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夫が往診に通っているおばあちゃんの恋話(こいばな)を聞いた。相手は、先の戦争で、内地から来ていた兵隊さんだったそう。しかも埼玉の人だったって。もちろん亡くなってしまったけれど。周りにもそんな女の子はいたよ、って。
その話が聞けて嬉しかった。主人も私の気持ちがわかって嬉しそうに教えてくれた。
私の祖父は沖縄戦で戦死している。演劇人だったけれど最後の最後に徴兵されあっという間に戦死してしまったと母と祖母から聞いている。
沖縄では悪名高い日本陸軍。兵隊さんは戦地でとても横暴だった。国民を助けに来たわけではなくて、国民を犠牲にしてでも敵と戦うことが目的だったから。このことは今の日本でも勘違いしている人が多いようなのでよく知っておいた方がいいと思う。軍が戦争で市民を守るなんてあり得ない。敵を殺すことが目的で、そのための犠牲はいとわないのが戦争だ。
「イラクでは、子どもも敵だと思わなくてはならなかった」と帰還したアメリカ兵の記事を読んだ。なんて辛い。でもそういうものだと思う。
それでも、うちのおじいちゃんだってどしろうとのにわか軍人だったから、奥さんと小さい4名の子どもと、自分の未来を思って、きっと恐くて悲しかったはずよ、と、心の中でいつも思う。
祖父は満州で劇団をやっていて、本を書いたりもしていて、とてももてたとおばあちゃんは言っていた。「李香蘭とできとった・・・」と、生前静かに悔しそうにおばあちゃんが言っていたけど。「美緒ちゃんだけは知っておいて」とでも言いたげに。できとったって、あの李香蘭ですよ。もう書いちゃいますけど。
兵士として沖縄へ来て、最期はどんなだったのだろうと何度も思った。もし、もし、心を失って非情なことをしていても、私は許す、と、ある時思った。海軍豪を見に行ったあとだ。守衛のおじさんが、吐き捨てるように「海軍さんは立派よ。でも日本陸軍は最低だよ。人間じゃない」と言ったあとのことだ。
戦争は人を狂わせる。狂って当たり前だ。
それからひめゆりの塔で手を合わせた時に、なんだかわからない愛に似た感情が伝わってきて胸がいっぱいになり涙が出た。不思議だった。
その後母と妹が来た時、一緒に再びひめゆりの塔に参ったら、母と妹に同じことが起こった。普段、さーだかんまったりしない(霊感など感じない)母と妹なのに、「これは・・・ただならぬほど、お世話になったみたい」「他人ごとじゃない、ここは、私たちと深い関係がある」と口々に言って手を合わせて涙をこぼした。
それからは、きっとすてきなおじいちゃん(当時は33歳の美青年)のことだから、沖縄でもすてきな人に大切にしてもらったのだと、素直に思うことにした。
あまりに深い悲しみは憎しみをつくる。絶望を、不信を、心の中に分断の壁を作る。私たちはその果を背負いながら今をつくる。深い悲しみの根っこを癒やすことさえできたら、私たちは壁越しではなく、ただあるがままを、心を、自分を、他人を感じることができるのに。
切り裂くような悲しみの中で愛を失わない人は周囲を救う。そういう人というのは強い人でも特別な人でもなく、ただ、自分を癒し、赦した人なのだと思う。
人間の歴史は悲しい。長いサバイバルを乗り越えてきたから。この世のすべての人が心に持つ分断の壁をこつこつ自分から取り払って生きていこうと思う。