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どっちがサルか

少し前に石原都知事が 「原発に反対するなんて、サルに退化するのとおんなじだ」(だったかな) というような発言をされたとの報道を読みました。 核というのは人類の進化の証であり それを開発するのは人間としてまっとうな進化だから それをやめろなんていうのはばかげた考えだ、というような意味だったと思います。 「こういう意見に対してどんな反応が多いのだろう」と思い その記事に対するツイートを開いてみました。 なんとなく予想していたのは 「けしからん!」と「正論だ!」でしたが やはりおおざっぱにこの両方が多かった感じを受けました。 私にはどっちの意見を言っても石原都知事の思うつぼのように思えます。 「正論だ」はそう言わせるのが目的ですし、 「けしからん」という意見は正論によってつっこまれやすいからです。 石原都知事の発言はつっこんでかみくだくと 「人類の進化は技術や科学、文明の進化だ。 人間はそれに対して貪欲であるべきだ。 その前進のためには一部の人間の命や立場の犠牲は当然のことだ。 人類はそのようにしてこれまでも進化してきたではないか。 それにいちゃもんをつけるなんていうのは目先にとらわれた臆病者の意見なんだ。」 という感じでしょうか。 この字面を追うと実にこれは正論だと思うのです。 人類がそうやって様々な犠牲の上に進歩してきたのは明白な事実です。 石原都知事の人気があるのはきっとこういったところで 言いにくい正論をズバッと言える強さに人々は頼りになる感じを受けるのかなぁと感じます。 日本のリーダーには確かに数少ない、貴重な人と言えるのかもしれません。 ですが、です。 それはあくまで非常に限定された仮説の上に成り立つ理論上のお話。 進化というものを物理的な被対象物だとし 人間を動物のヒエラルキーの頂点に座する王者だと仮定し 「強いものが勝つ」「勝利者こそが支配者」の論理こそを真理と踏まえたときに成立する 正論だと私は思います。 霊的な師が彼の話を聞いたらこう言うのではないでしょうか。 「どちらがサルか、よく考えてみよ。」 たとえ進歩だとしてもそれを達成したい思いは欲望です。 その欲望のたねを目の前に差し出されたとき 出されたものをすべて手にとって、手に入れてしまうのはサルと同じです。 与えられたえさは全部食べてしまうということですね。 でも人間には理性があるのです。 差し出されても手に入れないという選択ができるのは 誘惑に惑わされなかった仏陀の態度と同じで 人間の神性から来る叡智でもあります。 人間の進化を言うのなら その神性、霊性を内面に育て受け渡すことこそが最も重要な進化であって それ以外の物理的な進化とは その目的を助けるために存在していると言ってもいいものです。 さらに重要なのは 正論の背後には、コントロールが潜んでいるということです。 政治に利用されている宗教などにも言えますが 正論は扇動に用いられやすいものです。 正論と真理の間には天と地ほどの大きな差があります。 正論は思考によって物理的に逆算されて導き出されますが 真理は神の叡智から超越的に導き出されています。 人間は通常思考を使ってものごとを判断しますので 正論のほうが多くの人が信じやすいという構造になっています。 次元が高くすべてを幸せに導くのは周知のことながら真理のほうであり 私たちは見分けて選び採るちからを持っています。 それがハートによって判断するというやり方です。 そのちからをこそ養うことが、世界を愛と平和に導くものと信じています。


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