安保法案が強行採決され、SNSでちらほら見かける、もっともらしいおかしな見解『私は戦争に反対しません』について思うところを今日は書きます。
『意識を平和にフォーカスすれば平和が顕現する』というスピリチュアル的な教えを頭でっかちに解釈すると、一度は出くわす命題だと私は解釈しています。こういった課題は1980年代に誰もが通り過ぎたものだと思っていました。
しかし昨今のSNSをみているとこれは純粋な思い込みというより、プロパガンダの匂いがプンプンしています。
夫などは「全くばかばかしくてくだらなく取るに足らない考え」と評価していますが、私は誰もが陥る可能性がある詐欺のような落とし穴なのでは、とも感じています。私には多分に頭でっかちの素養があるからかもしれません。ですから世の頭でっかち仲間にこの文章を捧げます。
『戦争に反対しません、なぜなら、反対するというエネルギーはネガティブだからです。だから私は平和だけを思います。』というような考えは今、私のハートにはこんなふうに響きます。
「私はうん〇をしますが決してうん〇を見ません。美しい空だけを見上げます。」あなたが美しい空を見上げている間にあなたの足元ではせっせとあなたの排泄物をお掃除してくれている人がいることなどお構いなし、どころか、その人たちに向かって「あなたたちはネガティブエネルギーに汚染されています」と宣言するような行為だ、と。
汚いたとえすぎてすみません。もう少し理知的なたとえをします。
戦争というのは人類が長年患っている病気のようなものです。もしあなたが平和という健全性を望むのであれば、その病気を無視しているだけでよくなるのでしょうか。それは地に足がつく行為だといえるでしょうか。
あなたの身体の一部が病気であるとき、あなたは病気がない部分だけにフォーカスして、「私は健康です」と言い張るのでしょうか。それは単なる愚かな盲信です。
あなたが病気を無視し続けなくてはならない理由はなんでしょうか。それは病気を心底恐れているからではないでしょうか。その恐れこそが、病気を治さないでおくネガティブエネルギーではないでしょうか。
戦争という病は、私たちの意識にすでに長年存在してきた毒が作り出しています。それを切り離して平和だけを思うことというのは実際には不可能なのです。食べ物だけを見て、排泄物を見ない行為は健全性からすでに切り離されていて病的だと言えます。
もしあなたの心が癒されて、真の平和を感じることができるスペースを持っているのであれば、どうぞ現に存在している病気や毒や排泄物のあるがままを見て、蓋をせず受け入れて、そしてそれを丁寧に掃除することから始めましょう。
戦争という病はあなたの身体の一部に巣食っていて、あなたが自分のこととして、愛をもって処置されることを待っているのです。