この世に、人の役に立っていない仕事は存在できない。ただそれを実感しやすいものとしにくいものがあるだけだ。もっと人の役に立ちたいとか使命を果たしたいという人がいるが結局のところ、その人が本当は何をしているのかを理解しているかしていないか、それだけのことのように思う。
多くの人が人気のある仕事を求める。またはわかりやすく人気がある考え方を採用したがる。でも、実際にそれを体験するのは自分だけだ。
私は表現者という職業の父母から生れ育てられ自らもそれを志したので、表現という仕事にはやはり造詣がある。表現とは人の心に働きかけるものだ。表現の価値はそこにしかない。
うまいへた、できるできないというのは表現に含まれる成り立ちや要素のごく一部だ。表現は作品の一部になることもあるし、作品が表現の一部になることもある。でも目的は心への働きかけだ。
心への働きかけは実際に役に立つものだ。だからそんな仕事があるのだ。
どんな仕事にもこの見方は当てはまる気がする。何かの部品を作る仕事も自分が歯車の一部を担う仕事も、結局は表現なのだ。その表現はどれだけ間接的だとしても結局人に届けられ、人が役立てるのだ。
商品そのものは仕事のごく一部であり、それが役立てられた時に任務を全うする。演劇の作品は劇場で観客に触れた時に完成する。それと似ている。
あなたが歯車であるなら必ず別の歯車が隣に存在する。その噛み合わせの摩擦で生み出されるエネルギーが商品の一部と言える。
あなたが生み出したエネルギーは実在する。そしてそれは使われない限り存在し続けるし、使われることで昇華する。
あなたがどんな心で存在し働きかけるか、それが表現の原点だしそれを表現することがあなたの宇宙的な使命だと思う。だからどんな持ち場にいても使命は果たせるし、まずはそこで果たそうと意図してみることからしか始まらないのだと思っている。
今の持ち場で充分に表現したら、宇宙はあなたを次の持ち場に派遣する。使命ってそういうものだとつくづく思う。
仕事を楽しむって、そういうことだと思う。