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トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

世界の逆転

先日の勉強会、いらしてくださったみなさん、本当にありがとうございました。私がご提供できることなんて本当に限られていますが、みなさんがお集まりくださることで、意識を向けるべき点や方向性が示唆されます。本当に充実したお時間でした。何しろ、人の優しさや思いやり、神聖さを感じさせていただき共有できることは、それそのものが人を幸せにするものだとしみじみ思います。

誰もが自身の持つ優しさ、愛、神性を意識しながら人や社会とかかわることのできる、優しい世の中であってほしいと切に願います。ただそれだけで、世界は一瞬で変わります。いつも言いますが、ライトワークはいつでもどこでもできます。一人でも他者といても。人知れず、内なる神とともに作業をすることは、称賛とも報酬とも無縁かもしれませんが、誰よりもそれをしている自分自身にはその手ごたえがわかります。人を照らすのは、なにより自分が満たされることですし、自分が満たされることでさらに世を照らすことができます。それを一番喜んでくれるのは神ご自身です。

昨日はキッチンに立ちながらふと、自分が困窮に喘いでいたころのことがよぎりました。選択の余地のないことだらけでしたが、それだけに、物事の優先順位はいたってシンプルで明快でした。まず食べる、家賃を払う、着る、そして自己表現する。そして、目的は幸せになること。それらをタイトな条件でこななさければならないとき一番大事なのが心の管理でした。

健康、と言いたいところですが、からだは、心に着いてきます。まずは心です。

私は心に非常なトラウマを持っていました(当時はそれすらわかっていませんでした)ので、普通のこと(生活)を普通にこなしたり維持することがまず困難でした。スピリチュアルの学びなしには意識を保つことはできませんでした。

お金も精神力も体力もいつも足りていませんでしたが、この苦からいつか抜け出そうという思いだけはありました。まあ、苦しいからなんとかしよう、というだけの発想ですが。

当時は「げんき?」とあいさつされると「はい」と答えるのがしんどい状態で、ついまじめに「いいえ」と答え、相手をびっくりさせたり、「なにかあったの?」ときかれると「なにも。ただ人生に疲れてます」などと答えていました。

心がそれ以上ダウンしてしまうと動けなくなってしまいます。

今ではセッションをしていると「動けなくなる」とおっしゃっている方によくお会いします。その感じがとてもわかります。心が重たくふさいで行先を見失うと、文字通り動けなくなります。これは、物理次元しか見えなくなっている状態なのだと今ではわかります。魂が向かうべき光を見失うのです。

しかし「動けなくなる」は、社会では通用しない理由でしたから、動けなくなる前に自分で手を打たなくてはならない。こういう自己統制が、自分の人生では大きな障壁でありテーマでした。

やりくりして小銭が手元に残るとそれを押入れに放り込んでおいて、それが貯まるとそれで、スピリチュアルのセッションを受けていました。いつも阿佐ヶ谷の古本屋さんで本を真剣に選び、これという一冊を探し、読んで実践しました。どうしても自分を変えなくては(いやさなくては)ならなかったし、一刻の猶予もありませんでした。じっとしていたら恐れや悲しみや孤独に自分が呑み込まれてしまいそうでした。

自分はボロボロでした。そのボロボロは自分にしか理解できないところです。家族や社会や世間はわかってくれません。病院や宗教や学校は直してくれるところではありません。また学びと言っても知識を得て理解するだけでは自分を変えるちからはありません。むしろ苦しみは増すばかりです。ですから、自分の中に、直すちから(気づきと、神)があるのだ、という考えこそが私にとって救いでしたし、それしか他に方法はみつかりませんでした。

なにがボロボロだったといえば、私は心が傷つき果てていました。最初は環境から、次にはそれと戦っている自分のありさまに。

私は本当は、人が真実に気づき、それを求めるのに、ボロボロから立ち直るというきっかけはいらないと思っています。しかしなににしろこの世のありように絶望しない限り、人は既成の「観かた」を手放しません。

既成の観かたは、それまでに与えられたもの(体で感知した体験)を真実だと受け入れて、それを基準にします。どれだけ自身の深くまで潜ってそれを問い直すか、そして、ーここからが重要ですー本当の価値、本当の基準とは何かに気づくことです。この部分なしに、やたらと掘り起こしてみても、掘り起こしの作業にはまってしまうだけで、光りは見えません。

希望も光も神聖さも、恐れも暴力も不平も、すべては私たち個々の内側に備わっています。しかし一見混沌と散らばっているこれらの意識の特性をみつけ、何が「普遍・不変・不偏」のもので、なにがかりそめの思い込みによってつくられたおばけなのかを見分けるのです。本当はおばけなんかいないんだ、という真実を受け入れ、本物の世界を観るのです。この作業は、瞑想かそれに類するワークを通してしか不可能です。

おばけの世界では、おばけを現実と呼び、真実をおまけのように扱います。この世界の逆転をもとに戻すことが、内なる神とつながって生きることであり、平安と自由を同時に手に入れることです。


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