真の平和が国境を超える前に、新型コロナウィルスが地球に蔓延しつつあります。
ニュースになった最初の地点から注目していましたが、予測のつかない変化がもたらされる時に来ているのが現状だろうと思っています。
今のところできる対処は基本的で、ほとんど誰にでも実践可能なこと、手洗い、うがいのような衛生管理と、そして免疫力など生命力を高めること、などでしょう。ちなみにマスクに効果がないという意見をよく目にしますが、無症状の例が多いことから、自分から拡散しない助けにはなると理解しています。
これは、人がしあわせでいるための努力とも似ています。
誰かが特効薬を発明し、やがて医療や市販の流通が解決すると望んでいる人も多いかもしれませんが、それはそれとして、私たち一人一人が、生きるということについて認識を深めない限り、技術や文明の進化は生命にとって毒となり人類や地球の望まない方向へ流されてしまう可能性を孕みます。
私たちがなにかを理解し生かす境地に立つまでには、いつも多くの犠牲を伴います。
命や人権や、それに準ずるなにかが失われることで、間違った選択や方法に気づき、改善の道が開かれます。
もっとも悲しい犠牲に寄り添う思いがあってこそ、私たちはその恩恵に報い享受することができ、そうであって初めて、起こったことを理解し生かしたと言えるのではないでしょうか。
目覚めとはなんでしょうか。覚醒するとは。
高次元の意識に目覚めるとは具体的にどんな変化でなにを目的とするのでしょう。
高次元とは愛です。愛しかありません。
私たちは二元的な思考のループから抜け出すために時にショッキングな体験を必要としますが、そのショッキングな体験が目覚めなのではありません。
実際、二元的な思考の視点から愛を眺めてみると、恐らくその価値観の違いにショックを受けざるを得ません。
しかしそれを肉体の体験の次元に降ろしてみると、それは本当に些細で地道なことです。
私たちは目覚めるほどに小さなことの成り立ちを理解するようになり、そのディテールの連なりを拡大して世界を理解できるようになります。
その連なりの結晶も、連結している働きも、すべてが一つの法則の下にあるのです。
起こること、起こっていることをどう受け入れどう変わるか。
どう受け入れるかは内なる指針と気づきにかかっています。
思考は、過去の慣れたやり方を自動的に選ばせようとしますが、気づきと内なる指針は未知へ、より開かれた境地へと私たちを連れていきます。
未知、そして開かれた境地に自我は必ずなにかしら恐れのサインを発動するでしょう。
その恐れを無視するのではなく、向き合うことこそが成長と統合への個人的で実際的な取り組みと言えます。
誰もがその恐れにだけは目を向けたくないのです。
それよりは状況や外側に振り回されていたいのです。
或いはものごとの良い面だけを見ていたいのです。
しかしそうある限り、私たちは同じところでぐるぐる回っているだけです。
世界が国境を越えて同じ課題に揺さぶられる体験はそうそうあるものではありません。
世界大戦と世界恐慌くらいなものではないでしょうか。
ウィルスを恐れるなと言う人もいてそれ自体はもっともなことかもしれませんが、私たちの中に潜在的に存在している恐れのからくりを理解するためには、感じないふりは最も大きな壁になります。
そこへの理解が、自己の地図と現在地を私たちに示してくれて、そこから踏み出す一歩をどのような姿勢でどこに定めれば良いのかを知らしめてくれることと思います。
■毎週金曜日13時から、心の勉強会(定員4名さま)
■毎月第4日曜日10時から、定期瞑想会(定員8名さま)
■個人セッションは当日のご予約も可能です。
RUACHでは、ご入室の際に手指のアルコール消毒をお願いし、セラピストはマスクで対応させていただいていますがご了承ください。
みなさんのご自身へのお取り組みのお手伝いをさせていただけていることに感謝しております。
AZU拝