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奇跡ノススメ

奇跡講座が気になっていて、いつか、取り組もうかな、と思われている方がいらしたら、もしくは取り組んでみたけれどちょっと手に負えない、と思われている方がいらしたら、参考になると嬉しいです。

もちろん全然知らなかった方が知ってくださるきっかけになればなによりです。

 

私と夫はかれこれ13年余り、取り組んでいます。

日本に書籍が出ていなかった頃からです。

修道女の田中百合子さんという方がご厚意で翻訳されたものを分けてくださるという噂を聞いてご連絡し、いただいたデータを自宅のプリンターでプリントアウトして取り組んでいました。

13年を超えて、今わが家で一番熱いのは、やはり奇跡講座です。

 

取り組めば取り組むほど、深く熱く、そしてそれが光になります。

様々な色の光線を合わせると、それは無色になる、と、科学で習いますよね。

まさに、心の学びとはそんな感じがします。

 

私が愛用しているのは中央アート出版の「奇跡講座」上下巻です。

夫も自分のものを持っています。

原題は「A Course In Miracles」で「内なる平安のための財団」に帰属する公認の翻訳本になります。

以前は3冊セットでしたが、今は2冊が下巻にまとまりました。

この辺のことは、本を開けばすべて書いてあることです。

 

大内博さんは日本で初めてACIMを翻訳された方で、私の母校の玉川大学の元教授でもあります。スピリチュアルの書籍の翻訳者として大好きな方です。

大内さんの翻訳での出版が明らかになり、何度も何度も延期され、心待ちにしていました。

その下地があってか、今ではたくさんの翻訳や関連本が出版されています。

田中百合子さんのものはどうなったんだろうと思っていましたが、「奇跡の道」というタイトルで出版されたことを知り、嬉しく思っています。

私の「奇跡の講座」を受けてくださった方にも翻訳家の方がいらして、翻訳したいとおっしゃっていました。いつしかその方の翻訳された本も世に出るだろうと楽しみにしています。

 

私が愛用している理由は、これが分かりやすいと感じたからです。

上巻の冒頭に「この翻訳について」という項目がありますが、これを読んだだけで「なるほど」としっくりきます。

感触は人それぞれだと思いますが、この講座の主旨と同じで、知覚の判断による「揺れ」ができる限り取り除かれていることが重要に思います。

 

さて、私はいつの頃からか「言葉」が好きです。

言葉による表現が好きだし、言葉を大切にして生きています。

私は「たくさん感じ、たくさん思考する」タイプの人間で、あらゆる五感の知覚からくる感覚や感情を「言葉に置き換える」ことで自分を整理してきた人間だと思います。

言葉に込めた思いや、エネルギーに敏感です。

そしてそこに嘘がないように、内面を検証することに慣れています。

 

言葉は意味や意図を共有することでしか、価値が生まれません。

 

1992-3年に放送されていた「ワンダーゾーン」というテレビ番組で印象的だったのですが、言葉には二通りあって、中身のある言葉と表面を表す記号の二つだと言われていました。

例えば「リンゴ」。

リンゴは木の実で種と果実と皮があり、自然の中でこんな役割をし、人間にとってはこのように扱われ、私にとってはこんな価値ある、リンゴ。

かたや、丸くて赤い、くだもののリンゴ。

 

リンゴよ、リンゴ、かわいい、愛しいリンゴ。

こう心で叫んだ時、リンゴの存在、働き、生命の影響が私の内側にもたらされる。

 

これが言葉の、意識の、イメージのちからです。

そう聞くと、それは使えると思いませんか。

リンゴにとどまらずあらゆる植物、鉱石、太陽、月、星、大気、人と人・・・

巷でスピリチュアルというと、こういう力を健康とかビジネスに役立てようという考えが多い気がします。

 

しかしながら奇跡講座を学ぶとき取り組むのは、このリンゴに込められたちからを放棄することに始まります。

 

なぜなんでしょう。

 

その答えが、すべて書いてある。しかも一つの矛盾なく。

完全な理(ことわり)と、それを超えた無限の広がりという、愛とともに。

これが奇跡講座です。

 

リンゴを、植物を、太陽を、月を、星を、大気を、人を、私たちは時に神のように持ち上げ、時に自分たちの奴隷や道具のように扱います。

 

その上げ下げの基準はいつも、自分の価値基準を対象に投影することから起こります。

つまり時々での解釈によってその価値や意味が変わるのです。

 

ひとつの事象、一人の人、一つの集団が、敵になったり味方になったり神になったり。

 

ですから私たちは一方方向に向かうことすらできません。

その時々に目的を達成しているように見えても、目的自体が一貫していません。

ただあちこちに向いて、生きているだけです。

そしてその生は、なにかの拍子に終わります。

人はそれを悲しみ、時に怒り、嘆き、諦めて受け入れたりします。

死に向き合うことは、人が最も先延ばしにする学びの一つではないかと思います。

 

そこに平安はありません。

まして恒久的な平安、つまり、これでいい、という納得、認識はありません。

どこまで行っても対極がやってきます。

対極があり、選択があり、葛藤がある。

これがこの世界です。

 

だからおもしろい、と思うこともあるし、だから苦しい、と思うこともあります。

それも同じ、対極です。

 

そして、時にはそれを神から与えられたご褒美や試練や罰として受け入れたりします。

うまくいっている時は神を愛し、うまくいかなくなると恐れたり憎んだりします。

その神には一貫性がありません。

理解も不能です。

だから私たちは根底では神を恐れ、そして攻撃し、拒絶しています。

 

コースには奇跡を通して神の被造物、つまり神の子というアイデンティティーを取り戻す理解と訓練が記されています。

それは方法論ではなく、そもそもそれそのものだった、愛を思い出し取り戻すプロセスです。

しかし同時に、それはまったく新しい体験であり、過去に知っていると思っている上に価値があると信じていたものが全くそうではなかったことを知っていくという前進です。

多くの人は、これまで積み上げてきたものの上に、更に良いものを足していくことが前進だと漠然と信じています。

しかし、神、愛、真理においては、ただそれしか持たないということにこそ、価値があります。

なにを言わんとするかは学びが進むうちに誰もが内側からわかり始めます。

入り口はたくさんあるけれど、ゴールは一つしかなく、それゆえに私たちはみな等しく神の子であるのです。

 

みな等しくひとつであるところに、私たちの本当の喜びがあります。

 

つながって、広がりますように。

感謝とともに

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