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トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]沖縄 心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

世の光

3月から奇跡の講座(究極の意識の仕組みを学ぶ奇跡の講座)を始めさせていただき、講座は後半を折り返し、また終盤へ向かいつつあります。

「教えることは学ぶこと」と言いますがそのことをどこまでもとことん教えられている私がいます。

 

奇跡のコースは、究極の仕組みを私たちが理解するのに必要な手がかりだと私は思っています。そう、言葉は単に手がかりなのです。しかし言葉の背後には神が直接私たちに語りかける愛というエネルギーに満ちています。その愛を受け取り、そして神への愛を私たちが思い出し実際にそうするようになるための道がそこに横たわっています。

 

手がかりは取り出され、解凍し、そして口にして味わい、飲み下してそして、それが自分にどのように作用したのかを観察し、そして結果変化した自分を、新しい真の自分として認識し受け入れ、一体になる必要があります。そこまでが学びの一つのサイクルです。それが変容であり統合と言われるものです。その循環が理解のプロセスです。

 

理解とは心を通してなされることです。ですから理解するには、主導権を頭に譲り機能しなくなったか、または非常に軽んじられてまるで盲腸のような立ち位置でからだに取り残されている「心」が主役の座を取り戻す必要があります。

 

私にはその学びのお手伝いをするためのトレーニングがなされていたんだということに改めて気づかされました。そしてこれから、私の人生の終盤に向けて私がすべきことも日に日に明確に見えてくるようになりました。

 

私は恐らく自分が気づくよりはるか以前から、このトレーニングを受けてきたのだと今わかります。

思い起こせば高校生のある時、自分は神から完全に見放されていると心底感じて部屋でふとんに突っ伏して号泣していたあの日、あの時自分の脳裏にはっきりとビジョンが見えていて、その絵を今もはっきりと記憶しています。

そのように私は神から隠されてしまっているとその時はっきりと感じたのです。そして心からそのことを嘆き悲しみ、そして同じ強さで訴えました。

もしあなたがいるなら、今私が感じ、信じてしまっているこのビジョンを覆してください。私が間違っていると私に知らせてください。私が知っているこの世界をはるかに凌駕するあなたの真実を私にはっきりと見せてください、と。

そしてその声は届いていたのです。そのことにまったく気づかない間も、この外側に広がる幻想世界に完全に埋没しているかのように感じられたうちにも、私は果てしない神の愛の中で、私の魂が真に求めるものをはっきりと理解し受け取るため、決して形では測り得ないトレーニングを受け続けてきたのです。

 

壮大なトレーニングの末に今見えている世界、この世とは、なんなのか。

みなさんは、この世界は本当は愛に溢れている、或いはだんだんと愛に満たされていくものと期待しているかもしれません。

でも真逆のことがわかりました。

この世界は恐れと罪悪感によって展開する世界なのです。

それが、神はこの世を創らなかったと言い表されることの意味です。

 

そしてもしあなたがこの世で生きづらいのであればそれは恐らくこのためなのです。

それはインナーチャイルドの傷のせいでも、前世のカルマでも、HSP、HSCという敏感すぎるあなたのせいでもありません。

 

生きづらい人は恐らく、この世の不全性に耐えられない人です。だからその直観を信じてくださいと言いたい。でも生きづらい人は自分を修理するという努力に慣れ過ぎていて、目的とゴールがいつの間にかすり替わってしまうものなのです。つまりこの世で生きやすくなることがゴールである、というように。

 

インナーチャイルドの傷も過去世のカルマも敏感さもそれらはすべて、愛をもって真実に目覚めることで贖われます。しかしそれは、この世のルールにのっとりその中で悠々と生きている人も含め、すべての人に等しく必要な目的でありゴールです。生きづらい人だけに必要な自己再生プログラムでは決してありません。

 

さて、そんな世界に希望の光があるとするならそれは、他ならぬあなたであり、私です。私たちが自分を思い出し、取り戻し、本当の自分を生き切ることであり、それは本当の幸せを選ぶことに始まります。

 

この世には常にそのチャンスが溢れています。一見の良し悪しに関わらず等しく溢れています。ただし恐れも罪悪感も、私たちの目を覆い、真実を求める心から自己を遠ざけます。恐れと罪悪感の分厚い雲の一部の隙から差し伸べられる救いの手を掴むため、またその手助けのためにも、私たちは無限の内なる世界に少しでも長く深く、居座るべきなのです。

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ワンダフル・ワールド

みなさん、こんにちは。ご無沙汰しています。

沖縄では長く激しい梅雨もようやく明けて、そうそう、夏ってこれだったと思い出すことができました。今日も目の前に美しい空と海、緑が広がっています。

 

ですが緊急事態宣言は残念ながら明けませんね。

情報の混乱は相変わらずのようです。

情報の混乱は散らかったお部屋にいるようで、私は個人的に疲れます。

きっとみなさんそれぞれいろんな意味で疲れもおありと思います。

 

疲れたまんまものごとを観るとなにかと咎めたくなるものです。

そうすればますます世界は窮屈になり、結果自分に重石が乗っかっていきます。

疲れにはもっと疲れる状況が引き寄せられるっていう、あれですね。

 

でもそんな罪と罰みたいな見かたよりも、私たちは単に見たいものを見ていると言ったほうが真実だと思います。

なにより罪と罰的な考えをしていると、気づきがあってもそこから動けないんです。

嫌なものに気づいた時、それが私の中にもあるはず、それはどこにあるんだろうと探したり罰したりしたくなります。

罪という原因があり結果罪があるという見方ですね。

でも本当は見たいものにフォーカスしているだけだから、別の見かたを探せばいいだけなんです。

ただそこを立ち去り別の道を探す。そういうイメージです。

それが裁かずに変容する、神のやり方です。

内なる神の導きを願うとき、言うべき言葉はまさにそれです。

「私はこの件について別の見かたをしたいです!」

この声を聖霊が聞きつけ、あなたに気づきという答えが来ます。

 

ただしその見かたをするようになったにはそれなりの理由があるから、それをはっきり観ることでより明確に古い見かたを卒業できるのは事実です。

そしてそれを観る時「咎めなく観る」ことが最も重要な態度です。

 

咎めなく観るには練習が必要です。

よく「ジャッジメントしない」という言葉を聞きますが、感じていることを無視することにすり替わっていることが多い気がします。

 

咎めなく観ることは、感じ切っていないとできません。

最大限心を開いて感じてみると、恐れるべき可能性は消え、ただの恐れとなり、またその恐れをも体験し終えることができます。

その時、防御が消えて、あるがままが見えます。

 

咎めなく観るには、慣れるまでは立会人がいたほうが有利です。

一緒に練習すると手探りよりはかなり時間とエナジーを短縮できます。

そしてその分早く愛を広げることができます。

 

日常のほんの小さな心の動きに関心を抱き、喜んで探究するようになると、無限の気づきが溢れます。世界はなにも変わらないのに、私たちは内側で天地がひっくり返るような喜びだって体験できます。

まさに奇跡です。

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ヒーラーというおしごと

みなさん、こんにちは。

今日はレイキ・ヒーリングについて少し。

レイキの成り立ちは、深い瞑想と純粋で誠実な意図によってもたらされています。

その源は間違いなく、内なる神です。

 

レイキの源は一般によく宇宙の生命エネルギー、というふうに伝わっていると思いますが、それは物理宇宙のことではなくて、意識エネルギーのことです。

内なる神は宇宙意識とも呼ばれます。

その仕組みを順を追ってお伝えするとみなさん、「わかりやすいです!」「シンプルですね!」と言ってくださいます。

遠隔ヒーリングがなんの努力もなく可能になるのは、それが真実の原理に基づいているからです。

そうです。真実はいつもシンプルです。

そのことをわかっていただければ、多くの人がレイキ・ヒーラーであるということをもっとシンプルに受け入れられるようになると思います。

レイキ・ヒーラーは、レイキ・エネルギーを使う人、ではありません。

レイキ・エネルギーに使われる人なのです。

この違い、イメージできますか?

 

自分がヒーリングをしている、と思っている間、その人はどうしたって結果に囚われてしまいます。自分が行ったその結果なのですから、気になって当然です。

でもそう認識している間は、レイキという無限のエネルギーに「わたし」つまり「自我」が制限をかけています。

うまくいけばそれは自分の成果ということになるし、思うようにならなければ力不足で自信を無くしてしまうでしょう。

まして対価をいただくとなれば、なにに対していただくのか、特定の成果なのか?ということになってしまいます。

 

レイキはものごとを神の法則、愛の原理に基づいて促進します。

この物理次元に神の手が入るのです。

ですから、その結果は私たちの知り得ない形で導かれます。

シンプルに体質改善されたり疾患が治癒することももちろんあります。

でも、ヒーラーが行うのはただ、そのエネルギーとともに寄り添うことだけなのです。

すると神の手は、私たちが作り上げた因果律の縛りを分解し「赦して」しまうのです。

そして私たちは癒されます。

 

ヒーラーの質は、この理解の度合いによって分かれると言ってもいいかと思っています。

 

最も神聖な根源なる神の、無限の愛と創造の力に使っていただく者は、当然ながらその力を極力制限しない、邪魔しないことに重きを置きます。

ですから当然、特定の結果を勝手に想定しないし、それ以上のことを受け入れるために可能な限り心を開いてクライアントさんに寄り添います。

その在り方が、神の手を深く招き入れ、双方が奇跡を受け取ることを可能にします。

 

私には特別な力がある、或いは足りない、優れている、などという認識は、この原理、つまり神の奇跡が起こることを阻害します。

ですから恐らくですが、自分はサイキックであるがゆえにより高度なヒーリングができると謳っている人のエネルギーには強烈さや偏りがある気がします。恐らくそういう方は自分がレイキを使っていると認識しているはずです。

 

実は今お話したことはあらゆるセラピー、治療に対して言えることです。

人の癒しを手伝う人はみな、神に使っていただくしか方法はなく、それによって人類に奉仕します。それは自分が高みに登ることとははなから目的が違います。

でもその結果受け取るのは神の恩寵と奇跡そのものです。

いかがでしょう。ビジョン、伝わりましたでしょうか。

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