今年も早半月が過ぎましたが2026年、今年もどうぞよろしくお願いします。
今年は私が生まれてから60年の年。恐らく多くの方はご存知ないと思いますが、60年に一度巡ってくる丙の午という干支の年なんです。
この年に生まれた女の子は気性が激しくて男を食い殺すなんて言われ、多くの父母たちはこの年に子供を生むのを回避しようとしました。その結果、高度経済成長のさなか、右肩上がりの出生率の中でぼこんと人口が少ないという稀な環境に育ちました。
私たちの次にこの体験をする子供たちは60年後ということで、幼少の頃からこの年について思いを巡らしてきましたが、ついにこの時が来ました。まあ、多分私たちのようなことにはならないんでしょうね。
60年前に迷信なんかものともせずに私を生み出してくれた両親も、ついにふたりともこの世を去ってしまいました。父は2014年に、母は実は昨年のお正月早々のことでした。(喪中でごあいさつが中途半端になり申し訳ありません)。
母から受け取った教訓は良しにつけ悪しきにつけ計り知れないほどありますが、すべてを赦しの祭壇にあげると決めてしまった今となっては、聖霊の視点においてすべては正しかったとしか言いようがありません。母のことを昨年中にも何度か書こうと思ったことがあったのですが書くに至らずにいました。しかし私も今年は還暦ですので、勿体ぶらずにできるだけ思いを言葉にしていきたいなと思います。どこかで誰かがそっと拾い上げ、なにかの足しにしてくれるかもしれませんしね。私の年頭の抱負といえばそんなことかもしれません。
小学3,4年の頃、当時の担任の松谷要先生(新任の女性の先生)のアイデアで、父兄の文集なるものがまとめられました。母が晩年身辺整理する中で私の手元にそれが届きました。およそ50年前のものということになります。
特に心惹かれるでもなく、わら半紙にホチキスで留められた手書き文字の文集をぱらぱら読んでみました。テーマは私たちの年の頃を振り返ってということのようです。
多くの父兄がた(ほとんどはお母さんが執筆されていました)の小学3,4年当時の時代背景は戦争一色でした。そしてほとんどのお母さんがたはその頃を振り返って、美しい田園風景の中で育ち、徐々に食べ物が無くなり貧しくなって不安だったけれど、それからまただんだんと平常に戻った、平和になって良かった、というような心情を描写されています。
私の母、京美(きょうみ)さんといえばのっけから劇的です。満州で生まれ、非常に裕福だった生活(開拓団で満州へ行かれた方は労働が厳しく貧しかったとも言われていますが母の家庭は父親が満鉄の社員でホテルなども経営し、新京放送劇団の幹部でもあり、世界で最も先進的な都会で育った人だったのだと思います)がある日突然終わりを告げ、終戦間際に父親は出征して沖縄で戦死し、日本に引き揚げるまで若い母と幼い兄弟で一年以上、今で言う難民生活を強いられ、財産も盗まれ何もかも失った、というような話です。日本に戻っても家屋敷は国から没収されたり親類に処分されたりで居場所はなく、祖母が女手ひとり4人の子どもたちを育て上げた。よくぞ残留孤児にならずに揃って帰ってこられたものだ。戦争は、私たちから何もかもを奪ったのです、という悲劇的な内容でした。
そんな強烈な作文を書いていたのは母だけでした。
そうなんだ。もうそこからしてなにか世界は違っていたんだ。
恐らく言葉に尽くせないほどの理不尽で暴力的な世界はずっと母の心に生き続け、母を生涯取り巻いていたのだろうと思います。
そうなら、私が幼少の頃家庭の中で受け取ったなにもかもが理解できます。
そして私は、形としては既に収束して見えないのに心から消えないがゆえにどのように扱って良いのかわからないような心に住む闇がもたらすものに振り回され、ずたずたに引き裂かれる自分を認識し、それがあたかも自分の罪の結果であるかのように人生につきまとう体験をしました。その当時ははっきりと、これは呪いだ、私は呪われている、と自覚していました。
それはどうしようもない罪の匂いがする知覚で、どんなに清めても癒しても装っても、消し去ることはできない種類のものに感じられました。そして、大事な人や関係やタイミングになるとその匂いは私の周りに充満し始め、その匂いは必ず誰かに嗅ぎつけられて裁きから逃れることは不可能に感じられました。
ですから私にとって人生を前向きに生きるためには、その呪いを解かないわけにはいきませんでした。そしてそのためには呪いのからくりを理解する必要がありました。それは、自分を理解することに他なりません。私とはなにもので、なんのために生を受け、そしてなにを目指しどこへ向かって進むのか。それなしになにげなくただ楽しんで生きることなど私には不可能でした。世界がどんなに美しく見えたとしても、私の心は没むばかりです。なぜなら私の内には闇が巣食っていて、ほんの一瞬気を抜こうものなら私はその闇の中で密かに溺れてしまいそうだったからです。今にも溺れそうなのに誰にも気づかれず、誰にも理解されないままいつ終わるかわからない人生を生きるなんて想像するのも恐ろしいものでした。
記憶というのは覚えているものだけではありません。というより、無意識の記憶こそが水面下で発芽するのを待ち、何気なく発育して花を咲かせます。人生は突発的に起こる偶然であるかのように装って。そして私たちは原因探しの旅を始めるのです。
つづく
