興味はあるんだけど、なにか病気を治されちゃうんだと思ってらっしゃる方、 催眠術にかけられちゃう、またはかけられたい、と思っていらっしゃる方がまだまだ多いです。
ヒプノセラピーは、自分の中身を知るためにものすごく強力で役に立つツールです。 前世を体験するのにも使われています。 子供の時のトラウマを発見し、受容、変容させる事にも役立ちます。 なによりすごいと思うのは、本当の自分に出会えるということです。
前世を知りたいと思っていらっしゃる方は昨今多いようです。 知りたい、と感じる方はぜひ知ってください。
他人から「あなたの前世は・・・」と言われるより 自分で前世の人の思いを感じることは、 予想以上に「受け取る」ものがあります。
「僕は過去世はお坊さんだったんだって」のようにおっしゃる方は多いです。 「前世で人を殺していたらどうしましょう?」と恐れてらっしゃる方も多い。
でも、考えてみてください。 人類の歴史を振り返って、争いのない時代があったでしょうか。 壮絶な生存競争の歴史の中で、 何度も何度も人間を体験してきた魂です。 殺したり殺されたりしていないほうが不思議じゃないですか。 と、私はいつも説明しています。
自分だけが殺していないなんて考えることのほうが不思議です。 たまたま自分が殺していなくても、 集合意識の中にはたくさんの争いの想念が刻まれているはずです。
実際手を下さなくたって、人の命の犠牲の上に自分の命を存続させたという意識は 常に存在してきたでしょう。
人間じゃなく、動物や虫だったこともあるかもしれません。 蛇に丸呑みされたカエルだった記憶も、どこかに残されているかもしれません。・・・
そんな風に意識を広げてみてください。 すると、本当に、この地球で起こっていることすべては、 自分と繋がっているし、関係がある。 また、自分がどんな思いで生きるかが、 この世界をかたち創っているのだということに気づくでしょう。
そんな風に意識を拡大することの助けになるのなら 前世を探求することにも重大な意義がある。
ですから、今の時代、前世が流行しているのも 人間が意識を拡大するための何かのきっかけとして起こっているのかもしれません。 そして、最終的に前世はなかった、としてもいいんじゃないでしょうか。
前世はなくても前世のように思い出せる機能とそこからメッセージを受け取れる機能を 人間が持っているということは確かです。 けれど、ヒプノセラピーの醍醐味はそんなもんではありません。
みなさんは、ご自分を「こんな人」とある程度ご存知だと思います。 ですが、そのように認識している部分が全体の10%だと知ったらどうでしょう。 またはそれが全然見当はずれだとしたら。
「私ってこんな性格」と思っているものは実は単に外界に対する反応に過ぎず 本質とは別のものです。
反応はクセを持っています。クセは後付けされたものです。 年齢退行や過去世回帰して、そのクセがどこから来たかを知ることもできます。 そして、後付けされたものをしっかり認識し分離することで 元々の本質へとだんだんにせまることができます。
それらの作業を、あたまでやるのではなく 意識の深い部分で観じることが ヒプノでは可能です。
瞑想に熟達していればもちろん一人でできます。 ヒプノは2人でする瞑想のようなものです。 さらに問答形式なので、明確になりやすいのです。
本質といわれてもそれがなんなんだと思われるかもしれませんが、 人はみな本質の望むように生きれば幸せだし 本質的には、すべては思うようになっています。
ところが本質のニーズとあたまで考えるニーズが合致していなかったり 本質を誤解しているので葛藤が起こり、悩み苦しみが始まるのです。
自己分裂です。
魂があっちへ行こうとしているのに 足をそっちに動かしていては いつまでも行きたいところへは行けません。当たり前です。 タクシーに乗って、行き先を告げずに「走ってください」と言っているようなものです。 「なかなか着かないな~」って、当たり前です。
私が思うに、現代に生きる私たちは、 自分の行き先を探すゲームに一生をかけている場合ではないのだと思う。 常に、目的の場所にいて、存分に自分を表現しながら生きていいのだと。
飛行機は地球を飛び回っているのに どこに行っていいのかみんなわかっていないなんておかしいでしょう。 人間が発明した道具に負けている場合ではないんです。 (単に場所のことを言っているのではありません。 場所を変えなくたって今から「目的になった」自分として生きられます。もちろん)
多くの人が、自分の居るべき場所で存分に地に足をつけて本質を生きれば 本人だけでなく周囲を明るく照らすことができます。
私たちは本当に実際にそうするかどうか、という瀬戸際に生きている。 現在何か不自由を感じているなら、 本当の自分を探求するチャンスを与えられていると思ってください。
探求することに終始せず 今、完璧な場所で完璧な今を生きましょう。 存分に与えられた命を生きるために。