AZU WORLD

トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

今ここで選ぶ豊かさへの道

ダイヤモンド・プリンセス号が今年2月1日に那覇港に着岸してからこちら、新型コロナはすっかり自分ごととなった。すでに3か月あまりが過ぎようとしている。

周知されるまではとにかく勇み足にならないよう気をつけた。そうでないと恐怖を振りまくオオカミ少年になってしまう。

しかしその間もわが家とわが家で営むサロン、RUACH[ルーア]ではリサーチと準備を重ね続けてきた。

 

これは第二次世界大戦以来の人類の歴史に残るであろうイベントであることに間違いない。

それから2か月近く、日本はまだオリンピックを完全な形でやる、などと言い張っていた。不可能だと多くの人が思い始めてまもなく延期が決まった。

この決定はリーダーが思慮をもって英断したわけではなく、世論に引きずられて後追いした。10万円の一律給付もしかり。

 

これはエネルギーの法則とよくマッチしている。

つまり多くの人がなにを思いなにを望むかによって、世界が形作られるということだ。

 

日本は貧しい国だったんだなあと、今改めて思っている。

私はバブル期、ジャパンアズナンバーワンと言われた時代に生きてきたけれど、仮想のお祭りを過ぎて多くの人の心はなお貧しいのだと改めて思った。

 

人々がおかみのお達しを待ち、不条理でも従おうとする。

そして不条理に立ち向かう人を監視し非難する。

主権者が監視し批判すべきはおかみのほうなのに、同志や弱者に厳しい目が向けられる。

 

「お前もひもじい思いをしてみろ」という声も多い。

でもひもじい思いをしたから学べるわけではない。

ひもじさであれなんであれ向き合うことが人を豊かにする。

無知は貧しさだ。権力者も貧しい。

 

私は世間が浮かれていた時代にとても貧乏だった。演劇に魅せられ演劇とともに生きていたからだ。

バブルがはじけてそれまで貧乏をさげすんでいたおじさんたちから急にうらやましいなどと言われるようになった。「好きなことやっていて」「得意なことがあって」いいなあ、と。自分の人生は特に変わっていなかった。変わったのは世間の価値観だけだ。

催眠療法士をやり、タレントと歌、ホステスをして生計を立てて東京で生きた。

他人から生き方についてどうこう言われるのはまったく気にしていなかった。親にも文句を言われないのに他人に言われることなどまったくどうでもよかった。

 

私は、私の思いによって生きた。

一番努力をはらったのは、自分の思いについてだ。

私の中にある思いが常に自分の人生に反映される、その仕組みを突き止めた。

無意識と、潜在意識下にある思い込みがいつも具現化され、理想や希望はいつもそれに敵わなかった。

「無意識に信じさせられていること」

それが私の敵であり闘うべき相手だった。

 

内なる神に目覚め、信頼を築くまでは。

 

愛という法に則って世界が変わることだけが望みだ。

 

その点において私は満足するのだろうか、無念のうちに人生を終えるのか。

しかしそれすらももうあまり問題ではない。

それはいづれ来る。

政府が一律給付を行うのが時間の問題だったように。

(預言が成就して嬉しいです)

 

311は私たちが変わるべき契機だったのに、私たちは変わりきれずにここまで来た。

各々が自分ごとにしなかった。

今回のこれは、自分ごとにしないわけにはいかない。

地球全土で共有せざるを得ない出来事だ。

 

みんなでコロナを受け持つしかないのだ。

例えば沖縄が米軍基地の多くを受け持ってきたみたいに。

福島や周辺の地域が原発事故を受け持ってきたみたいに。

放射能、戦争、そして疫病。

どれも人類が各々受け持つべき課題だ。

今だけ自分だけはもう通用しない。

自分ごととして受け入れるという意識が拡大した時にこそ、真の前進があるだろう。

 

逃げて不幸を繰り返すか、前進か。

 

自分ごとというのは、自分の目の前にあることを受け入れるという意味ではない。

まるごとを自分のこととする、という意味だ。この違いは重要だ。

そうすると全体の重荷が軽くなり、全体が方向づけられていく。

自分のことだけ、としている間は、弱い人が痛みを背負うことになる。

自分が痛みに直面しなくても、誰かが直面する。

 

誰かに起こったことを自分のこととして受け入れ向き合う。

愛という姿勢はいつもそうだ。

 

想像力はそのために人に備わる。

紛れもない神からの贈りものだ。

 

その贈りもの使うのは、今しかない。

個人セッション、瞑想会につきましては公式サイトをご覧ください。

ご自身のプロセスを促進し、魂の覚醒をお手伝いさせていただきます。

感謝とともに

AZU拝

stay home with love

私は小さきもの。

神を知り、神に近づくほど「私」は小さくなっていく。

 

生き物は強くなりたがるが

内側に神があるのを知る人は

強さは神の中にあると知るので

私に強さを求めなくなる。

 

私が小さくなると愛が大きくなる。

私が弱まると神が強まる。

 

私の中に愛はない。

すべては神の愛がする。

 

私がやっていると思う人の愛は小さい。

私ではなく神がなさると知っている人の愛は大きい。

 

当然ながらその力は強い。

 

災いがあると

人は急に神を語りだす。

良いときは自分のてがらで、災難苦難は神が起こすとでも言いたげに。

神と闘っているとでも言いたげに。

 

そういう認識こそがいかにもエゴらしい。

 

不都合を消し去るために愛を持ち出す人も多い。

相手(例えばコロナ)に消えてほしいから愛を送るとはなにごとだろう?

愛を与えられて息絶える生き物があるだろうか?

 

愛を与えられて息絶えるのは

人間の傲慢や我欲、恐れだけ。

 

変われるのはこちら側。

勝つ相手も己。

 

ことごとく誤解しことごとく混乱している私たち。

 

神はその誤解と混乱を解くために私たちの内で

愛をふんだんに用意して居てくださる。

 

そこに戻ろう。

ほんもののhomeに。

#stay home #瞑想 #祈り #癒し

感謝とともに

AZU拝

カルマの法則とコロナ考、そして未来へのビジョンについて

今日は新型コロナウィルについて触れさせていただきます。

というのもセッション時に複数の方から、AZUさんはどう観ますか?というご質問をいただいたからです。

 

コロナになんの意味があるか、というご質問があります。

そのご質問の意図には「すべての出来事には意味がある」と言われていることがあると思います。実際ネットでも、いろいろな解釈を目にします。

 

意味、と言いますのは、受け取る側が色づけするものです。

「出来事に意味がある」の示すところは「出来事は単なる偶然ではなく、必然である」のことでしょう。これは因果律のこと。原因と結果の法則です。

 

整理します。

コロナは生き物(或いは物質)として生きよう(あろう)としている。

それが人類にとって脅威である。

 

対立の原点はここです。

 

そして次に言えるのはこれが、全世界で共有する問題であるということです。

 

でも、コロナ→病気→ネガティブ→警告?→罰?→なにが悪かった?…という思考にはまるとそこから見出す意味は「なにかのせいにすること」しかなくなってしまいます。

 

もちろん、結果が生まれるにはすべて原因があります。

今ここに存在しているもののすべて、起こっていることのすべてには原因がある。

でも、そのすべてがわかるわけでもないし、わかる必要もないのです。

 

例えば、今起こっていることの原因は人類がはるか昔から潜在的に抱えていた問題の結果だとします。そういうことで実際この世はできています。

 

そこで私たちにできる最善のチョイスとは、その結果に反応してまた同じ原因を作るのではなく、一段うわての対応をすることです。

反応ではなくて、対応をすることです。

反応は本能(潜在意識)ですが、対応には愛を込めることができます。

 

因果の法則に、愛(神の質)を介在させると、因果律に優る愛の法則が働くのです。

そのことによってカルマは解消されます。

 

起こった出来事に価値ある意味を持たせるには、その方法以外にあり得ません。

 

もう一度言います。

この世界で体験すること、起こっているすべてには過去に原因がありました。

もし今起こっていることが不幸だったり納得がいかないことなのであれば、過去に遡って原因を追究するマインドではなく、起こっている結果を受け入れ、そこから学び、そして、より良き原因を作ることです。

受け入れるということは、よく理解することでもあります。逃げたり目を背けずに良く見ることで、無駄な恐れを解消できます。

その対応ができた時、起こったことに「意味」が生まれます。

逆にただ反応し流されるだけなら意味は生まれません。

 

すぐに良い結果が出ることもあれば、時間がかかることもあります。

今起こっていることだって、原因から長い時間を経てここへ来ているものがたくさんあるわけですから。

 

現在進行中のコロナの脅威は、その病原菌の性質上、幾重もの問題を私たちに突き付けてきます。

その脅威と互角に向き合うには、コロナと全人類の協力、という対峙がなされないと乗り切れないほどのものであると推測できます。欧米諸国の対応などを見ている限り、その構図が見て取れます。

しかし日本ではその構図になる以前に問題があるのです。

 

まず第一にオリンピック遂行のために、コロナへの対策が非常に遅れていること。

(個の命と生活の優先度が低かった)

検査件数が先進諸国と比較してけた違いに少ないこと。

(問題の全貌を明らかにしようとする意志がない)

外出自粛、緊急事態宣言の中身が非常にあいまいで、整合性のある補償がなされていないこと。この対応も先進諸国と比較すればあり得ない処遇です。

(個の命と生活の優先度は、オリンピック延期後も低い)

これら3点から派生する問題には際限がありません。

 

つまり日本に関して言えば、コロナと対峙するだけの準備が全くできていないのが現状だということです。その点を早急に進める、つまり私たちに意識と認識を早急に高める必要があるのです。今声を上げている人びとの思いはその目的に向けられていると感じます。

 

この声に対して、敵はコロナだから政権(他者を)批判をしている場合ではないという「批判」や、経済活動を行うことに対する批判の声が多数あります。

 

前者の意見をよく見ると、右がダメと言ってる人、左だってダメでしょ、などというものが多いです。しかし生活者の多くは左のほうがいいなんて一言も言ってません。今の対応がおかしい、と言っているのです。対応を変えてくれ、と。

また後者については経済状態の差が意見の温度差を示していることが多いようです。10年働かなくてもいい人、1年の人、1月の人、3日の人。そしてもう一点、自粛のスパンを、今週末とか今月、というイメージで捉えているのか、長い目で見ているのかの違いもあります。

 

世界を見ている限り、極端で厳密なロックダウンを施しても感染拡大を抑え込むことに非常に苦戦しています。ウィルスの研究者に言わせても、収束には年単位の時間がかかるし解決は完全な勝利ではなく共存です。

 

この青写真に社会を重ね合わせた時、日本の経済状況がこのままで持つと言えますか?息を止めて水面下に潜って収束を待つ、というイメージを持っている人があまりに多い気がします。

 

踏み込んで言いますが政府がお金を刷って配るしか、命と生活を守る方法が見当たりません。そして黙って待っていても、今の日本はそうはなりません。結果として、コロナで死ぬか、経済で死ぬか、という未来はすぐそこで待っています。問題は、政府がいつ決断するかだけです。遅れれば遅れるほど、犠牲は拡大するでしょう。その犠牲の対象はほとんどすべての国民だと言えます。

 

すべての人は今立っている自分の場から、その場の代表として意志と行動を示しています。お仕事を休める状況の人は、おうちで愛をもって過ごす生き方を示し、お仕事を休めない人は、その行動によって、対処を促してくれています。

 

今、すべての人が助かる明確な方法はみつからないけれど、今良い原因を作らなくては、或いは過去の悪い原因の結果から逃げてしまっては、この先も良い未来はない、というのが一番はっきりしている答えです。

 

コロナが私たちに教えてくれていることは、この世でご一緒しているご縁はすべてつながっていて、誰一人として個別に存在していない。この船(地球)に乗り合わせているすべてのいのちが運命共同体であるというシンプルな事実であると私は受け取っています。

 

「私にはコロナは正直まだ他人事だけど、AZUさんはどう感じるの?」というとても潔いご質問をしてくださった方へのお答えはこうでした。

 

「人類の全てがひとつのからだで、私はその中の細胞のひとつみたい。地球の裏側であろうとどこかの細胞が傷んでいたら、とても気になってしまう。その感じ方がいいのかどうかはわからないけれど。」

 

そのからだを生かしている神が私たちを試したりふるいにかけるようなことはありえません。そんなことをしたらすべてが死んでしまうからです。自分たちを傷つけてきたのは自分たちです。今、愛し始めましょう。

どこまでも生かしどこまでも愛しどこまでも導く力、それだけを神と呼びたいと私は思います。求めれば必ずその叡智と愛と力を私たちに注いでくれる存在。それとともに今を協力して生きましょう。

■コロナの影響における対処については上記公式サイトおよびこのブログをご参照ください。

上記に加えて、対面セッションの際はお客様にもマスクの着用をお願いしております。
マスクのご準備ができない方にはこちらで準備いたします。

ご協力をお願いいたします。

 

感謝とともに

AZU拝


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