AZU WORLD

心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

この世で唯一の治療法

みなさん、こんにちは。

五月も間もなく終わり。信州の景色はどんどん変わり、新緑から濃い緑に変わりつつあります。ハリエンジュ(ニセアカシア)の花が咲き乱れ、あちこちからあの甘く優しい香りが漂っていましたがこれも間もなく終わります。

信州に来てハリエンジュのお花の天ぷらを知ってしまいました。春先から山菜の天ぷら祭りが続き、違ういただき方ないかなと思い付きでお茶にしてみました。嬉しい効能ないかなーと調べてみたら、利尿作用とあり、まあ、コーヒーや緑茶くらいかなと思っていたら、想像を超えたかなりの効き目でした。ほのかに香り、ほのかに甘い、レッドクローバーにも似た香ばしい味もします。花びらに熱湯を注ぐと額が黄緑にぱーっと変わり、きれいな花が益々きれいになるのも嬉しいです。

それにしても信州岡谷市はまだまだ寒い日があります。さすがにもういいかと冬布団をしまってからまた毛布を取り出して使っています。治療院では朝は暖房を入れたり午後は冷房を入れたり忙しいです。

八ヶ岳は空が煙っていてかすんで遠くに見える日が多いです。ついこの前はくっきりした雪山がすぐそこに見えていたのに世界が違って見えて不思議です。

私たちは沖縄から引っ越してからまる三年となります。うちの庭の花桃の下でくるくる回っていたかわいい小学生も、あっという間に中学生。日々大切に、意識的に、正直に、生きたいなと思います。

今月は念願の、「ヒプノセラピストのための講座」を受けてくださったセラピストの皆さんとのミーティングができました。信州、関東、沖縄を結んで垣根を超えたコミュニケーションができて、想像を超えた実りがありました。

私もまもなく59歳になろうとしているんですが、最近、自分の軌跡を新しい今の視点から見直す機会が増えました。言い換えるなら、癒された自分として訂正された世界に出会う機会と言えます。

近年は、夫をはじめクライアントのみなさんのおかげで奇跡講座への理解が格段に進み、癒しの働きが厳密によく見えるようになりました。

この世的に考えると、許しには多少なりとも我慢と犠牲があります。許したことで多少の解放もありますが、どこかに不公平さが残ります。

子供の頃、きょうだいで衝突があると「お姉さんなんだからが譲りなさい。我慢しなさい」と度々周囲から言われてきました。お姉さんとして生まれる子はどこか、それを受け入れている部分があります。それはおそらく自分より更に小さき、か弱き、守るべき存在がいてくれることへの喜びを認識しているからです。愛を学ぶ下地としてその形を選んでいるのだと思います。ですがそんなお姉ちゃんにもどうしても譲れないことが、たまにはあるのです。そんな時、自分より大きな、強い、守ってくれる存在がお姉ちゃんにも必要です。でも実際にはそこに裁きがあり、軍配が自分に上がることはほぼありません。

我慢して譲ることでの許しは、私たちを少しずつ疲弊させ、諦めさせ、損なっていきます。大人になるころにはそれ以外の許しは思いつかなくなっています。

妹や弟たちはと言えば、たった二歳やそこいらしか違わない、なのに明らかに自分より大きな人がいつも自分の行く手の先を行き、時に道を塞ぎ、自由を奪われていると感じざるを得ないかもしれません。自分より明らかに強い者を許すなんて、非常に困難に思えることでしょう。

真理における赦しとは、これらとは全く異なります。でも「ゆるす」と聞いてとっさに思い浮かぶのは、忍耐や犠牲や、とてつもない困難、というイメージだと思うのです。結局のところ背伸びして、大人になったふりをして、自分が上に立ったつもりになって許す以外に道はないと思えるのです。

真理における赦しは即ち愛に戻る道です。ただし許しに犠牲があると信じているうちは、愛にも犠牲があると認識されます。愛に戻ると表現されるのは、私たちにはそもそも愛が備わっており愛こそが本質だだからです。でも、戻ったところにある本当の愛を、私たちはわかっていないのです。だから、赦したあとの世界は私たちにとっては結局未知なんです。

ですからゆるしは自分の力では絶対にできないことです。それは未知である愛そのものにしかできません。勘違いしがちなのは、愛は自分の本質なのだから、自分でそれをできると考えてしまうことです。自らの本質でありながらそれを知らないということを見落としてしまうのです。

未知で未体験のものと付き合うには、それが見えなくても感じられなくても、あると「見なし」、そしてそれを信頼するしかありません。それはこの世的に言えば、まず差し出す、まず受け入れる、自ら進んでそうすることに似ています。

実際に試みるとわかるのですが、それはことごとく邪魔されることです。あらゆる角度から恐れがやってきてはその選択は間違っていると訴えてきます。

だから、私たちが愛に戻るには、まずその恐れをわずかでも癒し、癒されたという体験が必要です。そしてそこには明確な、例外のない、確実な法則があるという手がかりと、それに従ってみようという意欲が必要です。

今私の周辺には夫をはじめ、それを選んだ仲間たちがいます。私のうちにかすかに見え隠れしていたわずかな光は今や私を満たし、共有され、それを喜びあえる魂の家族に守られています。

その光がどうか届けられますように。

そして分かち合うために、私がその道具として働けますように。

感謝とともに

AZU拝

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