すてきな人、と感じる時 こんな形容を使うことがある。 それをなんて説明すればいいんだろうとふと思った。 私の感じる、魂の美しい人。 純粋、だけどそれだけじゃない。 もっとしたたかな美しさも含む。 主体性だけじゃなく客観性の目を持つ。 清濁併せ呑める許容性という大きな器の匂いも含む。 いろいろ考えて、あっ、これかな、と思ったのが 宇宙という視野で生きている人、かなと。 宇宙という視野で生きると 人間は謙虚にならずにはおれない。 他人と自分とを同等に扱える。 謙虚、というとやたらと自分を他人より下において考える人がいるけれど それはそれで自分視線でしかものを見ていないのではないかと思う。 自分も、周りの人も、等しく大いなるものから与えられた存在。 等しく美点も欠点のあるもの。 私、を、私物とみなさず 私、も、天から預かった尊い存在。 そうすると、私の中の神性と出会いやすくなるのではないでしょうか。 自分を良くしよう、とか、 自分がよくなるんだ、とかではなく 私自身が天から授かった尊いものとして 存分に神性を発揮できるべく生きるには わたしはどう選択しどう生きればいいのか という風に思うと 当然わたしは私を尊ぶことができますし わたしの中の神に背くような生き方はなるべくしたくないと思うものです。