みなさん、こんにちは。
ここ信州諏訪、岡谷市は秋らしい秋になりました。今夜はとうとう氷点下まで冷え込むそうです。
どの季節も今が一番、と思わせる魅力がありますが、紅葉が始まると、やっぱりこれ最高でしょう、と毎年思ってしまいます。三度目の秋ですが、私たち家族もより心がくつろいでますます楽しめています。
おかあさん(犬)は、うちの子になってから九年と四か月ちょっとが過ぎました。出会った時には生後半年くらいの子供を二匹育てていたので、間違いなく十歳は過ぎています。最近はお散歩中に「若々しいね」とか「鼻筋が通って美人だね」とか以前より褒められるようになりました。ますますきれいかわいくなっているみたいです。周辺には年配のわんこさんが多く、十七歳とか先日は十八歳というわんこさんにも会いました。おかあさんはまだまだ中堅どころかな。うちに来てくれてありがとうね、と思わず言ってしまいます。本当によく来てくれたね。
瞑想会、先日もありがとうございました。今回で四十一回目を迎えることができました。とにかく縛りを少なく、ただただできる限り深い瞑想の時間をとっていただけるよう、その価値と喜びを体験していただけることを目標にやってきましたが、継続してご出席くださっている方を拝見していると、意識の「純化」の度合いが半端ございません。奇跡講座の学びと合わせ、本当に驚異的としか言いようが無いと実感しますので、少しお話させてください。
私たち夫婦が今をくつろいで楽しめているのは外的な要因のためではありません。夫婦で心に、真理に取り組んでいるからです。真理とは規律や信仰云々の問題ではなく、人と人の真のコミュニケーションツールだと言ってもいいかもしれません。
例えば夫婦一対一での共同作業や共同生活、我が家はこれに共同事業が加わりますが、そうした場合のルールは互いの肌感覚や経験値に依存します。基準が食い違った場合、どちらかが譲歩します。こだわりのない物事ならそれでいいかもしれませんが、絶対にこちらが正しいと互いが思った場合の譲歩は後に響きます。その選択が後に問題を起こした場合、だからあの時言ったじゃない、やっぱり私が正しかったのに、など、わずかであるにしても攻める気持ちが出てきます。その気持ちは解消しようがないので少しずつ蓄積し、似たような事例が繰り返されれば膨れ上がっていきます。相手が何を言ってもやってもその攻める気持ちで反応するのが習慣となります。他方がそうであれば相手はそれに応戦するようになり、互いがいくら優しいコミュニケーションをとろうと心がけても一瞬で理性は吹き飛んでしまうのです。そこでそれを解決するのは、赦ししかありません。真理はそうやって私たちが攻防の戦いから退いて、愛のレベルに戻れるように、愛そのもので導いてくれます。赦しと、そして愛による導きが互いの間に入ると、その関係にも愛が働くようになります。
私たち夫婦は長きにわたり、二人の関係の真ん中に真理を置いて生活してきました。二人とも自分に嘘がつけないタイプなので、愛が感じられない関係には耐えられないだろうと最初から分かっていたからかもしれません。どうしたらいつも新鮮で心から互いを幸せにすることにコミットしそれでいて犠牲のない関係を恒久的に発展的に築けるだろうということを最初から(特に年上で、幼少期に家族間の問題を抱えていた私は)中心的な課題として意識してきました。私たちは今、毎日その素晴らしさを互いに実感しながら、驚きと喜びに満ちて、日々それが拡大していくのを体験しています。奇跡講座は、私たち人間が愛として愛を生きるための実践書だと言えます。愛は夫婦や特定の関係のみならず、あらゆる関係に延長することができます。それは良い人間関係を築くための知恵(方法)ではなく、私たち神の子と神との関係が真実であることから訪れる自然で本来のものです。
奇跡講座、気になっているけど、本は持っているけど、進んでないとの声をよく伺います。正直、そういう方々がもう一歩を踏み出されたら、世界は簡単に変わるだろうと確信しています。
世界が変わるというと範疇がぼやけるので、世界というものを、みなさんのご家族や職場、学校、住環境など直接触れる関係と限定してみましょう。世界が変わると言うのはそう言った身近で影響力があり、その関係性如何で幸せか不幸かが決まってしまうような関わりが変化することだと言えます。
奇跡講座の学びは、そこにダイレクトに響きます。でもそれは、外部にアクションすることでではなく、自己の内部、つまり心に働きかけることによります。心に働きかけると言うと難しく聞こえるかもしれません。或いはもうそういうのは散々やってきた、と思う方もいるかもしれません。が、奇跡講座の学びは多分他に類を見ません。
奇跡講座は圧倒的に理論的です。潜在意識をいじるテクニックなども含みません。理性によって無意識を変容させます。
ただし、理性を顕在意識、無意識を潜在意識と置き換えるなら、無意識の領域は理性よりも圧倒的に広大で優位だと考えられていることから、通常なら理性で無意識を変容させるのは無理と言えます。
でもそれは、理性というものを小さくとらえた場合です。私たちの知恵、つまり経験値の総和だけを見るなら、無意識に比べ理性はちっぽけです。でも私たちの本質全体を見るなら、過去の蓄積などを全く超えた、不変の意識というものこそが本当の意味の理性だと言えます。不変の意識のことを、宇宙意識(神)、超意識(キリスト意識)と呼び、それこそが私たちそのものである、という見かたを奇跡講座ではしています。この二つの部分は真我とも呼ばれているものです。そして潜在意識と、潜在意識の表層的な部分を意味する顕在意識のことは、自我と呼ぶことができます。
潜在意識とは肉体の体験の記憶の貯蔵庫であり、自分を肉体であると認識し、肉体である自分を保存することを目的としていますから、自我そのものです。
この世的なスピリチュアルの法則がどうしてなかなか機能しないかと言えば、真我と自我の両方ともが自分だと定義している、この一点に尽きると言えます。言い換えれば真我と自我は両方が実在し、その両立が目的だと言っています。自我の投影であるこの世界を実在のものと見なし、この世界に真我、つまり神意識を持ち込み、両者を融合させようとしています。でもよくよく紐解けばそれが矛盾と葛藤しか生まないことは明らかです。なぜなら別々の目的を持つものを融合することはできないからです。どちらかが目的となるなら他方はその手段です。自我の目的のために神を使うのは傲慢だと誰もが思うと思いますが、この世的な信仰もスピリチュアルもそれ以外の様々な教えも、よく見ればそうなっているのです。
奇跡講座は、こういったあらゆる矛盾とそこから生じる葛藤を、不可能なものにします。どうやってそうするかというと、ただ仕組みを理解し、認め、そしてその仕組みに基づいた見かたを、自分の人生のなににでも当てはめていくのです。最初から信じる必要もないし、特別な訓練もいりません。もちろん特殊な能力もいりません。ですが、あまりに当たり前の日常に、違う見かたを取り込んで融和させるためには新しいルールに慣れるためのコツがいりますし、真の理性に助けてもらう必要があります。
またある程度ルールを理解し納得することは一人でできたとしても、それを日常の時間の中に適用していくには無数の盲点が邪魔をしてきます。そして、真の理性を適用してもそれが機能せず、芳しい変化が訪れないと停滞してしまったり、或いは変化は起こっても、それが歓迎すべき変化に見えなかったりと、幾重もの罠にはまってしまうことがあります。
真の仕組みはそもそもそれを独りで達成するようには設計されていません。誰かが完全に達成して、誰かが取り残されたりというような分離したままの世界が存続することはあり得ないのです。達成とは分離が消えすべてがひとつになるということです。
でもそれ以前に、まずは分離の夢を見ている私たちひとりひとりが、恒久的な平安というものを自分のものとして受け入れほんものにする必要があります。それが可能でなくて、どうして一つなるものが達成されるというのでしょう。
真の仕組みは、学ぶことと教えることはひとつであると教えます。また、与えることと受け取ることはひとつ、とも言います。このことは気休め程度の楽観的な思考ではなく、厳密で緻密な化学方程式のように働くとわずかにも理解すれば、あなたもその法則を自分の人生の中に迎え入れる喜びを体験したくなるでしょう。そして、恒久的で完全な平和は可能なのだと理解することになります。
私は、人生のどんなに強大な問題も、ほんの些細な出来事も、すべてこの法則によってのみ解決することを選びました。そして全世界の大小さまざまな問題に同じように適用できると確信を持つことができました。それは、私とともに学んでくださった皆さんと、それ以前から癒しのお手伝いをさせてくださったみなさん、そして私の人生のあらゆる場面でかかわりを持ってくださったすべての魂の兄弟姉妹たちのおかげです。
奇跡講座による身近な最初の変化は、私たちが攻撃をやめるということによって始まります。攻撃というのはエネルギー的、つまり意識の中でしていることです。そしてその殆どが無意識です。私たちがなにを前提に、どういった目的でそれをやっているのか、この学びが進むにつれ、つまびらかに理解するようになります。でもまずは、自我の無意識的な攻撃とその目的に気づき、それではないやり方を選ぶことで、周辺環境と居住まいは激変する可能性があります。
例えば夫婦でのやりとりで、愛を交換しているのでないなら、私たちは攻撃しています。そんなばかな。その中間や、普通という状態があるでしょう、と誰もが思うでしょう。でも、どちらかしかありません。そのことをレッスンの初期から学んでいきます。私たちには、ニュートラルは存在していないということを理性が教えてくれます。
これも多くのスピリチュアルや精神修養の教えと真っ向から食い違います。自分に取り組んでいる人の多くはニュートラル、中庸を指針としています。でもそれは存在しないというのです。私たちはこのように存在していないところに真実を探し続け、達成不可能なことを目的に選びます。そして達成できない自分に罪悪を見て、罰を受けることで自分を保って生きます。
私たちが根詰めて疑問をぶつければぶつけるほど、講座は完全な答えを私たちに与えます。ですから、これまで世にある教えに納得がいかなかった、法則が自分には機能しなかったという人ほど、奇跡講座の凄まじさを理解されるのはないかと思います。その凄まじさとは、真理は本当に真理なのだということ。そして私たちは完璧に真理に即した存在だと言うこと。真理以外のものは幻想であるがゆえに全く機能していないということです。ではなぜこの世がこうなのだという疑問の全てに奇跡講座は完璧に応えてくれます。
触れてみたい方、理解を深めたい方、とっかかりを探している方、いつかは必ず読みたいと考えている方、お手伝いをさせていただけたら幸いです。概要はホームページをご参照いただくか、直接お尋ねください。
末筆になりますが、この講座を立ち上げた当初からこれまでご一緒してくださった皆さまに改めて感謝申し上げます。本当にかけがえのない多くを学ばせていただきました。私が受け取らせていただいた学びをまたご一緒に延長していくことを私の時間の全てをかけて差し出してゆきたいです。また必要になった時、声をかけていただけたら幸せです。どうそ皆さんのうちなる呼び声がすべてのきょうだいのうちに鳴り響きひとつになりますように。その声を皆で聴くことができますように。
感謝とともに
AZU拝