小学校の6年間は、同じ学校に通いながら大きな変化を体験していく。
入った時と出る時では別人みたいだ。
身体もそうだが意識はどんどん変わる。
その変わっていく意識を今も結構覚えている。
学校に毎日通っているうちに、自分のキャラと自分の中身がずれていく感覚をよく感じた。
ただずれるのではなく、自分が古びて汚れていくような、嫌なほうに傾いていくような感覚だった。慣れて、雑になる感じ。
特になにが起こったわけではないけれど、このままの自分でいるのは嫌だな、と感じる。自分に疲れる、というような。
周囲の影響や、自意識の成長に伴う排泄物が積もり溜まっていっていたのだと思う。
その時に発明した乗り越え方。
朝、学校に行く前に
「私は今日、生れ変わった。真っ白くて新品の自分として第一歩を踏み出す」
と自己宣言する。
そうすると不思議なことに、これまでの自分の延長ではない、少し理想に近づいた自分として言動をしていることに気づく。
自分は生まれ変われると感じた。何度でも。
これをやるようになったのは多分、小3以降だったように思う。
インナーチャイルドの形成期にあたるので、こういう軌道修正はその気になれば簡単にできる。簡単なイメージワークだ。
「新しい自己(イメージ)として行動する」。
高校生になると、これがうまくできなくなった。
ダメな自分を引きずり続けた。
自己形成期が終わり、潜在意識の蓋が閉じ始めたためだろうと思う。
大学の演劇専攻に合格し環境の変化を利用して、自分の人生の未来を賭けて、もう一度自己イメージの舵を大きく切った。
その時は、本当に一度死んだ気がした。いや、直近の古い自分に死を宣告したのだ。
「肉体は生きているけれど、精神は一度死んだ。
だから私は安心して失敗をし、未熟なものとして、世界に許してもらおう」
そう自己宣言した。
この人生の間に何度生まれ変わったのだろう。
でもそれは違う自分になるとか誰かのまねをすることとは違っている。
簡単に言えば、プロセスを推し進めることだ。
自分の中にあるプログラム実施し、持てる力を最大限に発揮するための、恐らく魂の知恵を使った。
私たちはすぐに慣れてしまう。どちらかと言えば堕落の方に慣れやすい。
それは、からだが安全で楽なほうを選びたがるからだ。
でも魂は毎瞬少しでも神の質に近づきたがる。神が魂のふるさとだから。
慣れると埃が積もり垢が溜まる。
窮屈で生きづらくなる。
社会や環境のせい、ばかりではない。
過去の集大成である古い自分のための自分ルールに縛られてしまう。
そのルールとは自己イメージそのものと言える。
自分を刷新する理由は、魂の邪魔をしないためだ。
本来の、愛という質でできた無限の知性と生命。
それが私たちの正体であり、
その質を発揮するための、各々に即したプログラムがある。
慣れ親しんだからだの性質を、魂のための良き乗り物に刷新する。
その案内が、私の仕事だと思っている。
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AZU拝