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正義は勝つものなのか

『正義は勝つ』とは聞き慣れた言葉であるが、本当にその体験をした人はこの世にどれくらいいるのだろう。そして勝つとはどんな状況を指すのだろう。

確か以前どこかで私は書いたと思う。これまで生きてきて、そんな体験をしたことを思いつけない。

正義はごくたまに勝つ。あるいは奇跡によって微笑まれる、と私は思う。

正義はこの地上では、人知れずひっそりと咲き、踏みつけにされて、耐えて耐えて、生き延びることを強いられる。1回の人生の中でその成果を味わえる人は稀だ。いのちの中に引き継がれ、引き継がれ、準備ができたときにめぐり合わせた人が日の目というものを見る。それは真理を探すこととも似ている。

だから、私利私欲のために正義を掲げるのは困難だと思う。わりが合わなすぎるからだ。

今社会を見ていると、あからさまに正義に悖ることが社会を覆っていることがわかる。いくらなんでもそれはひどい、と気づいた人が声をあげ、なんで?どうして?それは不正だ!と怒る。もちろん、私もそう思っている。

そして『でも正義は勝つはず』と言う。そこで私はんー?と思う。

んー?と思いながらも、当然ながら、だんだんと、勝たなくてはという気持ちに傾く。

それが正義だと、人として正しいことだと、認められなくては、と。

そして先日はたと気づいた。その心の傾きが、どれだけ自分を苦しめ、自分に重石を乗せていただろうということに。

そもそも正義とは、本質的な正義とは、すべての人の中に良心として、優しさとして、清らかさとして平等と友愛の中に存在するもの。その自然であたりまえとも思える摂理を私たちは自分の中で確かなものにし、分かち合うことが地上における目的だ。

だが、実際のところ正義はいつも虐げられ、貶められ、負けてきた。そして、正義を制圧して勝ったものが、偽の正義を世に制定してきた。これが歴史なのだ。

イエス・キリストは、国を治める王、政治家によって裁かれ、処刑された。彼は一貫して愛と自由と平等における統治を望んだのだ。これが今も続いている縮図だ。そして、彼の真の勝利は、魂において、それが傷つき負けることがなかったということ、その不滅の魂を私たちはそれぞれの心の奥に、同じく持っているという真実なのだ。

私は今になってはっきりと思う。『正義はこの世において負け続けてきた。』

人々を統治しようとするものにとって『正義が当然のごとく勝つ』ことはあってはならないことであり、あらゆる手段を講じて、例えばからだの命を奪うことによって、弾圧によって、暴力によって、脅しによって、規制によって、飼い慣らすことによって、偽の満足を与えることによって、恐れを使ってコントロールすることによって、阻止し、そして勝ちを宣言し、勝ったものを正義とする。

よって、一見、正義は勝つ、という神話が流布されるが、これこそが最大のプロパガンダである、と私は気づいた。それは私たちに、勝ったものが正義なのだと暗喩する。

もう一度言う。統治者によって行われたもっとも根深く闇をはらむ洗脳のひとつは『正義は勝つ』という概念である。

正義はそうそう勝てない。だから私たちは静かに、自分を育み、命をつなぎながら、時を待つ。個々の気づきと、善なる思いと行いが少しずつ積み重なって、それが成就する時を。目覚める時を。仲間の目覚めを。私たちの奥に悠久に横たわる聖なるちからからの呼び声を。私たちの愛はそうして地上を覆う日が来ることを知っている。

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