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トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]沖縄 心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

奇跡だけを選ぶ

私自身が奇跡を自分のものとして身近に引き寄せた時、仲間たちもまた、それに引き寄せられる。

離れたところに置いておけば、仲間たちも離れている。

奇跡を選ぶか、自我のやり方を続けるか。

この二択である。

 

私は長いこと、神の道具になることの訓練を受けたと思う。

神の道具になることは、奇跡を受け入れることだ。

 

奇跡を受け取る権限はすべての人が持っている。

だが奇跡は誤解され、曖昧に捉えられ、その価値を理解されずにいる。

 

この世界で奇跡は、道理を超えた、つまり法則に反することだと思われている。

でも奇跡は、愛という絶対的な法則がもたらす、原則原理の結果に過ぎない。

自我の作ったこの世界と天国の法はこのように反転して見える。

 

私が神の道具として神に使われる時、私は神の全一さを持つものとなる。

そしてその全一さが、仲間と完全に共有できているのを感じる。

 

私が癒しを与えようとする時、私は神の全一さの一部であると感じ、仲間もそうであると認識できる。そして私は仲間から、全一さという神からの証を受け取る。

それが神の創造の延長である。

 

これが私が癒す仕事に感謝し、結果としてやり続けられているただひとつの理由だ。

 

天国はその彼方にある。しかし私が道具として奇跡を受け取るとき、天国は在ると確信ができるし、今がその天国であると言われればそれで充分だとも思える。

聖性とは、それ以上のなにも必要ないほどに満たしてくれるものだ。

 

天国は神の心の中だけにあり、私たちの心と心が離れているかに見えるこの世界であるがゆえに、その天国は心と心の間をつなぎ、その空間を埋めるように延長する。それが創造でなくて何だろう。

 

私たちの肉体の目的は赦ししかない。

赦されたその向こうに創造があるのではなく、赦しこそが創造なのだと真理は言う。

 

私たちが日々の時間の中にできることは、この創造のための神の神殿を、平安という聖水で清めて待つことだ。

 

そして一旦それを始めたのなら、この時間の中に起こるすべてを、その願いへの応えとして受け取ること。出会うすべてが導きだと信頼することだ。

 

そうすることで、神の道具としての準備が整う。

 

多くの人がその途中で迷うだろう。

待っても奇跡が来ないと感じることだろう。

内側を観る訓練は、ここでこそいきる。

長いこと間違いを裁くために見張っていた自分の内面を見る目を、信頼の視線に変えた時、神のやり方が目に入る。その時、これまで見逃してきた奇跡が連なって観えるだろう。

自我は咎めの対象に目を見張り、奇跡を素通りしている。

準備ができた時その逆転が起こる。

私たちが誤解し取り違えていたことがわかる。

それが世界の逆転を指すと言える。ひとつの現象も必要としない。

 

私たちはなにが良くてなにが悪くて喜びとはなんなのかを知らない。

神聖な喜びを知るまでは。神のやり方を理解するまでは。

 

だから聖霊の導きに従うことがその近道なのだ。

 

ということを私は遠回りしながら、何度も自分のやり方を優先しては行き止まり、迂回しながら、学んだ。

その幸せな訓練の果てに、私には神の道具として働く力があると知ることができた。

 

どうか私よりも仲間たちみんなが少しでも近道できますように。

そして地上に奇跡の花が咲き乱れ、神の心の写し絵のような幸せな幻想をこの世界に創造することができますように。

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究極の救い

真理において死はない。あるのは永遠無限の命だけです。

 

それは私たちの知っているこの世界とはかけ離れ過ぎていますから、遠い別の世界のこととしてうっすら知っていることとするか、或いは科学が未発達だった、今よりも迷信が横行していた時代に信じられていた劣った考え方と位置付けるか、或いは弱い人間に必要とされる生きる知恵の一種として、最後の手段としてなるべく近寄りたくないエリアに置いておくのか。

とにかく自分ごととしてそれを取り上げることを後回しにされるもののように思います。

 

私は子供の頃、生きるには恐怖心がつきまとうと感じていたので、死は恐怖の終わりであってほしいと願っていました。ですから死後の世界があると言われると、この恐怖の知覚がまだ続くのは絶対にいやだというふうに思い、無を望みました。

 

死んでしまったらすべてが終わってしまうから死にたくない、という思いを持つ人はたぶん、生きることで得るものがあり、死ぬと失うと思っているのだろうと思います。

 

真理はそのどれも、幻想と言います。

というのはどちらも肉体(自我)の知覚がそのように信じ込ませているだけで、その知覚は実在ではないというのです。

 

確かに、今自分になにがあると信じるかによって、同じ死も違う意味に見えます。設定が違えば事実も違ってしまうのがこの世です。

 

この2年は、病気と死が社会の壁となり、様々な行き止まりを普段よりクリアに見せてくれました。

恐れから普段以上に裁き、自分の知覚を盾に、攻撃と防衛がより鮮明に展開する世相となったように思います。

 

この世での究極の罰則は死です。

その死につながるものはすべて暴力と見なされます。

しかし、永遠の命に対する攻撃や防御は見過ごされています。

 

イメージしていただきたいのです。これは日本だけでのお話です。

20000人を365日で割り、更に24時間で割ると、一時間に自殺で亡くなる人の数が出ます。延々と30分に1人以上が自ら亡くなっています。

多い時にはその1.5倍の速度で亡くなっています。

多くのこどもたちもこの数に含まれています。

 

数字のお話がしたいのではもちろんありません。

思いについて話したいのです。

その選択にいたるまでのそれぞれの思いの時間を、思いたいのです。

それは、それぞれの方が「自分になにがあるか(ないか)」という思いによって選んだ答えです。

 

なにを持ち、なにが足りないか。

なにが優れ、なにが劣るのか。

 

人が自分を裁く、人を判断する、最大の焦点がこれです。

 

私たちの時間は共有されています。

私たちはすでに、生きる時間の質や目的、意味をはっきりと認識すべき地点に立たされているような気がします。

 

そしてその問いに対して決然とした答えを、一つの曖昧さも矛盾も残さずに示唆してくれる導きを、この時間の中に共有できたらと思うのです。

真理にはそれがあります。

 

誰もが答えを持たずにさ迷い、自分を自分で裁き、果てに罰則を受けて終わるというようなこの世界を変えたくないですか。

 

一度この世界の仕組みが見えてくると、すべてはただ学びのための機会だとわかります。それを攻撃と防衛でやり過ごすのか、永遠無限の命の中に自らを蘇らせるのか。

ただその選択だけが私たちに問われています。

 

それはこの世界のやり方ではなく、真実を見たい、という選択だけです。

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見たいものはなんですか。

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2022年賀はがき

おかあさん(犬)がなんとか正面を向いて笑ってくれました。

寅年にふさわしく、トラ模様がもう少しくっきり映ったら完璧だったな~などと思いつつ、作りました。改めまして今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

おかあさん久々の登場ですが、元気です。

うちに来てくれてから6年半となりました。年々かわいくなり、通じるようになり、そしておもしろくなっていて、よく笑わせてくれます。そして私たちが笑うとおかあさんも笑います。時にはおもしろい声で、明らかにしゃべっているつもりのようです。

私たちが県外に出かける時は井上愛犬訓練所というところにあずかっていただくのですが、お迎えに行って車に乗ると、すごい勢いでしゃべり続けます。小さい子ががんばったあとたくさんしゃべっちゃう、みたいな感じで。

おかあさんがうちに来ることになったお話を書いた記事は、たくさんの方から反響いただきとても嬉しかったです。夫は私以上に子煩悩でよくかわいがりよく遊びよく面倒をみてくれます。

夫はおかあさんのことをやんちゃな相棒みたいに扱うので、夫と遊ぶときはやんちゃにおちゃめに振る舞うんだけど、私はおかあさんを繊細で優しい女の子のように扱うので、おっとりおとなしく、目を合わせにっこりして、静かに甘えてきます。

 

奇跡講座にもあるように、私たちは自分の知覚で世界を捉え、見たいものを見るんだなあと思います。

 

さて、私たちは世界に見たいものを見ています。

ですから世界を変えるには心を変えればいい。

心はひとつしかないので、ひとりが心を変えれば全体が変わるのです。

やってみたらそれが極めて現実なのだとわかります。

 

心を変えるというのは、信じ切っていることを覆すこと、と言えるかもしれません。

ですから、こう変えたい、というふうにすら意識できないものです。

私たちには信じ切っていることしか見えていないからです。

 

じゃあどうやって変わるのか。

その答えが真理にあります。

 

真理は愛ですから、すべての人の内側に備わっています。

でも、真実を見ると決めないとそれは信じ切っていることに隠れてしまっています。

 

何度も言いますが、真実はとても優しいものです。

ただ、信じ切っていたものが間違っていたと知ることだけが私たちを恐れさせます。

 

真実のほうに、みんなで進めますように。

心から祈ります。

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