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伯母・麻生アヤのこと

以前KEEP MY BODY&SOULのコーナーに書いたことのある母方兄弟の長女である伯母が昨年11月23日に他界いたしました。享年69。

一昨年のその伯母の息子である劇団主催の従弟の結婚式で会ったのが元気な姿の最後でした。 亡くなってから改めて感じるのは、私がいかに伯母の影響を強く受けていたかということです。

伯母は才気煥発、博学、才媛・・あまりそばにいると、うざい存在でありました。 たとえば私が小学生の頃、山口百恵ちゃんの自伝なんぞ読んでいたらとてもばかにされたという記憶があります。 高校生で太宰を読んでいれば「今頃そんなの読んでるのか、もう卒業する時期だ」などと言われたものです。

それから伯母は美意識の大変高い人でした。 高校生でひどく落ち込んで体調も優れなかった私が、今で言う摂食障害の状態になり太ってしまった時もかなり手厳しく非難されたことがありました。 私は精神的にもかなり不安定でつらい時期だったこともあり、ひどく傷つき心の中で反発も感じました。

けれどおおむねはいつも私をお姫様のように扱い、美人だ美人だと言ってくれ、何かしゃれたことを言ったりするととても大げさに褒め称えてもくれたりしました。

それから洋服やバッグやアクセサリーは3分の1くらいは伯母にもらったもので育ったようなものです。 小学生の頃から伯母のお下がりを着ていました。 伯母は黒柳徹子さんのように一度ステージなどで来た服はもう着なかったりするので、しょっちゅうダンボールで宝の山が岡山から送られてきたものでした。 いったい何者だという感じになってきましたが、伯母の肩書きは私にもよくわからないくらいたくさんあります。 私が物心ついた頃にはフリーのアナウンサーをしていました。

岡山に遊びに行くとラジオから伯母の声が聞こえていたのを覚えています。 その七光りで従弟はコマーシャルに出ていました。 私はその頃超売れっ子の声優さん(仲村秀生)の娘でしたから、テレビからお父さんの声が聞こえない日はなかったものです。 私だっていつか出られるだろうと心のどこかで思っていたように思います。

伯母はお化粧がとてもうまかったので小さかった私は魔法でも眺めるように伯母の化粧の手順をじっと見るのが好きでした。 けれど晩年の伯母は素肌がとてもきれいになったので(若いときよりうんときれいでした)とても薄化粧でした。

それから割烹やバーを経営していたこともありました。 バーには高校生のときにカウンターに立たせてもらったことがあります。 何もせずただ伯母のすることを見ていただけで面白かった。 厚揚げを煮たやつをちょこっと小皿に盛って出したりして。 注文されなくても出すってところがなんか大人の世界でした。(笑)

司会者としてはとてもやり手というか先生と呼ばれる人で、お弟子さんも何人もいたようでした。 テレビせとうちのプロデューサーをしていた時もありました。 確か定年まで勤めたんじゃないかな。 その後は倉敷の文化芸術振興財団にいて、日本の古典芸能や舞台芸術を後押しする仕事をしていたようです。

私が以前いた劇団プロジェクトMの座長の丸ちゃんこと丸尾聡と劇団燐光群坂手洋二さんと3人で写ってる写真を伯母からじゃなくて誰かから(丸ちゃんだったかな~)もらって、へーおばちゃんこんなことやってるんだとびっくりしたこともあります。

でも正直その頃は、私も芝居の世界で七転八倒していたものだからあんまり同じフィールドには来てほしくなかったりもしましたね。 あと、その前に政治家として出馬したこともあります。 えーっとどこまでしゃべっていいのかわからないけど、私は一度議員会館に連れて行ってもらったことがあります。 「こういうところにはなかなかこれないだろう」と言って。そりゃそうです。 確かその時有名な方にお会いしてお茶を飲んだと思うけど名前は忘れました。

それから2人で銀座でデートしたこともあります。 確か帝国ホテルのティールームで待ち合わせをしたんです。 そこでお茶して待ってるように言われて「待ち合わせっていうのはこういう所でするものよ」と言われました。

それから銀座をぷらぷら歩いていると、選挙の宣伝カー(?)が止まっていてその屋上で演説してる人が伯母を見つけ、マイク片手に「麻生さん!麻生さん!!」と叫んでいました。 伯母は嬉しそうにちょっと恥ずかしそうに笑って「あらあら江田さん」と応えしばらく話をしていました。 その人はそうです、江田さつきさんでした。

銀座では資生堂パーラーにも連れて行ってくれました。1杯千円くらいするコーヒーにびっくりしていると、「こんなことで驚いちゃだめよ、おしゃれってこういうこと」と諭されたりしました。

ある時ふと思いついて麻生アヤ、とネットで検索してみるとかなりたくさんの記事が出てきました。 ライフワークのように続けていたのが、お寺の境内の一角で行う野外の朗読劇の一人舞台でした。 残念ながら私は一度もそれを見ることがなかったのですが、写真を見るとそれは想像以上に美しい舞台でした。 こうして書いていると書き終わるのが怖くなってきました。 書き始めてしまったことを今ちょっと後悔しています。

伯母の話はまだしばらく続くということにさせていただきます。


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