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トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

りゅうさまへ(愛について)

前回の記事にりゅうさまからメッセージをいただきました。 そのお返事です。 りゅうさまが私はいつも愛について書いている、とおっしゃるのを読んで 正直びっくりしました。 なぜかというと私はなるべくブログの記事では 愛には触れないように気をつけていたつもりだったからです。 それはなぜかというと、 愛という言葉はこの人間界では まだ共通認識というものがあまりに確立されていないばかりか 誤解されることが多いので、全体の文意が損なわれると感じていたからです。 それと同時に、私自身が愛をいうものを全体として捉えることが できていないと思っていたからです。 ですからやむおえず書いたとしても、それはなるべく 捉え難いもの、簡単に説明のつかないもの、という風に感じて想像してもらえたらな、 という私の意図がありました。 ですから、愛が出てきたとたんにちんぷんかんぷんになる、という 誠に正直な言葉で表現してくださったのは 決してりゅうさまの認識がたりないとかそういうことではなく 私の意図をそのまま受け取ってくださっていたということなのだと思います。 今世の中に出回っているスピリチュアルの概念を勉強して実践すれば 意識とかエネルギーとか、目に見えないものの仕組み 宇宙の法則、といったものがだいたいみんな同じようなことを指していて それを利用すれば、自分の目に見える状況や心のあり方などを変化させることも可能だ、 ということで、生活向上のために、とか成功するために、という感じて スピリチュアルというのはなんとなく 便利なグッズのように取り扱われているように思います。 私はそれを使って確かに自分の人生を地獄からなんとか立ち直らせることができてきました。 ですが私は本質的にすべての人を救うことができるもの、というところから やっぱり離れることができません。 つまりそれは「真理」を求めるということです。 ツール(方法、技術)は大切なものですが、用途と目的が明確でないと 人の内面(心)や人格、人権を傷つけかねません。 ツールは神が与えてくれても、使うのは人間です。 使い手は神の御遣いという姿勢で臨まないと あっという間にエゴや利己主義の遣い手になります。 ですから、スピリチュアルのツールを使う人は自分のエゴをよほど見張らないとならないし もっとはっきり言えば、 神へ還る道を探求する人だけが使ってもよいものなのではないかと思うのです。 今の私が愛について言うなら りゅうさまにとっては当たり前すぎる言葉かもしれませんが 愛は神のこころだと思います。 神とは完全で無限で一つであるものです。 完全で無限で一つであるということは対極はありません。 完全で無限で一つであるものの外には何も存在しません。 私は子供の頃から、心の苦しみから何とかして逃れたいと、その道を探してきました。 この世には神というものがあって、神は完全だという。 多くの人が信じている宗教があるということで もちろん答えを探して首をつっこんでもみました。 ですが、どうしても、そこにある概念(真理と言われているもの)から 私も、周囲のいろいろな人々も、こぼれ落ちているように見えました。 そしてそこに登場したのが意識の仕組み、宇宙の法則など ニューエイジとかスピリチュアルと言われる概念でした。 誰かが頭で考え出した理論と違って、 トランス状態になった人が聖なる存在からチャネリングによって受け取った情報、 というものに触れたとき、これだと思いました。 ニューエイジやスピリチュアルは、 古い概念をものすごいスピードで解体してきたと思います。 古い概念の一つには、 人間のつくった(既成の)宗教による人間の法も含まれていたと思います。 ですから彼らは、神、という代わりに宇宙・エネルギー、という言葉を使いました。 愛という言葉は以前から人間の間で使われてきましたが そこには人間のエゴがつくりだした投影や感情といった意識が含まれていたので やはりエゴの集合意識がある程度解体されるまでは 愛について語るのは容易ではなかったのだと思います。 ニューエイジやスピリチュアルの概念は一見とても矛盾がなく これまで人々がさんざん悩まされてきた疑問にも見事に答えてくれました。 それによって、こじれた意識の問題に多くの人が取り組むことができるようになり 心を大切に思う人(心より物、という人が実際にはたくさんいた中で)が 息を吹き返してもきました。 けれどその中でも問題はたくさんあります。 いったい人はどこへ還ればいいのか。 どうなれば、もうそれ以上求めなくても済むのか。 どんなに学ぼうと得ようと与えようと、 結局もっと、という意識が在る以上は満たされないし悟らない。 幸せとは?満たされるとは?目覚めとは? その最終形態を明確に示せる人がどれだけいるのでしょう。 たくさんのスピリチュアル商売が誕生し あれが効くこれがいいこっちはもっといい誰がもっと上だ。 私には、どこまでいっても人間は 同じところをぐるぐる回っているように見えてきました。 物から見えないものへとターゲットが移っただけで 人間がもっと、もっとと求めるている以上は霊性(スピリチュアル)と 関係がないように思えました。 感情を早く超越したいがために、心を重要視せずに 心をますます閉じているスピリチュアリストもたくさんいます。 悟ってるふりです。 どれもなんか違っている気がしました。 私はずっと、 人が愛を学ぶために地球にいるのは当たり前のことだと思っていました。 愛を誓って結婚するのも、家族や隣人を愛するのも。 その中で、真実を少しずつみつけ、分かち合って行くのが人生というものだと。 当たり前すぎて、文章にしてみると陳腐にさえ見えてしまいますが。 でも、本当のことをいうと、 人生で自然に愛を学べてる人なんてほとんどいません。 そして、みんな密かにそのことを恐れています。 それはなぜなんでしょう。 それは、神はこの世の延長上にはないから、なのではないかと思います。 愛を神のこころと言わせていただくなら この世(時空が存在し、2極性の)で 想像するもの(過去と照らし合わせて人が予測できるもの)の中には 愛は実在しないということです。 中学の時私が一番仲良しで影響を与えてくれた友達の卒業文集の作文の冒頭は 「この世に絶対存在しないものを求めて生きてゆこう。 例えば、オールマイティー。」でした。 私の中にこの感覚は、ありでした。 長いこと私は、この世にないものを求めて生きてきましたが それでも絶望はしませんでした。 そして最近になって、最後の矛盾を解き放ってくれる概念と出会いました。 それが、「この宇宙さえも、神はつくらなかった」そして 「宇宙はない」というものでした。 この概念は私の中で少しずつ構築してきた真実のビジョンにとどめをさすものでした。 つまり私たちこそが幻想世界の住人なのです。 そして、私たちが幻想から目覚めさえすれば そこには永遠で無限で完全である神の世界があるということなのです。 永遠無限完全なる世界を神と名づけるなら 神には対極はありません。 ですから、私たちの宇宙は実在しないことになる。 そのように仮定してみると、私がこれまで感じてきたこの世の欺瞞は 一瞬にして解消されました。 地球のところどころにしか及ばない神の業と呼ばれているもの。 まるで神とはちょっと進化したサイキックのような扱いでした。 望みは時々叶えられ、不幸は後を絶たない。 私の中で神の力がいまいち信頼に値しなかったのは そういうわけだったのです。 地上の神は、幻想の一部に過ぎなかったということです。 ですから、私たちは地上でなんとか自分の力を高めようと奮闘してきました。 スピリチュアルのツールをかたっぱしから身につけなくてはならなかったのは そういうわけだったのです。 形を変えた武装と大差なかったのです。 けれど、もうそんな必要はありません。 なぜなら、私たちは夢から覚めれば、永遠の中にいるわけです。 神の国にいるわけですから。 するとようやく、私たちが地上(幻想の中)で取り組むべきことも はっきりしてきました。 それは、私たちを幻想にとどまらせようとする仕組み(エゴ)を 解体することです。 この世に(恐らくは聖なるものから)もたらされた たくさんのツールの使い道もはっきりしてきました。 武装ではなく、解体のために。 私たちはどこへ還るのか。 愛とはなんなのか。 それだけは、やはり神抜きには語れないものなのではないでしょうか。 結局のところ私は、愛以外にすべての人を救うものはないと思っています。 すべての人を救うっていうのは、 少なくてもこの地球の存在すべてが 幸せの帰路に着くことができるってことです。


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