「みんな幸せになりたいに決まっている」
と、人は言う。
それは本当だろうか。
人は皆、欲求を満たそうと生きている。
それは本当だと思う。
幸せとは欲求を満たすことだろうか。
それは違う。
(欲を満たしたときによく
「ああしあわせ」と、人は言うけれど。)
「幸せは感じるものだ」と、人は言う。
「遠くに探しに行くものではない」と、人は言う。
今ここにあることを受け入れよ、と。
それは、
「すぐに満たせる欲をすぐ満たすことが幸せ」
にすり替えられる。
「小さな幸せで満足せよ」という意味に取れなくない。
ほんとうの幸せは、ほんとうの自分をみつけないとわからない。
ほんとうの自分をみつけるには、
遠くであれ、近くであれ、
外を見ていたらわからない。
内側の一番遠くを見ようとしてみる。(宇宙意識)
あらゆる欲求の声をわきにどけて。
これが自分だと知っている部分をわきにどけて。
自分を宇宙意識と等しい無限の霊だと認識すれば、
ただそれが喜びだとわかる。
ゆえに、今ここに幸せがあると、初めて言える。
幸せに満たされない時、有限な肉になった自分がいる。
有限な肉は、自分を守り、守れない可能性を恐れる。
有限な肉から無限の霊に戻る。
自我から真我へ。
守れない可能性という魔物が幻想となり、消え去る。
決して薄れない、ゆるぎない幸せをみつけるとは、ただこれひとつ。
この仕組みを知り、それを身の内に適用し、理解する。
そして、それそのものになる。
癒しと呼ばれるすべてはそのためにある。
感謝とともに