかかり、知名のヌーバレーはおもしろいですよ、と教わったので今年初めて行ってみました。

ヌーバレーは沖縄本島南部特有の行事だそうで、夫の往診先のおばあも知らない人が多いようで驚きました。

ㇴーは澪の意味で、バレーは祓う。無縁仏を海の向こうにお返しする意味があるそうです。お盆の最後に家族の無いご先祖様を楽しませるおもてなしなんだろうなと思いました。優しいですね。

驚いたことに、夫も私も清められた感を実感してしまいました。説明するのは難しいのですが。パソコンの不要ファイルを削除すると軽くなりますよね。不謹慎なたとえですが、おかげさまで軽くなりました。沖縄の伝統行事はすごいです。

知名の集落に入り、人の流れと明かりを頼りに会場に近づきますと、前方に巨大と言っていいひな壇が現れました。夫はローマのコロッセオを思い出し、私はギリシャ野外劇を想起しました。客席はびっしり満席で、最後方は立ち見でした。

演劇をやっていた者としては驚きです。

規模と言い、観客動員の求心力といい、そして演目のクオリティーも。

知名出身の人間国宝の照喜名朝一さんも檀上に上がられました。

信州の大鹿村の村歌舞伎を描いた映画を以前観ましたが、映画になるほどの題材だと感じました。(どなたか取材しておいたほうがいいのではないでしょうか。)

今年は米須のエイサー、知名のヌーバレー、玉城富里の納涼祭りのエイサーを堪能しました。地元の方のお話では、ご自分の地域以外のお祭りを見ることはないとのことです。お盆のご挨拶などで忙しいとおっしゃっていました。

地域のお祭りで感じるのはなにしろ、地域の愛です。連綿と引き継がれる思いがあらゆるところに紡がれているのを感じて圧倒されるのです。夫も言っていましたが、ショーや競技で見るエイサーとは全く違ったものを感じます。

自分にはない種類のものをそっと傍から味わわせていただいていて、寂しいようですが、いろいろな集落に立ち会わせていただけるのが島ナイチャーの特権ね、などと夫婦で話しております。

改めて、沖縄の良さを深く味わうことができたお盆でした。

 自分のエネルギーがクリアになると、また瞑想の深さが変わり、気づきも得られて楽しくなってきました。

また最近は長年おつきあいくださったクライアントさんが続々と伴侶と結ばれ幸せいっぱいなご報告をいただいています。

パートナーシップとは、一生をかけて成長し合い助け合うとコミットすることから始まります。

既存の恋愛や結婚は、熱が冷めるとあとは形態を維持するだけの関係になります。

真の愛で結ばれた関係は、形態ではなくエネルギーによって生かされ、変化していく関係です。一生かけて創造するに値するものだと私は思います。

パートナーシップ、愛について、求める方のセッションを楽しみにしております。

愛の勉強ができる場所は少ないかと思いますので、ご利用いただけたら嬉しいです。

感謝とともに

AZU拝

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終戦を祈念して(意識の仕組みとともに)

人が内面的な成長をすることで人は戦争を地上から滅することができると私は思っています。人が人を殺すことは社会のルールに反しています。それが今の地上のスタンダードで先進的な認識です。

 

誰もが良くないことだとわかっていることを覆すためには、仕掛けをして認識を歪ませる必要があります。人が作為的に大衆の認識を歪ませることでしか戦争はなしえません。

 

人が戦争をするのは本能の本性だなどと言う人もいますが、最近ではそうではないという見解も現れてきました。過剰に殺すことは本能から見ても異常です。

 

大衆を戦争へ駆り立てるために、少数の人があらゆる手立てを駆使して多数の人の認識を歪ませてきました。今の世の中はとても分かりやすくそのことを見せてくれています。私たちはおそらく、真実に気づきたいと願えるかどうかによって自分たちで選べる地点に今、立っています。

 

しかし人は見たいものを見ます。望んでいるわけではなのに、内面的な歪みに見合った、慣れ親しんだ現実を私たちは選びます。それが潜在意識の仕組みです。つまり見たいものとは、本当の希望ではななくて、歪みが見たいものです。歪みというのは「偏り」です。すべての人の体験が違うようにすべての人に偏りがあります。

 

私は人生のある地点でこういった仕組みに気づき始めました。そして自分を変えたいと痛切に願いました。自分を変えるというのは、自己の内部、つまり、意識を変えるということでした。そして更に、意識を変えることというのは本来のすばらしいあるべき状態へ戻していく作業でした。自分が成長の道すがら身に着けてしまった習慣という癖、その歪みに気づいてそれをほどいてあげるということです。

 

ほどいてみるとそれは単に、自分だけの個人的なものではありませんでした。社会の、時代の、歴史的な、生物的な、そういう集合的な歪みがわたしという意識を形成していました。

 

私は政治に思想があるわけではありません。愛をもって人道的に生きたいと願い、誰からもその権利が奪われないことを願っています。自分をほどいてく旅はそのまま、誰もをほどいていく旅でもあります。究極的には、すべての人が自由になるまで、わたしの完全な自由もありません。意識はそのように関係しあっていて、単独で存在できるものではないからです。

 

こういうことを考える時、いつも演劇のことが浮かんできます。

私は玉川大学の演劇専攻の出身で、そこから仲間と劇団を立ち上げて活動していました。人生を豊かに生きるための多くをそこから教わりました。

 

演劇は、舞台の上に人生を創造し表現します。そこにはあらゆる対立が描かれています。物語とはなにかしらの対立がなければ成立しません。この世が二元性でありすべてが陰と陽で構成されているというのと同じです。

 

そしてその創造には一定のルールがあります。それは、その対立がどれだけ深く激しいものであったとしても、演者同士が本当に傷つけ合うことはあり得ないし許されないということです。

 

おしん」というNHKの連ドラで泉ピン子さんが極貧の主人公を演じた時、視聴者はとても同情して、泉ピン子さんに全国からお米やら食べ物を送ったそうです。泉ピン子さんはあのドラマがヒットしてとても裕福だったというのに。笑い話ですよね。でもこのお話はテレビができたばかりのお話ではありません。

 

戦争はこういう滑稽さを最悪の形で表したものだと私は思います。

 

私たちは地球という舞台に立って、自分という役を演じています。対立を体験しながら、そこで触れ合い摩擦し合いながら、魂の学びを続けています。

 

舞台を降りたら肩を叩き合って互いの健闘を称えるのが魂の流儀ではないかと思います。あまりに歪んだ認識を持ったままだと、舞台を降りてもなお、憎み合わなくてはならなくなります。これが負のカルマの正体です。

 

殺しても良いという理由を、今この国のトップは国民に刷り込もうと必死です。刷り込みに応じることは、目覚めて抵抗していることよりある意味楽かもしれませんが、その向こうにあるのは地獄のカルマです。

 

目覚めていましょう。そして小さな最善の選択を重ねましょう。魂は必ずその選択に報いてくれます。しあわせに生きましょう。


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