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トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

春!

ばたばたと音を立てて2007年は進む。 忙しいけれど、なかなか質のよい忙しさ。 今突然思ったんですが、 私は大学2年生の時からほぼ一日も欠かすことなく3行日記というのをつけています。 ぴあ手帳、というものが出たばかりの時 当時の最先端の子達は使っていたものです。 それをいまだに使っています。 私は子供の頃からものすごく飽きっぽくて 物事を最後までやり通したことがなく 母親からいつもなじられていました。 学校の授業のノート、学年の最初に新調するでしょ。 一学期の途中でもういやんなっちゃうの、そのノートが。 一応理由はあって、 記述の仕方にきちんとしたシステムを創り、それをまっとうしたいのですが 途中ちょっとでもシステムが破綻すると もう許せなくなり、ノートごと新しくやり直したくなるんです。 完璧主義の一番ダメなパターン。 今思えばインディゴとアダルトチルドレンの特性でもある。 ノートを最後まで使いきれるようになったのは 確か、20代後半だったんじゃないかな。 私はずっと詩とか戯曲とか文章を書いていて それでやっと、最後まで使い切ったのだと思う。 その時はやっと自分も人間になれた、というくらい嬉しかった。 でも今思うと、私は結構粘り強い人間だと思う。 途中、あたかも挫折したかに見えて その試みはまだ続いていたりする。 周囲の人はそんなのもうとっくにあきらめたんだろう、と、 私のことをみなしているのだが 私は望んだことは、決してというくらいあきらめないのだ。 ノートを最後まで使い切る人間になる試みも 学校を出た時点で終わったことだと周囲はみなすけど (いや、そんなこといちいちみなさないけど) 私の試みはずっと続いているのだ。 そして気がつけば、日記を欠かさずに20年以上つけているような人間になった。 芸事も二十余年続いている。 私が女優だということを、周囲の誰もが忘れたとしても 私は忘れずにずーっと試みてきた。 世間は未だ知らないかもしれないけれど 女優としての私と仕事をしている人はたくさん存在している。 この二十数年、長いスパンでは途切れたことがない。 二十数年前、芝居を始めた頃は 周囲も自分自身も、瞬間湯沸かし器的デジタル人間だと 私のことをみなしていた。 私の演技はデジタルだと言われたこともあった。 ちなみに父(役者さん)も自分のことを瞬間湯沸かし器だと言っていたので 芸風は父譲りなのだろう。 瞬間的にマックスに達するタイプ。 だけど、ねばる。 私、のことは遠く宇宙のかなたから眺めないと きっと全貌が見えないと思う。 大学生の時のボーイフレンドに人生で初めてふられて 十年以上経ってからなぜだか訊いてみたことがある。 「みおちゃんは波みたい。 つかめた、と思ったらもう違う。 結局つかめなかった。」 ふうん、この子なかなかわかってるじゃん。さすが。 映画のようにそして5年、そして20年、50年経って・・ そういう風にしてみて初めて私、が見えるのかもしれない。 私は生涯をかけて、一つのことをやろうなんて思わない。 生涯をかけてやりたいのは 自分と、誰かを愛することくらいだ。 生涯をかけて自分と人と世界を愛し、それを表現し続ける。 それは最高の芸術に違いない。


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