沖縄では台風対策、というのが日常生活の作業のひとつです。
風で飛びそうなものを全部片づけて、風で痛んでしまいそうな木の葉(ヤシなど)を紐で縛ってまとめ、サッシに布を詰め、数日分の食べ物を備蓄します。スーパーのパンやポテチやカップラーメンの棚はからっぽになります。
電動ポンプが止まると水も出なくなる建物もあるので、水や電灯の準備はもちろんです。
長引くときは、台風の目に入ったとたん、買い出しの車があちこちのおうちから出ていきます。東京育ちの私から見ると、すごい勇気とカンで、かっこいいです。天気予報でそんなこと言わないし、なにしろ停電だから情報ないし、海人さんが海に出るみたいで、すごいなーと思います。で、ちょっとまねしてみたり。
ドアに指を挟んだりする事故が結構ありそうです。私も何度も危ない思いをしました。
なのでいったん嵐が始まったら窓を開けたりベランダを片付けたりはできないので、排水溝に葉っぱがつまって溢れたりしないようなるべくきれいにしておくとか、やることが山のようにあります。
台風が終わったら、世界は塩でべったりとします。木々も風に耐えたと思ったら結局塩で枯れてしまうこともあります。なのでできるだけ早く、水で洗ってあげる必要があります。おうちも植物も、水道水で丸洗いします。早くやり過ぎると吹き返しが来て、またやり直しになるので、ここでもカンが大事です。おうちを丸洗いって、考えたこともありませんでした。
農業の方々は本当に大変です。つるになったご—やーも全部地面に降ろし、今度は元通り引き上げてあげたりします。復活できないもののほうが多いと思いますが。
車がひっくり返ったり、冠水した道ではまって動けなくなったり、そこから出られなくなって九死に一生を得た、というお話はあちこちで聞きます。
そういうとき伺っていると、人のカンが助けます。家族がなんかおかしい、と思って助けに向かったらそこで車がみつかった、というように。だから事件となる前に未然に防げていることがたくさんあるけど、それらは情報としては表に出てきてはいない。人々の間で伝承されている、大事なことなんだと思います。そういうことが、島で暮らすとたくさんわかってきます。
今はコロナで、大小の差はあってもみんながパニックです。そこに災害が重なるというのはとても厳しい試練だなと思います。
良いほうに向かうとしたら、個々がそういうカン(直観、直感、この二つは違うものだけどさしあたり使えるほうどちらも)を使うことを思い出して、全体の意識がぐんと進む、という希望もあると思います。
人は本来、直観、直感を使って連帯することで、この厳しい自然や生態系を生き残ってきたわけで。
人間が生み出したシステムを過信していると、今の事態は収束しないで連鎖的な不幸が止まらない世の中になってしまうだろうと思います。システムがなんとかしてくれると思わないで、個々の本来の力を思い出し使うことが、この難局を乗り越え良きことに変えていくカギになると思います。
人間には古来から神がともにあったっていうのは本当なんですよね。それゆえに、自分の肉体よりも巨大で力のある生き物を仕留めて、分け合って生きてこられたことがわかっています。自分たちよりももっと偉大なものに個々が心を合わせることで、力の強いものが弱いものを養い分け合うことを良しとできたんだと思います。それぞれの存在意義を認められなければそれはできないし意味がないものになりますから。
もちろんそうではないサバイバルの歴史も人類には同時に存在しています。ちょっと油断すると人は簡単にそうなるから、いつも心と向き合って、今どこにいるのか知っている必要がありますよね。