戦争を終わらせるために、戦争を知る必要が人間にはある。 戦争は、知らないうちに感染してしまう病気のようでもあり 巧妙に人間の心理に仕掛けられた罠のようでもある。 そうでなければ、あんなに多くの人を悲しみと苦しみと崩壊と悲惨と死に追い込むことが 合法的に堂々と行われるはずがない。 私たちは普段から、隠された悪を注意深く拒む練習をしておかなくてはならないと思う。 でないと、知らず知らずに踏み入れた罠に足を捕られて 引き返せないことになってしまうということが起こると思うからだ。 悲しいことだけど 一部の人々の利益のために 全体の命や尊厳や幸福や自由など いとも簡単に踏みにじられるということが 繰り返されてきている。 その代償はまだまだ私たちが支払い続けている。 お母さんのお父さんは沖縄で玉砕している。 満鉄の社員で旅館も経営していて 放送劇団を主宰、作家、演出、プロデュースをし 森重久弥さん、芦田伸介さんを率いていたと聞いている。 今日、徹子の部屋で新藤兼人監督がおっしゃっていたが 30才を過ぎた芸能関係者を招集するのは もう、日本が末期的な状況だったことを物語っている。 うちのじいちゃんも33歳で終戦間際に呼ばれた。 いったいどんな死に様だったんだろうと思う。 無念で無残だっただろう。 幼い子供4人を残し 20歳過ぎたばかりの妻を残して。 うちの母の家庭はお父さんのいない家庭になった。 家もなくなった。 小さいころから、アフリカの恵まれない子供に愛の手を!という言葉は 耳になじんでいる。 アフリカは貧しいんだ、と、当たり前のように思っていた。 でも、あんな美しい生命力に満ち溢れた大地と生き物が貧しいのは 戦争が絶えないせいだと知った。 どんなに家族のために働いても 戦争があると物資はなくなり 働き手は死に 後始末に追われる。 私の育った家庭は貧しかったわけではないが 戦争がなければもっと発展し豊かだったんだろうな、と、最近気づいた。 お母さんも、子供の時に負った心の傷や観念のために 人生をどれだけ制限されてきただろう。 戦争が終わって62年経って、初めて見えてくることもある。 それまでは、まだ、傷跡の中にいて見えなかったのだ。 傷跡の中で傷のことを誰もまともに語れないのだ。 これから先もたくさんのことが見えてくるだろうと思う。 私たちは支払いと学びをまだまだ続けなければならない。 本当の尊厳と愛と平和を体現できるまで。