来る28日㈰10時~12時の定期瞑想会は残席3つとなっております。
ご参加の皆様はお忙しい中、お時間をお作りいただき本当にありがとうございます。引き続きお申込みをお待ちしておりますのでご検討のほどよろしくお願いいたします。
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この頃、沖縄へ移住してきた当初のことを昨日のように思い出します。というのも、当初の空気と似たような感じを味わうことが度々あるからです。きっと変化の新しい風のせいなのでしょう。
風に揺さぶられる度に私たちはなにを拠り所にすればいいのか、逆になにを手放せばいいのか、なににどのようにどこまで身を委ねて良いのか、考えさせられます。
一度答えが出ても、この問いは人生の局面で何度となく訪れるものです。その時々で私たちの状況や状態は違っているからです。
また永遠不変のものがなんなのかわかっているつもりでいても、そしてそれだけを選んでいるつもりでいても、私たちはやはり揺さぶられます。
その揺さぶりの奥から更に不動のなにかを私たちがはっきりと見出しそしてそれを心から選び取ることこそがきっと、魂が私たちに求める愛なのだろうと思います。
しかしこのことは頭や言葉で知っているだけでは意味がありません。生きた心で私たちがそのように感じきることでしかきっと、魂は納得しません。
私自身が本当に迷う時、指針となるものはことごとく外側に見えているものではないと思い知らされます。例えば目に見えないものの代表のように言われるオーラとか運気とか、そういったエネルギーさえ外側なのです。
すべては愛だけです。
結局は愛だけが救い、愛だけが癒し、愛だけが進ませてくれます。
愛の届かないところから、愛の満ちたところへ。
愛あるがゆえに至らない苦しみがありその苦しみが私たちに求めさせるのです。
愛は常に、今新たに見出されることを望んでいます。
過去でも未来でもなく今ここで、あなたの心を支配し従わせ、その喜びに魅了されることを。
全ての人の奥に坐するその種は、その心に花咲かせる時を待っているのでしょう。
しかしその花はいつも水をやり光を当て、心と手間をかけて育て続けなくてはすぐに姿を隠してしまいます。
内なる神を、その愛を、表に出すこと。その花を咲かせ続ける任務はやりがいもありますが日々気を抜けないものでもあります。
私たちはいつもそのことを思い出させ合うために連帯しているのはないでしょうか。
私はもう、その任務から離れないことを決めています。
よろしければセッションでお手伝いさせてください。
感謝とともに
AZU拝