セラピストを続けているうちに、神の意識の介在なしに本当の癒しはないとわかった。神の意識とは超意識、無限の愛と言い換えてもいい。
OSHOの言葉に「サイコセラピストたちは、ただあなたにつぎを当てて修理するだけだ。サイコセラピストは、あなたを変容させるために存在するわけではない。あなたに必要なのは、メタサイコロジー、ブッダたちの心理学だ」とある。
私自身の体験として言うのだが、前者は原因と結果、加害者と被害者を分けて、あなたがどこに属しているかを分析する。あなたはこの世界に居場所をみつけていったんは安堵するかもしれない。しかしその居場所はやがてあなたを閉じ込めてその生命、魂を縛る。それはぬぐえない後悔や失態を残す。あなたがどちら側に属したとしても。
それは癒しではない。赦しではない。それは分離だ。
本当の救いとは、癒し一つになること、統合に私たちを向かわせる。それこそが人間の奥底に横たわる叡智であり光という薬だ。それは修復するのではなく、すべては前進であったと気づかせる。それが変容。
変容へは私たちが最も高きものに求める思いによって導かれる。潜在意識という混沌を超える秩序が超意識でありそれが私たちを魂と一致させる。それが統合。その働きこそが奇跡。
奇跡を願い呼び込むもの。それがヒーラーの本質だと思う。
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