私は小さきもの。
神を知り、神に近づくほど「私」は小さくなっていく。
生き物は強くなりたがるが
内側に神があるのを知る人は
強さは神の中にあると知るので
私に強さを求めなくなる。
私が小さくなると愛が大きくなる。
私が弱まると神が強まる。
私の中に愛はない。
すべては神の愛がする。
私がやっていると思う人の愛は小さい。
私ではなく神がなさると知っている人の愛は大きい。
当然ながらその力は強い。
災いがあると
人は急に神を語りだす。
良いときは自分のてがらで、災難苦難は神が起こすとでも言いたげに。
神と闘っているとでも言いたげに。
そういう認識こそがいかにもエゴらしい。
不都合を消し去るために愛を持ち出す人も多い。
相手(例えばコロナ)に消えてほしいから愛を送るとはなにごとだろう?
愛を与えられて息絶える生き物があるだろうか?
愛を与えられて息絶えるのは
人間の傲慢や我欲、恐れだけ。
変われるのはこちら側。
勝つ相手も己。
ことごとく誤解しことごとく混乱している私たち。
神はその誤解と混乱を解くために私たちの内で
愛をふんだんに用意して居てくださる。
そこに戻ろう。
ほんもののhomeに。
#stay home #瞑想 #祈り #癒し
感謝とともに
AZU拝