みなさん、こんにちは。ゴールデンウイーク、あっという間に過ぎました。RUACHは通常通り営業しましたが、日が長くなり、夕方のおかあさん(犬)のお散歩をどこかしらの絶景ポイントでゆっくりできました。沖縄もそうでしたが信州、桃源郷多発地帯です。(インスタにぼちぼち上げています)
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昨日は木曽まで足を延ばし、奈良井宿周辺を歩きました。夕方でお店もほとんど終わっていましたが、それでも普段よりたくさんの人が行き交う中、おかあさん本当に落ち着いて粗相もなく、時にかわいい!と声をかけていただいてちょっと得意げに歩きました。沖縄で生まれ育ち、恐らくひとりで出産し、2頭の子供たちが無事引き取られるまで藪の中で立派に守り育ててからうちの子になってくれ、2000キロを隔てて極暖から極寒の環境を受け入れ、長い外犬生活から室内犬となって今に至ります。出会って丸10年、毎日かわいいを更新しています。おかあさんに声援を送り愛してくださる皆さん、ありがとうございます。
さて、先日もゴールデンウイークの只中に瞑想会を行うことができました。本当に感謝です。瞑想は、すべての人々の心とつながることを可能にします。なぜなら私たちの内側にはひとつである神が在り、瞑想はその神とつながろうとする行為だからです。ひとつであるということは、全部そこに含まれるという意味です。ワンネス、天国の希求への答えはそれしかありません。
この世をこの目で眺めれば、すべてがひとつだとかすべての人が完璧だとか、すべての人が幸せになることなど絵空事だとしか思えません。多様性に対して寛容でいることがかりそめの平和へのせめてもの対応のように見えます。
しかしそれもこれも、大前提が肉体こそ自分だというところから始まっています。心とからだはひとつだとか、スピリチュアルと現実のバランス、などの考えのすべてはその前提の上に立脚しています。
その大前提を見直しさえすれば立脚しているすべてがひっくりかえります。そうすれば絵空事だったものこそが現実で、現実だと認識されていたすべてが変わらざるを得ません。
それはただ、見方を変えるだけで済みます。というのも、見方が世界を形作っているからなのです。
世界がひっくりかえることを望み受け入れる決意さえあれば、世界は変わります。でもいざそうなりかけてみると、自我はそれを拒み抵抗するのです。自我は幸せよりも既知を、変化より過去を、平等よりも特別性を好みます。それもかなり強固にです。手に入れることを成功、手放すことは失敗だと認識します。
自我と真我の特性をこのように学んでいくと、人はどこまで行っても同じところをぐるぐるしているだけだとわかっていきます。望むのは本質的な変化だけだとわかります。そしてその本質的変化とは、原点、つまり本来に戻ることだけです。
原点、本質、本来、それが愛です。私たちは愛として創造されました。
戻るために必要なのはおそうじなんです。しかも内側の。内側の思い込みが取り消されると、来た道は遠かったけれど帰りは道ですらないほどおうちはすぐそこにあります。
その景色は多分、どんなてっぺんよりより美しく澄んでいて自由です。みんなで体験できることを夢見ています。
感謝とともに
AZU
