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トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

神さまの愛について語るよりも

世の中にスピリチュアルという言葉が一般的になって いろいろなことを話しやすくなった。 私のような仕事や生き方をしてきたものたちにとっては 世間の風がずいぶん和らいだところもある。 世の中にヒーラーやセラピストやカウンセラーがいっぱいになってきたのも とても嬉しい事だ。 一家に一人いてもいいと思う。 そうなる頃には世の中はだいぶ変わるだろう。 今巷にはスピリチュアルな情報があふれている。 その言葉に共感し、それを自分のものとして語るのもよし。 その言葉で癒される人もたくさんいるんだろう。 でも私は、「私が愛中心に生きています。私が、愛です。」 と言えなければやだな。 宇宙は変化する。 光も闇も存在している。 不完全が存在している。 不完全の中に進化がある。 混沌である。 同時に、すべてはひとつであり 世界は光であり、愛である、とも言える。 神がいなくてもいい。 神がいなくても神を敬い 神の愛を浴びよう。 神の愛について語るより 神の愛をからだに浴び そして、私はその愛を生きたい。 もし神がいなくても 人間は愛です、と言いたい。 芝居を学び始めた時に最初に出会った言葉 「芝居は愛だ」「芝居は魂だ」「芝居は思いやり」 セラピーは愛です。 セラピーは愛を妨げる壁に気づき、解き放つ作業の繰り返しです。 音楽は愛のバイブレーションです。 愛を知るには、ただ拒絶を手放すだけ。 でもそんな言葉より 誰かを、何かを、見よう見まねで 愛してみればいい。 一生懸命、見よう見まねでやってみるうち 私たちは上達してきたんだよ。 そんな風になってみたい!と、見よう見まねでやってみるうち それになっているんだよ。 神さまならどう愛するだろう、と想像したら あとはやってみるだけ。 見よう見まねで愛してみる。 何度も失敗して傷つけて傷ついて ごめんなさいとありがとうを繰り返すうち いつの間にか神さまの愛が 私の愛になっているんだよ。 やってみないで、だた神さまの愛はこうだろうな、と言ってるだけじゃ それにはならない。 本気でやってみるから 「いつの間にか、自然に」それになっているんだよ。 本気でやらないのに「いつの間にか、自然に」はならない。 それは、「取り組んでいない」し「望んでいる」ことにならないから。 ただ頭で考えてわかったつもりはだめ。 (ブログでも見かけるんです。 「僕は優秀なヒーラー。さぁ、宇宙と神の愛についてこんなに理解してます! ・・ただし僕、人を愛するのだけが苦手なんですよね・・」みたいなこと言ってる人。) 本気で、見よう見まねで、無我夢中で、やってみることは 苦痛じゃないよ。 それは心の底から、魂が、望んでいることのあかし。単なるあらわれ。 そうして本気でやってみたことは、結果がどんなかたちで顕れたとしても 「自然と」魂の成長になっているんです。 結果に傷ついたら、またその壁を越えたらいいんです。 それが次の学びなんです。 スピリチュアルを学ぶというのは そういうことですよ。 本気でやってみて、初めて役に立つんです。 本気でやってみて、失敗して、傷ついた時、 癒しを学べるんです。 エゴの安全を守るためなんかには 断じて役には立たないのです。


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