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野生のスイッチ

心を平安に保つ、ということが どうしてそんなに難しいことなのか、と考えていると エゴの探求からさらに本能、という課題に行き当たる。 妹と話していて本能の話になったのだけど 「あ~エゴどころじゃない、本能なんだ~!!!」と ものすごくガッテンしてしまった。 本能は命を守るためのシステムだ。 外敵というものがあると仮定して 外敵から身を守り種を存続するために自然に働くシステム。 人間、という種も宇宙のシステムから見れば 肉体でありこのシステムによって生かされている動物である。 ところがこのシステムにのっとって生きていると 私たちの肉体は常に危機にさらされており その外敵から身を守るためには 常に「戦うか逃げるか」という選択を強いられ この選択肢を機敏に選択した固体は生き延び この機能の愚鈍な固体は哀れ淘汰されていく、という筋書きになる。 弱肉強食。 そこには本質的な平安は存在しない。 わずかな休息があるだけだ。 だがスピリチュアル、という生き方は このシステムを根本的に否定し 人間は霊的な存在であり 命とは肉体のことではなく 永遠に存続する無限の存在であるとする。 その中枢は愛であり 生命の源は愛である。 スピリチュアルの世界では 宇宙=神=愛のように使われることが多いが 宇宙の源はこのように考えると肉体の生命力であり この宇宙の生命力と神の原動力=愛を混同してしまうと いろんなことがワヤになってしまう。 「神の使者」で言われる「宇宙すらも神が作ったものではない」というのは 生命を存続させるシステムである「本能」は神の神秘ではない、という意味にも取れる。 スピリチュアルに生きるには ただそれを信じるだけでなく 体内のシステムをそのように切り替える必要がある。 そうしないと、 いわゆる頭だけで理解しているが、心と体はついていかない、という状態になってしまう。 ではどうやってそのシステムを切り替えるかというと 脳の本能のスイッチを切るのである。 古の聖者の法であるが、瞑想がそれだ。 瞑想、というと敷居が高いが 要は脳のリラックス、催眠状態もそれである。 またレイキによって起こるリラックスもそれだし 魂が踊るような好きなことに熱中している時にもそれは起こる。 本能から完全に自由になるとき 肉体の死は恐れるに値しなくなる。 死の恐怖を感じないようにすることとは次元が違う。 その境地はすべてを味わい尽くしあらゆる感覚、知覚を堪能し超越しなければ来ないだろう。 でなければ人はのこのこと肉体の知覚を持ってここへは来ないと思うから。 もし心にあれをもっているなら あれを無視しちゃだめだ。 偽善者になってはいけない。 偽善者は、心にあるものをないことにする。 私たちが持つ本能を 本能という知覚でなしに味わうことで 私たちは本能に支配されない。 人間という乗り物を乗りこなすのだ。 平安。 実はかなりエキサイティング。


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