みなさん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。おかげさまでよい春を過ごさせていただいています。
信州の春は雪の奥から芽吹き、花開き、風に散り、そして新緑へと一気に進みます。幻想とはいえあまりに美しく、ともすると外側の美しさにフォーカスし心奪われたまま進みがちです。けれどどんな時でも永遠の意識である愛はその聖性によって心を呼び戻してくれます。世界が優しく美しいのは、あなたの心がそうであることを映し出しているから。いつでもそうです。
心には仕組みがあり、私たちはその仕組みのままに今も生きています。そこには4つの領域があります。大きな丸を描いてください。その内側に〇を描きます。卵の黄身と白身みたいに。白身の外には殻の部分があり、黄身の中心には点のように小さい〇を描きます。そして、外の殻を顕在意識、白身を潜在意識、黄身を超意識、中心の点を宇宙意識と名付けます。
この〇を心と呼びます。そして、この〇の中にすべてが入ります。家族も会社も宇宙も全能の神も人生の目的も手段も意味も、本当にすべてが。
この〇をセッションで数千回ほど描き続けて生きてきました。そして描くたびに、それがすべてだと話し続けました。これが宇宙の仕組みです。
4つのうちの内側の2つは真の自己で外側の2つは幻想の自我です。
私たちが取り組むべきところ、つまり変化が可能なのは幻想の自我の部分のみです。
私たちが思い出すべきなのは内側の2つ、つまり真我です。
私たちは真の自己を忘れ、幻想を自分だと錯覚したままこの世界を生きています。幻想を脱却し真我への帰還するための道のりを歩むには助けが必要で、私たちは力を合わせてその道を歩む途上にいます。
ですがそこに数々の罠があり、誘惑があります。実際に歩むと意図してみると結構厄介な状況に人類はあるということがわかります。ただしそれは自我軸から世界を眺めた場合です。
真の自己に僅かな瞬間でも戻ることができれば、そこから眺めた世界は他愛のないものです。そして他愛のないその世界を赦すと決めることは私たちの心にとって理にかなっていて至福の選択でもあります。
潜在意識が放棄されるべき幻想そのものとなっていることにお気づきでしょうか。この世界で潜在意識が信仰の対象となっている理由は、おそらく私たちの理性である顕在意識が潜在意識の前にはあまりに無力だという力関係になっていることが明らかだからだと言えるでしょう。
私たちは真の自己を忘れ、肉体こそが、あるいは分離した自己こそが自分だと信じています。葛藤は常に潜在意識に相反する無力な理性との間に起こります。自己不振に苛まれ続けるくらいなら、潜在意識の目的(自我保存)に準じて潜在意識を味方につけて生きる方が合理的で優しいという見解が一定の支持を集めているものと見られます。
その結果は無残なものです。なぜならその見解も方向も、私たちの本質である一なる聖性とその愛とは全く無縁なものだからです。
私たちの理性は、潜在意識の受け皿であるうちは単なる無力なイエスマンであるか超少数の野党のような存在です。ですが本来その存在の意義は、真の自己を顕現するために働く領域なのです。
幻想が癒され赦され取り消され、つまりその影響力が軽減されるほどにそれは真実となります。私たちが真の自己を思い出し、もはや疑う余地を残さないとき、理性は真の自己とつながり、神の子としての自分のままに世界を見るための道具となります。
このことについて学びたいとお感じの方はぜひセッションか講座をお選びください。
全力で伴走させていただきます。
感謝とともに
AZU
