人類の持つ不条理の筆頭に戦争があると思う。
人類のほどんどにとって百害あって一利なしなはずなのに、なぜか人類史上一秒たりとも止まったことがない戦争。
正論には何の効力もないということを私たちに見せつけ、善悪の基準を覆し、不条理を飲み込んでみろと突き付けてくる。
どうしたらこの事案を整理し、理解へと進めることができるだろう。
多くの人が試みていると思うが、その答えは共有されていない。
私と夫が結婚して間もなく沖縄へ行く決断をしたきっかけは、戦争だった。
終戦記念日に沖縄へ行こうと決めた。
そして私たち、特に夫は、その生き証人たちの生の声をたくさん聴いた。
沖縄で私はいわゆる私と同じような心の痛みを持った人にたくさん出会った。
それは一見とても個人的な、家庭の事情に見える。
その痛みにはいろいろな名前が付けられ、対処法がラインナップされている。
戦争は、家庭内に引き継がれている。
戦争の傷は血を流し続け、その痛みは理解と共感を求め、誰かを傷つける。
身近で、愛しい人を。
私は自分が育った家庭の中に流されている血の、おおもとの傷を探す旅をした。
私の父は川崎で生まれ、戦争を機に郷里の信州に戻り、育った。
母は満州の裕福な家に生まれ、戦争でほとんど何もかもを失い命からがら日本に帰った。
食卓で父が、戦争での一番悲しい思い出を語ったことを思い出す。
おうちで飼ってかわいがっていたうさぎがある日いなくなって、その晩の献立がごちそうだった。
これはもしや、と思ったけれど、母親に問いただすと傷つけてしまうと思い聞けなかった、と言った。
とてもリアルに感じられて、そうか悲しいな、と共感しながら聞いていると母が聞き終わらないうちに遮った。
なーにそんなこと!そんなの苦労の内に入らない!そんなもんじゃない!戦争は!
心からの憎しみと怒りと、軽蔑がこもった口調だった。
その母の迫力ある断言に私は、自分が父に共感したことは間違いなのだと思った。
母のほうが父より正しいことを言っていると理解されたのだ。
このことは繰り返し思い出される光景なので薄れない。
私の心が平和を取り戻し正気になってみると、少年がかわいがっていたうさぎをお母さんが仕方なく晩ごはんのおかずにし、少年はそのことを知りながら何も言えないという光景はただただ悲しい。
その知らせと同時に「まんじん」たちが一斉に石を投げてきた。
その中を、うら若いおばあちゃんと3人のこどもとで走って逃げた。
どうやって乗り越えたかわらかない高い塀を何度も超えて、放浪した。
途中瓦礫の中に使えるお風呂があって、おばあちゃんが帯を外して目の前に置いたとたん、肌身離さず帯に隠し持っていた全財産をかっぱらわれた。
ロシア兵が来ると、こどもたちだけを残しておばあちゃんは屋根裏へ隠れる。
そこで小さなこどもたちは固まってホールドアップしたまま彼らが去るのを待つ。
なぜなら若い女の人はレイプされてしまうから。
という話を何度も聞いた。
ごく近年になって、この放浪は一年以上続いた、と聞いた。
終戦に始まり、引き上げて帰国したのは翌年の秋だった、と。
私は耳を疑う。
なぜそんなことを?
さあ、と母は言う。
そのうちに混乱は収まって、元の家に戻れるとおばあちゃんは思っていたんじゃない?でもムリだとようやく諦めて、日本に戻ったんだと思う、と。
戻った一家に居場所はなく、もともと持っていた土地も売り払われたか国に取られたか、という話だ。
中国残留孤児のニュースをテレビで見るたび母は、おばあちゃんはよく誰も売らずに私たちを連れて帰ってくれた、と話した。
そんな中を生き抜いてきた私の前で、いなかのちょっと食料が少なくなった家庭のうさぎ一匹の命がなんなの?!
母の言い分もわかる。
言い分はわかるけれど、悲しみに、なにかを慈しむ心に、大小の差があるだろうか。
私は小さなことによく躓き、前に進めなくなることがよくあった。
悲しいと、動けない。
すぐ疲れる。すごく疲れる。
人の態度、言われたことをとても気にする。
わずかな人の心の動きに、とても左右されるこどもだった。
傷つくと、がんばれない。
力が入らない。
なにもできない。
そういう辛さを母は理解できないと言う。
もっと下を見てごらん、もっと大変な人はいくらでもいる。
そういう人と比べて、ありがたいと思えと言った。
顔と全身の皮膚全体の半分かそれ以上に青と赤のあざを持って生まれた弟のことも母は、身体障碍や知的障碍のある他の人と比べて「まし」だとよく言った。
けっこう差別的な危ない言葉でそう言っていた。
そして、私の生き辛さはうちの家庭の中の「問題」に含まれなかった。
私はきょうだいの中でもっとも健康に生んでもらった子だったから。
母の価値基準、重要度の順列にはいつも確固とした理由があり、私は完全にいつも母が正しいと信じていた。
その一方で私の中の葛藤はどんどん強まり、疑問は膨らみ、バランスは崩れ、方向性は完全に見失われていった。
こうして振り返ってみると、母の中の燃え盛る戦火が見える。
戦争以来一度も消えたことのない劫火が。
父がかわいがっていたうさぎを黙って食べたのか、食べられなかったのか。
そこまで父が語ったのかどうかはっきりと思い出せない。
どちらも想像できる。
母にそんなふうに遮られたとき、父は怒らなかった。
それは憶えている。
そうか、そうだな、というような静かな態度だった。
戦争は、小さな悲しみを踏みにじる。
大きなものだけが取るに足るものだと言わんばかりに。
戦争は小さくて大切なものを吹き飛ばす。
小さくて大切なものの中だけに愛が住んでいるというのに。
戦争は私たちの心が作る。
隠されて姿を変えた怒りが復讐する。
復讐のためなら私たちは愚かなふりも騙されたふりもする。
自分で作ったものなら、私たちはそれを終わらせることができる。
ただそれだけが希望だ。
私は戦争を憎まない。
隠されて姿を変えた怒りに、目を背けず、光を当てて、あるべきところへと帰してあげる。
復讐をやめて、本当にほしかった愛を手に入れて、素直になる怒り。
自分で吹き飛ばしてしまった小さな大切なもの。
そこに住んでいたそれだけが、本当に欲しかったものなのだ。
お父さん、お母さん、みんなで、帰ろう。
本当に欲しかったものと一緒に。
私が道案内するよ。
そして、この世界の戦争を終わらせよう。
感謝とともに