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トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

考えるを考える

「1時間読んだら2時間書き留めなさい。 2時間書き留めたら3時間考えなさい。 3時間考えたらいつもそれを瞑想しなさい。」 偉大なるマスター、パラマハンサ・ヨガナンダの言葉です。 アメリカから日本に渡ってきたスピリチュアルの教えの元を インドからアメリカに伝えたのはかのヨガナンダです。 この言葉は先ほど読みましたが このところ私の生活のペースはこんな感じです。 もっと瞑想の度合いを増やさなくては、と考えていましたが 読んで、書いて、考える時間も重要なのだとメッセージがもらえて安心しました。 最もヨガナンダのおっしゃる瞑想の時間は一日10時間から17時間に増やす、とかで 桁が違います。 でも、その偉大なるマスターでも 修行時代は「明日こそもっと瞑想時間を増やそう」と思いながら 日常の雑務に追われてしまい、1年経っても目標が達成できなかった経験を持たれ 朝起きて身支度だけして瞑想だ、と決めても雑務に負け とうとう、身支度よりもまっさきに瞑想と決めて ようやく増やすことに成功したというエピソードがあります。 それくらい、自己を統制するというのは人間にとって難しいものなんだと改めて思います。 ですから、みなさんも瞑想がなかなかできない、と簡単にあきらめないで 10日忘れても11日目に復活し、半年忘れても翌日から復活しましょう。 私もいろいろな場面でそういうことがありましたが 何年やっていなくても「できていない」とか「やめた」とは思わず すごくゆるいスパンで続いていると考えてきました。 そのことは私の人生にとってはいいことしかもたらしませんでした。 どんな訓練もそうですが何年やっていなくても、 一時期真剣に取り組んだものはしっかりと体と潜在意識が覚えていますので 復活して数日はひどいありさまでも しばらくすると以前のやっていた頃を取り戻し 程なくそれを上回るように上達します。 ですから、もうできなくなった、とあきらめないで、粘ってください。 特に瞑想はそうです。 さて、人生を幸せにするには瞑想はなにをおいても忘れられないものですが 読んで、書いて、考えたことを瞑想する、というのは 私のセッションのスピリチュアルカウンセリングのスタイルと同じだなと思いました。 クライアントさんがおもしろいことをおっしゃっていました。 長い時間かけて言葉によってディスカッションしたことのうち いくつかは頭ではなんとなく理解したけれど腑に落ちていないという部分があります。 それで、最後にヒーリングと誘導瞑想で統合するというかたちをとります。 その時セラピーベッドに横になっていただくのですが 何度かセッションしているうちに お話が終わってベッドに横になった瞬間に腑に落ちました、とおっしゃいました。 ああ、このことか、と全部おわかりになったそうです。 頭で理解し、また理解できなかったことが 瞑想によって神の視点から光をあてていただけるような そんな感じだと思います。 とても感動します。 考えること、思考は時に私たちの深い理解と逆行し 叡智を感じる知覚を阻害してしまうことがあります。 ですが、思考の役割を理解し正しい使い方をするためにも やはり言葉による理解が必要です。 だから、私たちは理解を魂まで落とし込むために瞑想を必要とし 魂にとって本当に必要である理解を身につけ そうでない「考えのための考え」を振り落としていくのだと思います。 今を考えるためにとても参考になるサイトを 主人が長くお付き合いいただいている患者さんから教えていただきましたので ご紹介しておきます。 THINKER 多くの人が平和を願っても実現しない謎を解くひとつの観点を示唆してくれます。 私はスピリチュアルの探求をしながら 多くの人がその仕組みを誤解しているのではと感じることがあります。 そのひとつが、戦争は人間の怒りが作り出している、という考えです。 この現象世界は内面の投影であるという原理から そういった考えが生まれます。 ですから多くの方が「怒り」を人殺しの原因となる感情と考え 自身の中の怒りを罰し、消滅のために取り組んでこられたと思います。 私もずっと以前はそう考え、取り組みました。 けれど、よくよく観察していると どうもその方程式にはミッシングリンクが存在していると思うようになりました。 「怒り」が戦争を起こしている、という考えは 実在のことで言えば このほどアメリカによって殺害されたとされるビンラディン氏のような 原理主義者の排他的妄信による怒りが テロや戦争を起こし他者を虐殺するというものに象徴されます。 ですがあまりに続く虐殺やテロ、戦争にあるとき疑問がわいてきました。 彼らは本当に自分たちの信じる神を信じない人を 片っ端から虐殺したいほど憎んでいるだろうかという素朴な疑問です。 9・11はこの表舞台をすべてをこうあるべく仕組んでいる 裏側のシナリオを握る人がいることを知るきっかけをくれました。 私は演劇の経験から、 対話によって書かれたストーリーから物語を逆算し読み取ることが得意です。 9・11は政府やマスコミが公表している台本から読み取ると まるで荒くてつじつまが合わず、動機や細かいディテールがでたらめです。 ところが裏側のシナリオでは、すべてがあるべき場所にきっちりとおさまり 書いてある通りにきちんと仕上げればかなり説得力のある作品になります。 そこにある裏のシナリオで戦争の動機になっていたのは 怒りではなく「強欲」と「支配欲」でした。 怒りはその支配のために利用された動機付けの一部に過ぎません。 強欲と支配はからみあっていて 強欲と支配の対象は、地球と地球に存在するすべての命と財産です。 私はそれで多くの謎について納得がいきました。 今日本で起きている国家の一大事で この裏シナリオと同じことが起きていると考えることができます。 私たちはうちにある怒りや罪悪感などを利用される前に浄化しておく必要はあります。 私たちは最善の選択のための判断をするために 心を高きものに結び付けておかなくてはなりません。 ゆだねる心は大切ですが ゆだねる相手を間違ってはいけません。 強力な欲によってすべてを所有したがっている存在が持つシナリオに 身をゆだねることは間違っています。 私たちがゆだねていいのは、内なる光と愛、根源なる神にだけです。 私たちは前者に対してNOを言える準備をしておく必要があると私は思います。 私は今では、ビンラディンさんが殺されたというニュースをほとんど信じていません。 そんな、ばれる嘘を政府マスコミがつくなんて大それたことと思われるかもしれませんが それがそのまま今日本で行われている政府とマスコミによる情報操作、隠蔽、言語統制です。 今つくられている歴史を未来の人びとが振り返ったとき どうしてみんなあんなこと信じちゃったんだろうね、人間っておろかで弱いんだ、と 彼らはこのままでは言うのではないでしょうか。 そんな教訓ではなく、私たちは何か違う遺産を未来に残せないのでしょうか。 私たち肉体の命はいつどこでどのように終わるのか誰にもわかりません。 そんなことは心配することではないのです。 ですから政府に、責任逃れの理由に使ってもらう道理はありません。 私たちは、自分で選択して、創造する権利があるということ そして、心配からではなく尊重から すべての命に配慮する姿勢を持たなくてはなりません。 そのことは今、きっちりと地上の人間たちが学ばなくてはならないことです。 その学びのためには私たちのすべてが 今いる場所から大きく前進しなくてはなりません。 それくらい多くの要素がまだ熟していません。 人間が愛というものを今与えられた条件の中から学ぶのには 本当にアセンションなしには届かないかもしれません。 ですがそのアセンションは ある日寝ている間にできちゃった、という風には訪れません。 多くの人が、勇気を出して、意識を前進させなければ成就しないことでしょう。 それは突拍子もなく困難なことではありませんが 多くの人にとっては難儀なことです。 多くの人がこれまでの習慣から自由になることを恐れるからです。 私たちが、なぜここ、この地球に今やってきているのかを もっとリアルに多くの人が考え、瞑想し、思い出す必要があるようです。 読んで、書いて、考えて、瞑想していただければさいわいです。


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