満足するということは、欠乏があったからするものだと本で読んだけど、 本当だろうか?とその時思った。 理屈では正しいけどそうかな。 それは単に欲望への充足感のことだろう。
私はヒプノセラピストになって、たくさんのセッションをさせていただき 400を超える前世の立会人となったわけだけど、 そこで驚くべき事実を目の当たりにした。
以前にも日記に書いたことがあるけど 最近そのことが心に浮かんで仕方がない。
それはズバリ、人のこころが本当に満足し、幸せと感じる人生は 2種類しかない、ということだ。
ひとつめは、家族の愛に恵まれる(家族を愛する)こと。
もうひとつは、神の(おおいなるのもの)愛に恵まれる(神を愛する)こと。 (たまに、とても孤独に見える人生でもとても魂が満ち足りている場合があるのは このパターン。)
前世の物語は奇想天外、こんなにもバラエティーに富んでいるというのに その人生が最後に満ち足りるにはそのどちらかのパターンしかない。
つまり、どんなに華やかなぱっとした人生を送ろうが偉業を成し遂げようが この2パターンに当てはまらない人は必ず最期に悔いの思いを残している。 このことは当時の私には驚きだった。
この法則に気づいてからもしばらくは「単なる偶然だろう」と思っていた。 けれど回を重ねれば重ねるほど、この法則は完璧に裏づけされていった。 他のセラピストの統計を取ったことがないので これはあくまで私の世界での法則かもしれない。
最近では、私がヒプノをやっているのは、このことを思い知るためだったんじゃないか と思うほどだ。
だけど、考えれば考えるほどこのことは重要に感じられる。 私は常日頃、パートナーシップは人間として最大のテーマだ、くらいに思っているんだけど ふとあたりを見回すと、恋愛は生活のちょっとしたスパイス、くらいに扱われることも多い。
ありえな~い!!と思うのだけど、なんでそんなに大切だと思うのかがわかった。
だって、家族を作る柱がパートナーシップなんだもん。
私はアダルトチルドレン(機能不全家族)に育ったからこそ 愛が育つのにどれほど家族(両親)の愛が大切かがわかる。
機能不全の家族から巣立って愛を体得するということは ミラクルに等しいと思う。
それは本当に、孤独で苦しい道のりだ。 こころが引き裂かれる痛みが何十年も続く。 空虚な無価値感に毎晩襲われ、幸運、や幸福、の世界に縁が感じられない。 自分が円満な幸せを生きるということなんて、想像すらできないのだ。 でも、今の私はそうではない。
そうでなくなるまで、私はあきらめなかったし、向き合い続けてきたのだ。 だからもし今、傷ついた幼い心に胸を痛めている方がいたら どうか幸せになることをあきらめないでください。 すでに家族を作っている方もこれからの方も どうか、どうか、少し心を傾けてみてください。
そしてもしそこに愛を感じられないなら それにはなにか理由があるはずです。
愛を学ぶことのできるチャンスを存分に生かしてください。
『この世でどれだけ多くのことを学ぼうと、愛を学ばないうちは何も学んだことにならない。』
本当にすべての人の心が愛と平和で満たされることを願っています。