AZU WORLD

トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

この世が幻想であるならば

少し前に量子力学のことを書いた。

この世界、宇宙は幻想であることについての説明は、量子物理学によって科学的に証明されつつある。まさに奇跡のコースにある通りだ。

しかしそこから導き出される答えは「だから好きに生きればいい」というような方向になっているようだ。

 

「この世が幻想である」の次の問いをぜひとも

「では実在はあるのか。あるのならそれはなにか」につなげたい。

 

もしそう問いかけるのなら、実在に出会うことになる。

それこそ量子物理学の究極の利用法ではないだろうか。

 

ひとつ整理しておきたい。そしてぜひとも共有したい。

顕在意識+潜在意識=自我

超意識&宇宙意識=真我

 

潜在意識は自我の知覚の集積である。

潜在意識が無意識的領域であるがゆえに、潜在意識こそが神秘であり真理だとでもいうような誤解が誤解を呼び、ついには定着に至るほどであると思う。

 

例えばNLPは人間の自我の仕組みをよく解析していて、それを社会生活=対人関係にあてはめてみごとに説明していると思う。

ただ、その解決法はというと、自我をより良い自我に置き換えるためにイメージを活用する、というあたりにとどまっている。

 

それはあくまで自我によって作ったこの世界の価値観に、より適合するための手段となる。

そうなると目的と手段、原因と結果を取り違えていることになる。

 

世の中のセラピーやカウンセリングなどのほとんどすべてが、この形態にあてはまっていると思う。

 

過去の自分の苦しみがこれによって解決できただろうか。

また私のところに来てくださった多くの方の苦しみをこの形態で解決できただろうかと思うと、それは部分的にしか機能しなかっただろうと思う。

法則というものは例外なく適用できるから法則なのであって、恒久的なものでないものを法則とは言わない。

 

私たち人間には愛を求める心がある。

それがゆえに生存本能に対して罪悪感があり葛藤がある。

この両者を統合することだけが私たちを全一的に幸福にする道であり、そこだけに真の平和、平安が存在しうる。

愛と罪悪感を両立することはできない。

癒され修正されるべきは罪悪感のみである。

そのためには愛を選ぶ必要がある。

愛を選び、それ以外のもの=自我を放棄する必要がある。

両者をバランスする、という考えが巷のスピリチュアルによくあるが、それは科学的に考えても不可能なことだ。

実際は、自我は放棄されることによってはじめて従者として統合される。

 

部分的な対処法は、取り入れてみて最初は良くなった、変化した、生きやすくなったと感じるかもしれない。

でもほどなくその効果は薄れてしまう。

全一的な癒しがないところでは私たちは次第に自我の習慣に引き戻され、つかの間の喜びは軽減することになる。

結果、喜びに飢えた私たちは、問題を探して部分的に解決することを喜びとしてしまう。

 

自分の体験からセラピストになった人がよく陥ってしまうのは、自分の問題が部分的に片付いたから(片付いたことにして)今度はもっと人の問題を解決したい、というものだ。

 

これは、癒されていないセラピストにあたる。

 

癒されていないセラピストは、問題を問題視する。

問題は問題視されている間は決して解決しない。

なぜなら問題を個別化してみている間は、問題の数だけ答えがあり、一つが解決したように見えても問題の根にたどり着けないからだ。

 

問題とは、全体を知るため、全一という領域へ入るためのほころびのようなものだ。

 

問題を通して全体の中へ入っていく(戻っていく)こと。

問題を全一のなかに運ぶこと。

それだけが問題を根底から解決する。

全一の中に戻った時、問題は問題として分離していることができない。

それは問題を問題でないと認定し放っておくこととは違う。

問題を根底から超越すること、とも言える。

 

このことは潜在意識に問題をみつけ潜在意識によって解決しようとしてもわからない。真我という領域を含めないと説明できないし理解もできない。

 

どのような問題もすべては全一(神)に戻るための指標でしかない。

それに気づき、心から理解して初めて人は、一連の出来事をそこへの導きとして受け入れることができる。

またそうして初めて、起こったことを受け入れることが可能になり、今ここというところへ戻ってこられる。

今ここにあるというのは、ただ過去や未来を視野に入れないことではない。

本来あるべき自己(真我)へと戻ることだ。

 

おおいなる意識(真我)が介在しないところに本来あるべき自己(真我)への道筋は存在しない。

ただし、求めればそれはもれなく与えられる。

すべては究極の仕組みに基づいている。

・・・・・   ・・・・・   ・・・・・

瞑想をオンラインでご一緒しませんか。

意識が距離を超えて一つになることができる体験は、それだけで自分で設けた制限を外す試みとなります。ご検討をよろしくお願いします。お席は充分にございます。

◎5月の瞑想会スケジュール

 

◇期日 1日㈪&17日㈬ 午前11時開始です。

◇開催時間 90~120分(ご参加の人数によります)

◇オンラインツール zoom(事前にe-mailでリンクアドレスをお送りします。スマートフォン、パソコンなどでご利用になれます)

◇ご参加資格 ご興味のある方。経験者、未経験者どなたでも。対話にご参加いただける方。

◇定員 1名~10名さままで。

◇内容 誘導瞑想とシェアリング、質疑応答。進行と誘導瞑想はRUACH[ルーア]心のセラピストAZUが担当いたします。誘導瞑想歴23年です。お話やコミュニケーションに気が進まない方でも、ご無理なく楽にご参加いただけるよう配慮します。みなさんが分かち合える範囲で分かち合っていただければ、それが大きな実りに導かれると確信しています。

◇ご参加費 3000円(お手数ですが、お振込みをお願いいたします。リンクアドレスともにお振込み先をお知らせします)

◇お申込み e-mailまたはSNSのメッセージまたは、公式サイトからWhatsAppでお願いします。e-mail ruach(アットマーク)live.jp Instagram FB   Twitter 

◇お申込み締め切り 定刻の前日20時までです。お申込み、お問い合わせも、お待ちしています。

その他に、

◎奇跡の講座

ヒプノセラピーインナーチャイルドワーク、前世療法、ハイヤーセルフ)

◎スピリチュアルカウンセリング

◎エネルギーヒーリング

◎ヒーラー、ヒプノティスト養成講座

各種、対面・オンラインで対応いたします。

詳しくは公式サイトをご覧ください。

https://harikyu-suwa.jimdosite.com/

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心のセラピストAZU

世界を見直す(5月オンライン瞑想会のご日程のお知らせ)

みなさん、こんにちは。

花の饗宴が続く信州諏訪地方。地球のそれぞれの場所で、芽吹き育むパワーが溢れているかと思います。

すべての生命の背後にある神の働きが、心に直接語り掛けてくれるのを受け取れますように。

 

明日17日の瞑想会もご参加くださる皆さんのおかげで開催させていただける運びとなりました。感謝申し上げます。

 

5月の開催日を記させていただきます。

■5月1日㈪…午前11時から

■5月17日㈬…午前11時から

 

1日はゴールデンウイークの中休みですが、お時間いただけたら幸いです。

概要は一番下に載せます。

 

少人数のグループで行う瞑想を、敬愛するパラマハンサ・ヨガナンダジも推奨しています。

私自身が同調圧力的なものや上下関係、また組織や集団の集合的な意図に敏感なため違和感を感じやすく、そこに壁を感じながら生きてきました。

できる限りそういった壁を越えた自由な喜びの場を作りたいと願っています。

 

少し自分のことを書きます。

私は先の敗戦の20年後に生まれ、世の中は高度成長期。

当時戦争への反省の色は明らかに濃かったと感じています。

日本は神の国であることを信じ、ゆえに国民は戦争に勝つと信じていました。

 

私は平安の乏しい家庭に育ち、それもあって早い時期から心に拠り所を探していたと思います。

私の育った家は、当時のわりと先進的なというか普通のというか、神仏よりも自我を信じるし、神頼みするのは最後の時。

病気は薬が治すし、体調が悪いのは弱いから。

原因は主に父か母から遺伝した体質のせい。もしくは自己責任。

困った時に行くところは病院か警察か法律相談か。…

世の中では他に宗教があった気がしますが、うちにはそれはなかったです。

 

両親ともに知的な人で、特に父は読書家で、狭い家にはできる限りの場所に本棚が取り付けられ、歴史と文学の全集が並び、学校の課題などは図書館より自宅で調べればいいという感じでした。

その中には宗教や信仰に関する本も多数ありました。

父も真実を確かめたかったのだろうと思います。

晩年になって父は私に「神は(外側には)いない。神は心の中にいる」「この世は魂がみている一瞬の夢だ」と言いました。

それが父の知った真理だと思います。

 

敗戦から日本は恐らく神を見失ったのだと私は思っています。

経済だけが確かなものとなり、それは崇拝に近いものがあります。

人生は得るものであり与えられるものではなくなっています。

 

今与えられているものに目を向けよう、といった類の言論をSNSでみかけますし、それらは結構人気があるみたいです。

私にしてみたら、なんであれそんな部分的な心がけでもし何かが変わるのならそれはもはや何もしなくても世界は良くなるだろうし問題などないに等しいのではないかと思えてしまいます。

世界には善意があふれている。

本当は人は善きことが好きだとも思います。

それでもなお、世界は間違った認識に基づいて、今もなお、間違った選択がされ続けている。それがこの世だと私は思います。

 

真の神、すべての人の内にある真の我を見出すことだけが、それに対する希望です。

 

この世にあるどんな宗教も、その途上で手掛かりにはなるけれど不充分だと私は思います。

人はまだ、神を分離したものとしてしか捉えられないし、そうしていることにすら気づかないのです。

 

経済の向上のために神に祈り、肉体の命を命だと信じ、肉体にできることを価値だとみなし、人と比べ、違いを個性と呼び、優劣思想をきれいな紙で包み隠す。

ちょっとずつ、大事なことは奥へ奥へと隠されていきます。

何のための経済か、何のための命か。なんのための人生か。

目的と手段が完全に入れ替わっている世界で私たちは生きています。

生きづらいと感じるのは当たり前ではないでしょうか。

 

生きづらいと気づいた人が自分の不具合を治そうとだけすることは、せっかくの人類の救いの道の扉の前を通り過ぎるようなものです。

 

つまり生きづらいにはわけがあるのです。

それは、この世が矛盾し捻じれ、歪んでいるからです。もちろん自分を含めて。

私たちのきょうだい全体が、本来の目的を忘れ、手段と目的を取り違え、誤った知覚に基づく誤った選択を、今も続けているからです。

 

恐らくコミュニティでは古くから、全体の意識の流れを修正するために敏感なセンサーを持った人が役割を担い、探知されたものを共有してきたのではないかと私は思っています。

占いが政治を担っていたように。

 

しかしながら私は過去を取り戻したいとも思いません。

過去を手放し、真実へのスペースを空けたいのです。

 

私たちの既知のフィルターを丁寧に取り除き、真実だけを映し出す鏡を取り戻したいのです。

私たちにはそれが可能です。

 

瞑想は私たちに本来の目的を思い出させ、本来に導きます。

本来というのは、真実であり、神に創造された私たちの心です。

それは愛の居場所であり愛のみしか受け付けません。

愛を燃料とし、愛とともに動きます。

 

そしてそれゆえにそうでないものを強力に手放させる効果があるということです。

私たちは確かに元々神の子で愛であることに違いはありません。

ただ、それ以外に余分なものをたくさんくっつけているがゆえに、それそのものでいることができないだけなのです。

たくさんくっつけているものを信じきっているので、くっつけているとすら気づいていません。

時に信じきっているものの存在に気づかせることに疑念を抱いたり、手放す過程で恐れたり、また信じ切っていた自分に怒りさえ覚えることがあります。

でもそれはすべて、本来に戻るプロセスです。

そのプロセスは自分ひとりだけで渡り切れるものではありません。

天国にひとりで入ることはできないという聖句はそのことを教えています。

 

ですから瞑想会は、シェアの場にもしたいのです。

今は動画を見れば得るための用はたいてい足ります。

でも、分かち合うことだけは、ひとりではできません。

ご興味持っていただけたら幸いです。

 

◎5月の瞑想会スケジュール

 

◇期日 1日㈪&17日㈬ 午前11時開始です。

◇開催時間 90~120分(ご参加の人数によります)

◇オンラインツール zoom(事前にe-mailでリンクアドレスをお送りします。スマートフォン、パソコンなどでご利用になれます)

◇ご参加資格 ご興味のある方。経験者、未経験者どなたでも。対話にご参加いただける方。

◇定員 1名~10名さままで。

◇内容 誘導瞑想とシェアリング、質疑応答。進行と誘導瞑想はRUACH[ルーア]心のセラピストAZUが担当いたします。誘導瞑想歴23年です。お話やコミュニケーションに気が進まない方でも、ご無理なく楽にご参加いただけるよう配慮します。みなさんが分かち合える範囲で分かち合っていただければ、それが大きな実りに導かれると確信しています。

◇ご参加費 3000円(お手数ですが、お振込みをお願いいたします。リンクアドレスともにお振込み先をお知らせします)

◇お申込み e-mailまたはSNSのメッセージまたは、公式サイトからWhatsAppでお願いします。e-mail ruach(アットマーク)live.jp Instagram FB   Twitter 

◇お申込み締め切り 定刻の前日20時までです。お申込み、お問い合わせも、お待ちしています。

その他に、

◎奇跡の講座

ヒプノセラピーインナーチャイルドワーク、前世療法、ハイヤーセルフ)

◎スピリチュアルカウンセリング

◎エネルギーヒーリング

◎ヒーラー、ヒプノティスト養成講座

各種、対面・オンラインで対応いたします。

詳しくは公式サイトをご覧ください。

https://harikyu-suwa.jimdosite.com/

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天とつながり地に降ろす

自分の人生はことごとく、成し遂げない人生だと思う。

やり続けることもやめないことも不得意だ。

クライアントさんから、そのような相談を受けることも多かった。

仕事が続かない、同じ場所に通い続けられない、など。

 

HSP、エンパス、アダルトチャイルドなど、要は敏感で共感体質、傷つきやすいことが直接的、間接的な妨げの元になっていることが殆どだと思う。

自分も例にもれず、同じ場所に3日通い、同じ人と顔を合わせ、そこが自分に合わない場所となれば、途端に生気を失ってしまう。

そして多分、この世の殆どの場所が自分には合わない。

 

人の波長に共振する力が強く、周囲に無意識に合わせ応えることが自然なので、修正とメンテに手間暇がかかり、怠れば故障してしまう。

生産性が低くコスパが悪い上に持続可能と言えない。

細かいことがやたら気になる上、正義感や責任感が強い。

けれど、処理能力に乏しい。スタミナもない。

ショックに弱い。愛が欠如すると亡霊のようになる。

とても生きにくい。生きづらい。生き抜く力が大幅に足りていない気がする。

 

そんな私がこの世での救いとして導かれたのが、真理だ。

 

真理においては、肉体という自分は真の自分ではない。

そのことが分かる以前は、この肉体という乗り物をなんとかすることが人生だった。

乗り物をなんとかしようとし始めるときりがない。

 

私に限らず、この肉体という乗り物は不完全過ぎて、欠乏を上げればきりがない。

それをなんとかしようとすることは、終わりのない欠乏の穴埋めをして、最終的には欠乏に敗北して命を終えるのを待つことである。

どうして私以外の人がそのことに気づかずに、希望を抱きながら生きていけるのかが不思議だった。

 

そして、そのように感じていたことはあながち見当違いではなかったということも、真理を学んでみてわかった。

乗り物のほうを自分自身だと認識すればそこには敗北と絶望しかないし、神、愛、真理が本当の自分だということを知れば、そこには希望しかない。

 

ただ、この世界は希望と絶望に二分されていて、前者は有利な肉体を持つ人の持ち物であり、後者は不利な肉体の持ち物となっている。

その両者はどちらも幻想に過ぎない。

 

実際には真理に相反するものは存在しない。

対極が無いものが無限であり、無限なものを真理と呼ぶからだ。

 

私たちは肉体という乗り物に乗って幻想を旅している。

ただし、神という実在を乗せて。

 

この幻想世界では絶対に真理に目覚めてはいけないというルールの上でゲームが進む。

この幻想世界では、善と悪が対極をなし、正と邪がどちらも実在するようにふるまう。

真理に目覚めると、その陰影そのものに光が差し、影を消し去ってしまうからだ。

そうなれば幻想そのものが消えてしまう。ゲームが終わってしまう。

 

続けるとはなんだろう。

成し遂げるとは。

 

幻想が消えれば続けるという幻想も消える。

続けるというのは時間という幻想の帯に移る陰に過ぎない。

成し遂げることも更なり。

 

そこに良し悪しをつけているのは自分の知覚に過ぎない。

 

これを実際の自分の生活に適用することは可能だろうか。

もちろん可能だ。

 

私たちには「今」しか与えられていない。

その今を理解することができるのは心だけだ。

 

形や肉体や自我にそれを理解することはできない。

私たちには心が与えられている。

 

ここまで整理すると、二つはっきりすることがある。

続けるというのは選ぶことの連続でしかないということと、成し遂げるということは不可能だということ。

 

私たちは、今選ぶということしかできない。

選ぶということは意思するということでしかない。

結果を選ぶことはできない。

意思したことから引き起こされたかに見える幻想があるだけである。

 

私たちには無限の選択肢があるかに教えられているが、その選択肢とは過去からの反射に過ぎない。

 

選択とは、過去からの反射に身を任せるのか、それ以上のものに身を任せるかのどちらかしかない。

 

これが私たちというシステムだ。

 

この世が生きにくい理由は、この世の仕組み自体がでたらめだからだ。

その上に価値がでっち上げられ、そこから外れることは罪とされている。

そのでたらめなルールを採用しているのは私たちでしかない。

 

では、選ぼうではないか。

選びなおそうではないか。

 

そのためには、

1,でたらめなルールを放棄する。

2,それよりも正しいものを意思する。

 

それよりも正しいもの、というのが真理だ。

真理とは私たちの本質そのものであるため、それを選ぶことで思い出される。

 

でたらめなルールでありながらそれが採用され続けてきたにはそれなりの訳がある。

それがあたかも正しく、実在するかに知覚されてきたことが理由だ。

私たちは無意識にそれを選んできた。

だから1,それを放棄するためには、意識的になる必要がある。

そして無意識のままそれを採用するのを拒み、

2,そのたびに本質のほうを選びなおす必要がある。

 

変化するというのはこのことであり、このこと以外の選択は、選択ですらない。

変化に見えるものは堂々巡りに過ぎない。

 

ここまで進むと、冒頭の議題自体に意味がなくなってくる。

続かないし成し遂げられない自分は、存在すらしていないことになってくる。

代わりにみつかったのが、神によって創造された真の自分である。

 

人生の途上のあらゆる問題とは、この出口をみつけるための機会に過ぎないと、今ならわかる。

この出口とは自我が作った世界からの出口である。

 

真の自分はあまりに神と同質過ぎて、この世の認識からはかけ離れて見える。

それほどにこの世は狂っている、という見方が恐らく正しい。

 

真の自己を認識し、受け入れ、完全に思い出すまで、幻想の旅は続く。

この世で言われている人生の旅とはまるで違う。

この世で推奨される旅とは、目的とゴールをみつけないための旅となっている。

それほどまでにこの世は狂っている。

 

世界がこのままでいいはずがないように、私たちがこのままでいいはずがない。

しかしその目的は成し遂げられるべきものではなく、ただ気づかれ、訂正され、受け入れられ、思い出されるべきものだ。

 

最後の一人までがそのような目覚めをするまで、私たちが目覚めたとは言えない。

誰かが眠っていれば誰かも次の瞬間に誰かの夢の中に吸い込まれてしまう。

そしてまた本質と繋がっている誰かが、眠り込んだ誰かの手をつかむ。

そうやって、私たちは永遠の一つの心の中にいる。

 

 

瞑想は、永遠の一つの心の中に目覚めること、かもしれません。

4月のオンライン瞑想会は2日㈰と17日㈪の午前11時からです。

ぜひご参加ください。

概要はこちらです。

azworld.hateblo.jp

ご連絡をお待ちしています。

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