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トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]よりお知らせです

こんにちは。お知らせが2点あります。

トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]のAZUSanctuaryの山田美那子さんとでオンラインでグループミーティングを開催します。

 

ご参加資格はAZUの「究極の意識の仕組みを学ぶ奇跡の講座」を受講中、受講してくださった方と、

山田美那子さんから「心の仕組みとともに学ぶ奇跡の講座」を受講中、受講してくださった方、

です。

 

ミーティングの主旨は奇跡講座の言葉を借りて一言で申し上げるなら神の延長の一助として、心を共有することを目的としています。

みなさんがご自由につながっていただける母体として、また体験談、質疑応答などのシェアリングの場として、ご活用いただけたら幸いです。

 

私の方から皆さんにe-mailでご案内させていただきましたが、もし届いていなくてご興味おありの方はご連絡いただければと思います。

 

 

 

それから、夫の鍼灸整体治療院からもお知らせです。

ただいま年末年始の、初めましてキャンペーンを行っています。

ご興味おありの方はこちらをご覧ください。

トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]鍼灸整体治療院

 

いよいよ12月ですね。

学びを終えた古いエネルギーを感謝とともに手放しながら、

常に新しい今を喜んで迎えたいです。

 

そのための一助としてお手伝いできれば幸いです。

 

感謝とともに

https://kokoro-iyasuwa.jimdosite.com/

内なるキリストからの一番大切な私への教え

意識の仕組み。

心には4つの領域がある。

〇を描いて、それを心とする。

こんなふうに、4つの領域に分ける。

①一番外の薄い皮の所が、顕在意識。

②次の果肉みたいな所が潜在意識。

③真ん中に近い芯の所が魂=超意識。

④中心の点が内なる神=宇宙意識。

 

①顕在意識

私たちが認識している部分。

考え、思考。

潜在意識との対比で1:10とか1:100とか1:100万と表現される1の部分。

こうだとわかっていると私たちが知っていることは、それくらいちっぽけだということ。

 

②潜在意識

無意識、半無意識の領域。

つまり私たちが実は知っているが無自覚のうちに使われたり、眠ったままになっている記憶。

その成り立ちは、私たちの肉体の五感(五官)の知覚を通して体験され蓄積している記憶のすべて。

ここには一つの個体を超えて集合的に記録された記憶も含まれている。

集合意識や本能ともいえる。

輪廻転生によって持ち越された記憶もこの領域に属する。

顕在意識と対比するとそれは圧倒的に膨大な領域とみられる。

生きるための自然な知恵(本能)や、過去に学ばれた訓練の集積の記憶(才能)も含まれるため、その部分を開拓することに魅力を感じる人も多い。

この領域の発展の目的は、生存、自己保存である。

記憶保存の基準の優位性はその目的に順ずる。

 

③超意識

魂という言葉は形を持たないため、慣例的に様々な使われ方をしている。

しかし魂の特性を重ね合わせると超意識の領域を指すとみていいだろう。

超意識はキリスト意識とも呼ばれ、神が創造した神の質そのものの部分とも言える。

上記①②を肉体意識というならこの領域は純粋な精神の領域であり、愛の貯蔵庫と言ってもいい。

キリストという言葉にまつわる概念は捉え方がまちまち過ぎるが、それは人間の知覚によるものであり、ここで言う「超意識=キリスト意識」とは根本創造主が創造したものであるから、人間の作った概念を超えている。

私たちの肉体意識の理解が及ばない領域であるがゆえに超意識と呼ばれていると言っていい。

 

④宇宙意識

創造主そのものとひとつであるという意識。

〇の中の点で表現されているのは、この領域はもはや体積や広さというものを持たないことをあえて表現したいがため。

私たちは、肉体が自分であると認識しており、肉体のどこかに心が付随している感覚で心を認識している。

そう自覚している間は、魂は肉体の数だけ分離していて、神も同様に見なすかまたは、外側のどこかに在ると認識されている。

しかし自己認識が肉体ではなく意識、つまり心であるということを受け入れると、創造された自己は心であり、その創造主と被造物である心とは分離がなくひとつであることがやがて理解される。

また肉体において「他者」と認識されている人々は、心においてはひとつである。

このような「真理」を私たちは深い深いところでは「知って」いる。

だが、私たちの生命活動は通常①と②の領域で行われ、なおかつ認識できているのは①のみである。

 

①と②を自我の領域

③と④を真我の領域

のように分けることができる。

 

①と②の間にはそれを隔てる膜があって、潜在意識の領域に降りていくことすら変性意識状態、つまり瞑想が必要である。

 

更に真我の領域を認識し理解するには、自我意識の解体、浄化が必要である。

自我意識とは自分は肉体であり、自分は自分の力でコントロールし、守らなければならないものだと強固に信じられているからである。

 

潜在意識の無意識を意識化すること、再認識することによって、この領域は再整理され浄化される。

自分と向き合う、探究することの重要性はここにある。

潜在意識を組み替えたり有用なものを取り出すことではなく、更にその奥の超意識、宇宙意識に到達することを目的とする。

潜在意識の探究は、潜在意識の有用性を引き出すことが目的とされがちであるが、それは自我に更に力を与えることとなる。

それは幻想を真実だと誤解することと等しい。

 

真我を求め、真我に触れていくと、潜在意識の領域はすべて幻想であることが理解できるようになる。

幻想とは、一時的で変則的、分離した知覚に準拠しているため一貫性がなく、よって確かさがなく価値がなく影響力もなく、よって存在すらしていないといえるものである。

 

顕在意識はもはや潜在意識を知覚するものではなくなり、真我を知覚するものとなっていく。

 

これが自我の解体の目的であり、心の訓練の成果である。

 

感謝とともに

 

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今あなたが抱えている痛みを教えて。

人類の持つ不条理の筆頭に戦争があると思う。

人類のほどんどにとって百害あって一利なしなはずなのに、なぜか人類史上一秒たりとも止まったことがない戦争。

正論には何の効力もないということを私たちに見せつけ、善悪の基準を覆し、不条理を飲み込んでみろと突き付けてくる。

どうしたらこの事案を整理し、理解へと進めることができるだろう。

多くの人が試みていると思うが、その答えは共有されていない。

 

私と夫が結婚して間もなく沖縄へ行く決断をしたきっかけは、戦争だった。

終戦記念日に沖縄へ行こうと決めた。

そして私たち、特に夫は、その生き証人たちの生の声をたくさん聴いた。

 

沖縄で私はいわゆる私と同じような心の痛みを持った人にたくさん出会った。

それは一見とても個人的な、家庭の事情に見える。

その痛みにはいろいろな名前が付けられ、対処法がラインナップされている。

 

戦争は、家庭内に引き継がれている。

戦争の傷は血を流し続け、その痛みは理解と共感を求め、誰かを傷つける。

身近で、愛しい人を。

 

私は自分が育った家庭の中に流されている血の、おおもとの傷を探す旅をした。

 

私の父は川崎で生まれ、戦争を機に郷里の信州に戻り、育った。

母は満州の裕福な家に生まれ、戦争でほとんど何もかもを失い命からがら日本に帰った。

 

食卓で父が、戦争での一番悲しい思い出を語ったことを思い出す。

おうちで飼ってかわいがっていたうさぎがある日いなくなって、その晩の献立がごちそうだった。

これはもしや、と思ったけれど、母親に問いただすと傷つけてしまうと思い聞けなかった、と言った。

 

とてもリアルに感じられて、そうか悲しいな、と共感しながら聞いていると母が聞き終わらないうちに遮った。

 

なーにそんなこと!そんなの苦労の内に入らない!そんなもんじゃない!戦争は!

 

心からの憎しみと怒りと、軽蔑がこもった口調だった。

その母の迫力ある断言に私は、自分が父に共感したことは間違いなのだと思った。

母のほうが父より正しいことを言っていると理解されたのだ。

 

このことは繰り返し思い出される光景なので薄れない。

 

私の心が平和を取り戻し正気になってみると、少年がかわいがっていたうさぎをお母さんが仕方なく晩ごはんのおかずにし、少年はそのことを知りながら何も言えないという光景はただただ悲しい。

 

母は満州終戦の声を聞いた。

その知らせと同時に「まんじん」たちが一斉に石を投げてきた。

その中を、うら若いおばあちゃんと3人のこどもとで走って逃げた。

どうやって乗り越えたかわらかない高い塀を何度も超えて、放浪した。

途中瓦礫の中に使えるお風呂があって、おばあちゃんが帯を外して目の前に置いたとたん、肌身離さず帯に隠し持っていた全財産をかっぱらわれた。

ロシア兵が来ると、こどもたちだけを残しておばあちゃんは屋根裏へ隠れる。

そこで小さなこどもたちは固まってホールドアップしたまま彼らが去るのを待つ。

なぜなら若い女の人はレイプされてしまうから。

という話を何度も聞いた。

 

ごく近年になって、この放浪は一年以上続いた、と聞いた。

終戦に始まり、引き上げて帰国したのは翌年の秋だった、と。

私は耳を疑う。

なぜそんなことを?

さあ、と母は言う。

そのうちに混乱は収まって、元の家に戻れるとおばあちゃんは思っていたんじゃない?でもムリだとようやく諦めて、日本に戻ったんだと思う、と。

戻った一家に居場所はなく、もともと持っていた土地も売り払われたか国に取られたか、という話だ。

 

中国残留孤児のニュースをテレビで見るたび母は、おばあちゃんはよく誰も売らずに私たちを連れて帰ってくれた、と話した。

 

そんな中を生き抜いてきた私の前で、いなかのちょっと食料が少なくなった家庭のうさぎ一匹の命がなんなの?!

 

母の言い分もわかる。

 

言い分はわかるけれど、悲しみに、なにかを慈しむ心に、大小の差があるだろうか。

 

私は小さなことによく躓き、前に進めなくなることがよくあった。

悲しいと、動けない。

すぐ疲れる。すごく疲れる。

人の態度、言われたことをとても気にする。

わずかな人の心の動きに、とても左右されるこどもだった。

 

傷つくと、がんばれない。

力が入らない。

なにもできない。

 

そういう辛さを母は理解できないと言う。

もっと下を見てごらん、もっと大変な人はいくらでもいる。

そういう人と比べて、ありがたいと思えと言った。

 

顔と全身の皮膚全体の半分かそれ以上に青と赤のあざを持って生まれた弟のことも母は、身体障碍や知的障碍のある他の人と比べて「まし」だとよく言った。

けっこう差別的な危ない言葉でそう言っていた。

 

そして、私の生き辛さはうちの家庭の中の「問題」に含まれなかった。

私はきょうだいの中でもっとも健康に生んでもらった子だったから。

 

母の価値基準、重要度の順列にはいつも確固とした理由があり、私は完全にいつも母が正しいと信じていた。

 

その一方で私の中の葛藤はどんどん強まり、疑問は膨らみ、バランスは崩れ、方向性は完全に見失われていった。

 

こうして振り返ってみると、母の中の燃え盛る戦火が見える。

戦争以来一度も消えたことのない劫火が。

 

父がかわいがっていたうさぎを黙って食べたのか、食べられなかったのか。

そこまで父が語ったのかどうかはっきりと思い出せない。

どちらも想像できる。

 

母にそんなふうに遮られたとき、父は怒らなかった。

それは憶えている。

そうか、そうだな、というような静かな態度だった。

 

戦争は、小さな悲しみを踏みにじる。

大きなものだけが取るに足るものだと言わんばかりに。

 

戦争は小さくて大切なものを吹き飛ばす。

 

小さくて大切なものの中だけに愛が住んでいるというのに。

 

戦争は私たちの心が作る。

隠されて姿を変えた怒りが復讐する。

復讐のためなら私たちは愚かなふりも騙されたふりもする。

 

自分で作ったものなら、私たちはそれを終わらせることができる。

 

ただそれだけが希望だ。

 

私は戦争を憎まない。

隠されて姿を変えた怒りに、目を背けず、光を当てて、あるべきところへと帰してあげる。

 

復讐をやめて、本当にほしかった愛を手に入れて、素直になる怒り。

 

自分で吹き飛ばしてしまった小さな大切なもの。

そこに住んでいたそれだけが、本当に欲しかったものなのだ。

 

お父さん、お母さん、みんなで、帰ろう。

本当に欲しかったものと一緒に。

私が道案内するよ。

そして、この世界の戦争を終わらせよう。

 

感謝とともに

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