先日フェイスブックにつぶやいたつもりが長くなって、せっかくなのでこちらにも上げておきます。推敲していない文章なのでお見苦しいところもありますが、以下転載。
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映画、『戦場のピアニスト』を公開時に映画館で見て以来11年ぶりにDVDで。
改めて本当にすごい映画だと思った。
二度目だし、シーンやセリフも結構覚えていたけれど、それでもすごく緊張しながら見た。
冒頭から、あれよあれよと市民が戦争に巻き込まれていく感じがあんなにリアルに描かれているものは少ないと思う。
ユダヤ人がじわじわと逃げ場を塞がれていき、まさかそこまで、まさかそこまで、そんなに長く続くわけがない、と思っているうちに収容所へ送られる。
収容所が今より良いところなのかどうかもわからないまま。
その場で射殺は当たり前。
抵抗も、質問すらもできなくなる。
完全なる家畜。家畜以下。
心や尊厳を持つ人間が、心や尊厳を持つ人間をそのように扱い、当たり前にことが進んでいく。
終戦を向かえると、支配者だったドイツ軍は捕虜になる。
心あるドイツ人も同様に収容される。
本当にクレージーなことだけど、人間は追い込まれるとああなる。
個々がどうであれ、ああなると思う。
勇気ある人や、心ある人は即殺される。
追い込まれてからでは遅い。
いったん戦争になると、平和な良識なんて全く通用しない。
憲法を国家の都合のいいように変えるのも、国民に秘密を作る法案も、結局は人間が尊厳を失う道に続いている。
家畜以下の道へ続いている。
まさかそこまでは、まさかそこまでは、とずるずる後ずさりをして、地獄へ落とされる。
殺す方も殺される方も結局は地獄だ。
これは酷い、市民や子どもの生命をどう思っているのか、と日本の現状に疑問を持っている人は多いけれど、生命のために政府が動くのであればもうとうに、まったく違う方向へ動いているだろう。国家は市民や子どもの生命を守るためにはまったく動いていないということに気づいて認めなくてはそこから先へは行けない。
憲法改定で、内容次第ね、という考えは一見正論だけど、本当は違う。
国家が国に有利に変えるということは市民にリスクが来ることと直結している。
政府は実利のない無駄なことをわざわざしない。
世論を騒がせるようなことでは特に。
例えば今は少しお金が増える人もいるだろうけど、そのうちに家族に地獄が入り込んでくるだろう。
秘密保護法って言われたら、終わった、と思わなくては次に行けない。
権力は被権力に対して隠したいことだらけだ。
そんなの当たり前だ。
とうとうそれをあからさまにやろうというのだから相当本気だということだ。
私たちひとりひとりがどんな意思を持つか、それが大事だ。
一番いいのは認識を共有することだ。
現状を把握し共有することだ。
そうしなければ、力を合わせることができない。
力を合わせなければ大衆は権力の流れに抵抗することすらもかなわない。
主義や方法ではない。
まず現状起こっていることを観て、それを共有することだ。
共有するためには知ること、考えること、そして伝えることだ。
伝えあうことができるのもいつまで可能かはわからない。
でもそれしかない。