みなさん、こんにちは。
今日は31回目を迎えた定期瞑想会を開催させていただきました。今日もなかみの濃いミーティングとなり、お集りくださったみなさんに感謝でいっぱいです。
みなさんが今どこにいてなにを望んでいようと、それがどんなに困難で希望の見えない道であったとしても、今そこから、次の一歩を踏み出さなくてはなりません。
まずは呼吸をする、水を飲む、眠る。たとえそれしかできないとしても、そのすべての行為の質を上げてくれるのが瞑想です。
何もかもを失ってしまったと思える時でも、呼吸をしています。
その呼吸の質を上げればエネルギーは必然的に変化します。
その変化があらゆる前進につながっています。
「呼吸できている。ありがたい。」
そんな風にもし感じられたらとてもラッキーです。あなたは次にその感謝に出会うからです。
「呼吸が苦しいな。良くなりたい。」
それもすばらしいことです。現状に気づくことができ、前向きな願いを抱いたからです。内なる神がそれに応えられるでしょう。
何かが起こっていても起こっていなくても忙しく動いている思考。その思考の質を上げるのも瞑想です。瞑想は無用な思考を止めるだけではありません。その思考の元となっている感覚の記憶のお掃除をします。自己意識の浄化とはそれです。思い込みを手放す、というのも同じことです。
今、世の中でおかしなことを見回してみると、人間とは何か、どんな存在でなにが重要なのか、人生とはどうあるべきなのか、という根源的なことと直結した問題が浮き上がってきているように見えます。
そして個々が正しい答えを考え出そうとしています。或いは感じていることを問い正しています。でも考えても出てくる答えには矛盾があります。
「誰かにとっての良いことは、他の人にとって都合が良くない。」
それが思考の限界なのです。頭で出す答えの限界なのです。
そこで自我はなにをするかというと、自分の答えのほうがより有用で有益だという主張をします。その裏付けを自分や他者に証明したくなるのです。承認されたいという自我の根源的な欲求はどこまでも同じやり方で押し通してきます。
自分にとってどう考えても正しいことが他者にとって不利益である。或いはその逆。私たちの自我はその限界の壁にいつも阻まれていて自由であることを知りません。
壁に激突するか、或いは見て見ぬふりをして壁の中だけで用を足すか。攻撃か防御か。自我にできることは結局それしかありません。
瞑想を知るまでは。
瞑想する人は落ち着いて聞き入れ、引いて眺め、近づいて寄り添い、共感して和解する、という道を歩み始めます。
それが難しいのは結局のところ、最も近しい関係の間ですることです。
ですから身近な関係に取り組み、自分と向き合い、それを頭ではなく心で解決しようと試みる人は必ず、愛に、内なる神に出会います。
その親密なふれあいを可能にしてくれるのが瞑想なのです。
その人は社会という枠組みの中でも光を放ち、平和への道をみつけていく人となるでしょう。
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感謝とともに
AZU拝