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トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

夢がまことになるとき

意外にも多くの皆さんがご自身のインナーチャイルドと重ね合わせて読んでくださった 私の小学校6年4組のクラス会、その後の物語です。 物語は私が何度も何度も繰り返し見る同級生の二人の親友の夢から始まりました。 そこへ転校生だった男の子からのメール。 担任のいわちゃんの退任のお祝いをするためみんなで集まりませんか?という誘いです。 そのアイディアを共有るすのは転校生の彼と私だけ。 それから、二人で見えない糸をみつけ、つないでいく作業が始まり とうとう13人と、いわちゃんを囲む会で33年ぶりの再会を果たします。 青春ドラマですかっ?! 今日は転校生だった男の子から私へ贈ってくれたある問いかけについての話。 その子はとっくん(仮名)です。 とっくんが私たちと一緒に過ごしたのは一年足らずだったかな。 とっくんは私とサミちゃん(仮名)が歌って踊っていたビンクレディーのレパートリーを なかなか気に入って覚えてくれたようです。 その他にも、細かいいろんな出来事、いわちゃんからもらったたくさんのメッセージと愛を たくさん記憶していました。 会のあと、彼は私にこう問いかけてくれました。 「オミ(私)はどうして6年生でそんな子になれたんだと思う?」 クラス会で、先生や仲間がオミについて みんなのために、みんなが幸せでいるように、いっつも考えて行動してたねと 話してくれたことについて彼は いわちゃんだけでなく、オミもあのクラスに影響していたんだ、と思ったそうです。 あのクラスのあの空気は、もちろんみんなの心でできていました。 でも確かに私はみんなのことをいつもとても真剣に、大切に思っていました。 「いつかこのことについてゆっくり話を聞いてみたい。ブログに書いてくれてもいいよ」と とっくんは言いました。 それで私はまたゆっくりと、オミのことについて考えることができました。 考えるほどに、それは私のすべてのせいだとしか思えませんでした。 お母さんのおなかに宿ってからのすべてと 魂と、それから前世の記憶と 家族全員と、出会った人全部と、そんなすべての影響。 ただ、とっくんはそのことを すばらしいな、どうしたらそんな子に育つのかな、と思ったかもしれませんが それはいい面だけでは決してありませんでした。 例えば、私は典型的なアダルトチルドレンの苦しみを味わいました。 私はとっても精神力の進んだ女の子で 早くに大人の役をやることに生きがいを感じていました。 2歳からの記憶があり、3歳ですでに自分を大人だと思っていたのを覚えています。 2歳下の弟は生まれつき顔と全身に青いあざのある子で 弟を守るのは私の役目だと思っていました。 お父さんは、弟がそのように生まれたことを苦にしたのを発端に10年近く酒びたりで お酒をやめた後も極度な躁鬱病はひどくなるばかりで 攻撃的か破滅的かどちらかの顔しかほとんど見せることはなく 恐怖そのものという存在でした。 お父さんはちょっと有名人だったので、誰にもそんなことは言えないと思っていましたし 勇気を振り絞って告白しても大人は誰も信じてくれなかったと記憶しています。 だから私は世間の誰からも信用されるようなまともな大人になって 誰が正しくて誰が狂っているのかを ちゃんと証明できるような人になる必要があると信じていました。 そうしてお母さんや弟や妹を守れるようにならなくてはと思っていたのです。 だから、11歳ですでにみんなの幸せ、なんて考えていたのは 私がアダルトチルドレンだったから、と言ったって過言ではないのです。 高校生になると私は自分で自分に課した重荷に耐えられなくなっていました。 実際に強くて優しい人になるのはそんなに簡単ではありませんでした。 みんなを幸せにするどころか、 自分が普通に社会生活を送ることすら危ぶまれる心身の状態に陥り やがて長い年月をかけて全部投げ出すしかない状態まで追い込まれていきました。 全部というのは本当は真実ではありませんが 子供のころに描いた自分や、あのまま進んでいけば可能だと思い描くことのできた領域からは 大きくドロップアウトしていきました。 大人になるころには、弟が精神病を発病していることがわかりました。 とても優しくて私とは仲が良く、似ているところもたくさんあった弟ですので きっと私もそうなる、と思っていました。 あのころはなにもかもがしんどすぎてこの世は地獄のようにしか思えなかったので 何が辛いのかも自分でよくわからないほど混乱していました。 今思うと、自分は正気でいたいのに、いつか狂うだろう、という思いは とてもとても大きかった気がします。 それで、母から「あんたたちは」とひとくくりにされると発狂しました。 そして、ほら、やっぱりね、私はもうだめだ、と心底絶望したものです。 このことは私が今、父と母と弟と妹を完全に愛し愛されているとわかるので 初めて書くことができました。 こういった苦しみから逃れるために私は人間の心について必死で学びました。 心は意識となり、神と宇宙と脳の仕組み、病気、人間のエゴ、真理、 またスピリチュアルのセラピーやワークにはなんでも真剣に、というか 必死に取り組み、その取り組みはあらかた成功にたどり着きました。 その成功とは、なにかを成し遂げるとか得るとか達成することではありませんでした。 それは人間を深く知るということです。 あらゆる理とそこに流れる真理に触れ、それを信頼ながらに生きることです。 そのことで私は自分を縛っている制限、苦からある程度自由になることに成功したのです。 このことを私は幸せと呼んでいます。 先日のクラス会で、私は12歳のオミにリアルに出会うことができました。 それは私の脳みそではなく、仲間たちがその意識に保存してくれていました。 私の記憶の中では、エゴをとことん解体した段階で 小さいオミはすごかったけど、でもほとんどはエゴの思い込みが原動力だったんだし それらは解体された時点でパワー自体も縮小されたように見えました。 ところがユキちゃん(仮名)がそのエゴの奥に潜んでいた 一番重要な動機についてのキーワードを私に渡してくれて 私は本当に大事なものを思い出しました。 前に書いた「わたしがいるじゃない」と 幼稚園のときに私がユキちゃんに言ったという言葉です。 私は「わたしがいるじゃない」と、誰かに言える自分になると決めていたのだと思います。 それで、意気揚々としていた私も思春期には神経過敏になり 人間力を身につけなければならない時期には 無力でどんくさい(スマートじゃない)人になったりして 底力を身につけなければなりませんでした。 さらにエゴに気づいていく過程では真実にうんざりする時期もありました。 そしてなんとか鎧を脱ぎ捨て本当の自分に戻りつつあるこの頃になって 最初の設定の意味がようやくわかりました。 それは魂が選んだ指針です。 11歳のオミがああいった女の子だったのは アダルトチルドレンだったから、というのは一つの側面です。 もう一つの側面は、私は自分の魂の指針に沿って、一生懸命に生きていたから、です。 6年4組は今になってはっきりとわかるのですが 本当に色の濃い子たちが集まっていたようです。 言い換えると魂のままに生きていた感じです。 そんな彼らだから、あんな私を、okと記憶していてくれたんだと思います。 not okな子もいっぱいいると思うけどね。 だって当の私が本当に投げ出そうかと思っていたくらいなのですから。 とっくんがクラス会のときに全員分コピーしてくれていた卒業アルバムの写真は今も このパソコンの隣りに置いてあります。 みんなとの交流はメーリングリストで続いています。 リストは「6-4の教室」と名づけられ、教室はわいわいしています。 昨日は先生が割って入って 「おいおいおいおい、お前たち!仕事はちゃんとやってるのか?」 なんて注意されました。 あのころとおんなじ。 今みんなは闘病中の友達のお見舞いに行く計画を立てています。 その子は記憶が保てないという症状があるそうなのですが 6-4のことは覚えているとお母さんから聞きました。 私はその子にとても会いたいな~と思っています。 自分にはなんにもできないかもしれないのだけど 会えたら私が幸せだと思うので、きっとその幸せは伝えられるのではと思っています。 早くに私の魂の指針に気づいてくれた仲間。 私は魂の仲間たちと、こんなに早くにまとまって出会っていたんだ、と 驚かずにはいられませんでした。 しかも33年経ってそれに気づくなんて。 こうやってみると、私の出会いは精妙に、功名に、 すべてが美しく仕組まれているように見えます。 この人はソウルメイトかしら、否かなんて、愚問です。 すべてはソウルメイト。 その人を大切にこころを開いてハートでつながれるのかどうかだけが課題です。 それができるようになるレッスンにみんながつきあってくれているのですね。


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