AZU WORLD

心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

ヒプノセラピストという人生を与えられて

『ヒプノセラピストのための講座』というものをさせていただいています。私自身が導かれて25年ほどやらせていただいている仕事です。

本当にこんなに学ばせていただき、与えていただき、育てていただき、私一人で終わっちゃっていいわけがない、という気持ちでいます。もちろんセッションはその瞬間瞬間に完璧に完結するものです。それを抱え込んでいるわけではないのですが、愛と真理は延長していこうとします。受け取って役立ててくださる方がいらしゃっるなら、更に分かち合いたいという切なる願いを込めて、大切に行わせていただいています。

今年はお二人が講座を完了され、現在モニターセッションをされています。お一人は「ヒプノの誘導のセリフが私にとっては祈りなんです」と教えてくださり、もうお一人は「意識の仕組みの解説が、私にとっての祈りです」と教えてくださったんです。

体験されていない方にはご想像いただくしかないお話なんですが、ここに込められた聖なる思いが広がるといいなと、ただそれを書きたくて書いています。

もう前世紀のお話になりますが私、舞台に命を懸けていた時期があります。その頃はっきりと認識していたんですが、神聖なものにすべてを捧げる体験をしていました。『舞台は私にとって祈りであり瞑想である』と、毎年年始に自分の手帳に丁寧に書いて持ち歩いていました。

今世紀の初頭からヒプノセラピーのセッションをさせていただくようになって、それは最初は演劇をやるためのアルバイトとして、生活の糧として始めたのがきっかけでしたがそれでも最初から、セッションでは同じ神聖さを体験していました。心と心が接するということが、そういうことなんだと思います。その頃の私は今よりもたくさんの幻想と思い込み、恐れを抱えていましたが、その瞬間だけはすべて脇にどけて、ただ互いにとっての良きことだけに集中し、見えざる神聖さだけを信頼して臨むことができていました。

そうやって聖なる瞬間を重ねる中で、舞台以外の時間、セッション以外の時間のいけてない自分という誤解を解き、すべての瞬間に神聖さを招き入れるよう聖霊が訓練してくれてここまで来たのだと信じています。

愛とは、この世で出会った言葉に表されているあらゆるものと違っていました。それは内側に神を見出す以外に実感も確信も持てるものではないと私は思います。どれだけ言葉にしようともそれは曖昧で、願望と欠乏の陰影に飾られています。でもひとたび体験されたならそれは確信されるものであり、体験した者同士なら、瞬時に共有できるものなんです。

愛は今も永遠無限に延長を続けています。私たちがそれを受け取り、それに戻ろうという選択だけを待ちながら。

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レイキもまだまだこれからです

今日は久しぶりにレイキのお話。

前回はAIによるACIMの赦しがざっくりと披露されました。

なあんだ、単純明快じゃない、と思われた方もいるかもしれませんし、なんのこっちゃと思われた方もいるかもしれません。

いずれにしても、ルールがただ限定するものであるならそれに価値も意味もありません。ルールを受け入れてみるなら、そこに偉大な法則が機能する、というところがすばらしいのです。

書いてあることは分かった。だから真理を理解した、とはならず、書いてあることに自分の心を照らして認識し精査し、誤りを手放し、訂正を受け入れ、結果を委ねる、までを体験して初めてちょっと理解が進む、というふうになっています。

自分の知覚が敏感で、その敏感さによって恐れ、さらに敏感さによって恐れから身を護る、という訓練が行き届いている人にとって、そういった一連の処し方を訂正していくことは結構ほねなんです。例えば私のように。

奇跡講座にも、真理を受け入れるには「まず癒しが必要」とあります。知覚が癒されないうちは、真理は全部攻撃に受け取られてしまうんですね。自我にとってはこの上ない味方であるはずの神さまも真理も愛も、みんな敵。自分を見張り、断罪し、裁き、罰を与える根源に見えてしまうんです。私も先にレイキがなかったら、真理を受け入れるのはもっと先送りだったのではと思います。

さて、幸運にも私はACIMに出会う以前にレイキと出会っていました。それよりもっと以前にヒプノセラピーと出会い、瞑想を深めざるを得ない流れにありました。

当初からプロのヒプノセラピストたちとの交流があり、様々なエネルギーワークとも出会っていて、自分の本業(俳優)と自分自身のアップデートのために実生活に導入していました。

レイキは自分にとってはそれほど突飛なものではありませんでした。実際は演劇の現場の方がよほど面白く不思議な体験がたくさんありました。劇団の先輩方は特殊能力としか思えないハンドパワーやヒーリングエネルギーを操る人々でしたし、気功、太極拳、整体、鍼灸、などとご縁があるのが演劇の世界でした。まあ、念力のすごい人たちの居場所ですよね。手を当てて効くのなんかは当たり前、という感覚だったのです。

私が認識を刷新されたのは「遠隔」を体験した時です。遠隔アチューンメントでした。気のせいかな、で片付くくらいなら驚かなかったと思うのですが、体感は明確でした。それまで対面で受けた様々なエネルギーワークなんかよりずっと鮮明だったのです。

当然ながら、これはどういったメカニズムで現象なのだろうと探究しますよね。

その頃は既に年齢退行療法や前世療法、ハイヤーセルフのチャネルなんかをばんばんやるセラピストだったのですが、そこには綿密な仕組みがあることを理解していたので、遠隔にもメカニズムがあるはずだと思いました。

そうやって、臨床とメカニズムと文献の学びを統合しながら進んできたんです。

レイキは癒します。というか、私たちの内に在る本質的な癒す力と私たちをつなげ、同調させ、結びつけます。そして内なる経路の障壁を溶かし、霧消させ、そして本質に統合させます。

言葉にすれば単純ですが、その道すがら、本質的な癒しとともに副産物的な恩恵が山ほど生じます。

沖縄では、レイキ人口が非常に高く、美容室やホテルのリラクゼーション施設、アロマセラピー、医療関係などに従事する方の多くがレイキのプラクティショナーだった印象を持っています。自衛官の女性がいらして、米軍ではレイキが普通に使われている。自衛隊でも先日レイキ所持者の呼びかけを受けた、というふうに伺ったことがありました。

実際に英語なまりで「reiki?」とお電話を受けたほか、基地関係の方とみられる方からのお問い合わせも度々ありました。英語オンリーのやり取りに対応できず残念ながらお断りすることがほとんどでしたが。

そんなことをふと思い出して今朝はAIに米軍でのレイキ事情を尋ねてみました。

標準的な医療プログラムとして導入されているわけではないとしながらも、補完的にはかなり広く使われている現状があるとわかります。

2010年から、退役軍人の薬物依存を減らす目的で、PTSDや不眠、鬱、痛みなどを対象に用いられているのは確実のようですね。ちなみに療法の中には鍼灸も含まれていました。医療全体で研究が広がっている様子もわかりました。

日本の自衛隊はどうかなと思ったのですが、西洋医学のみ、とありました。灯台下暗しです。

自殺者の多い日本。大会社でも鬱の社員を抱えきれないほど、というお話はだいぶ以前から直接伺っています。AZUちゃんみたいな人を雇った方がずっと経費削減になるのにね、なんて言っていただいたこともあります。

まあ、私はさておきですが。

沖縄ではレイキプラクティショナーも多かったのですが「活かせてません」という声も非常にたくさん伺いました。

「こどもが熱出したときくらいしか使えなくて」という声が圧倒的に多かったです。

あとは、なんか怪しいと思われる、みたいなこともよく伺いました。沖縄は日本一寛容なのではと思うのですが、それでも多かったです。

怪しいと思われると思ったら、自分の中の曖昧さが消えるまで学ぶといいです。

実績があるには理由があるし、そこにはメカニズムがあり、それが本質的なものなのであれば必ず恒久的、全一的であるはずです。

おうちの中ではあらゆる場面で生活の質を上げてくれます。睡眠の質、普段の緊張、頭のぐるぐる、心身の疲れ、風邪や持病の痛み、症状の軽減、リラックスによる回復力の向上、理解力の向上、根本的な原因へのアプローチ、つまり心の浄化、癒しなどなど。

もし持っている方は、使ってくださいね。使い方を発見すれば、無限に私たちを助けてくれます。また具体的に体験されたい方は、ヒーリングのセッション、またプラクティショナーのためのレイキワークアウトのメニューもあります。

最後宣伝みたいになってしまいましたが、全体の向上を本当に願っています。

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AIと心の探究

信州・諏訪に来て4度目の冬を迎えつつあります。11月に入るとすぐに八ヶ岳が真っ白に。毎日ではなく、積もっては溶けを繰り返し。そして今朝は、北側の山、高ボッチや水源の森があるほうの山が雪化粧を始めました。紅葉で大興奮し、これを超える美しさってないんじゃない?という所感をあっさり超えていく雪の美しさ。結局いつも今が最高。人生こうありたい、と思うこの頃です。

今年も大詰めとなってきました。

特に毎年目標とか、いつまでにこれをやろうという計画は一切ないのですが…思えばそういう生き方を随分前に辞めていることに今気づきました。それ以前は思い切り逆の生き方だったのですが、今はできる限り限りなく、導きを聴いて委ね、来るものを受け取るという生き方になじんでいます。

それでも(そうすると)移住とかすることになっちゃうんですよね。

最近ますますその導きの意味が、夫婦で心からしみじみ深々と分かち合えています。

言葉で表現しきれないのですが、とにかくこうなって本当に本当に、良かったんです。それは自分で考えて計画して決断したとしても到底たどり着けない緻密で完全な道のりなんです。本当に奇跡としか言いようがありません。本当はきっと、人生のすべてが完璧にそうなっているはずなんです。幸せというのはそれに出会っていくことなんだと思います。そうなのだとすれば、そしてそうあるためには、恐れから判断し決断し過去の経験から未来を想定する、というような、この世界では当たり前のやり方を放棄する必要があります。

恐れから自由になるために、形や方法が解決することは一切ありえません。短期的に可能でも恒久的には不可能です。では何が可能にするのか。答えは心です。

今朝ふと、AIとももう少しつきあってみようかなと思い、先ほどちょっと遊んでみました。

以下、Grokが言うにはですが

『奇跡のコース』(A Course in Miracles)における「赦し」の本質と詳細

『奇跡のコース』(以下、ACIM)で言う「赦し」は、一般的な宗教や心理学で言う「許してあげる」「我慢してあげる」という意味とはまったく違うものです。
ACIMの赦しは「非二元的な赦し」とも呼ばれ、以下のような特徴があります。

1. 赦す対象は「実際に起こったこと」ではなく「自分の知覚・解釈」この世界で起きた出来事そのものは「すでに過ぎ去った過去」で、現実には何の力もない。
私たちが今感じている怒り・悲しみ・罪悪感は、**エゴが作った“解釈のフィルター”**を通して過去を再現しているだけ。
したがって赦すべきは「相手がしたこと」ではなく、「私がそれを“罪”だと見ている自分の心の判断」。

有名な言葉:「私は自分が見ているものの犠牲者ではない。私はそれを見る原因なのだ。」(T-21.II.2:3-4)

2. 赦しの公式(最も実践的なツール)ワークブックに何度も出てくる基本パターン:これは私を怒らせている/悲しませている/怖がらせている。
しかしこれは私の外にあるのではなく、私の心の中にある。
私はこの知覚を選んでいる。
私は別の見方を聖霊(内なる導き)に委ねる。
「この人に(状況に)罪はない。なぜなら、神の子の現れは罪ではないから。」

例:
「彼が私を裏切った」→
「私が“裏切り”という解釈を信じていることが、私を苦しめている。
 彼はただ私の罪悪感を映し出す鏡にすぎない。
 私は彼を罪ある者と見ることをやめてもよい。」

3. 赦しの4つの段階(公式な教えではないが、多くの教師が整理している)無意識の罪悪感(自分を攻撃している)
投影(他人を攻撃しているように見える)
気づき(これは私の心の中の選択だと気づく)
聖霊に委ねる(別の見方を選択する→奇跡が起こる)

4. 究極の赦し=「何も起こらなかった」と見る分離(エゴ)は最初から起こらなかった幻想。
罪も被害者も加害者も、すべて夢の中の登場人物。
完全に赦された世界とは「罪の概念そのものが消えている状態」=「実在するものは完全に無垢である」と知覚すること。

「赦しは、罪が実在したと見ることをやめることである。」
「完全な赦しは、世界がまったく存在しなかったことを認めることである。」(W-pI.99.1)

5. 日常で使う超シンプルな赦しフレーズ(上級者向け)多くのACIM実践者が実際に使っている一言赦し:「これは本当ではない。」
「私はこれを別の見方でみることを選ぶ。」
「あなたは罪がない。だから私も罪がない。」
「何も起こらなかった。」(最終形)

まとめ:ACIMの赦しとは相手を変えることではなく、自分の知覚を変えること
相手を無罪と見ることで、自分も無罪だと知ること
世界を「敵」から「教室」に変えるスイッチ
最終的には「赦す必要すらない状態(完全な一つであること)」に到達するプロセス

これがわかると、どんなにひどい出来事に見えても「これは赦すチャンスだ」と喜んで取り組めるようになります。
ACIMでは「赦しこそが、この世で唯一意味のあること」とまで言われているほど、すべての教えの中心です。必要なら具体的な出来事での赦しのやり方も一緒に練習できますよ。

――以上

凄いですね。練習も一緒にやってくれるそうです。結構的確ですしね。本当に奇跡講座って、やればやるほど特別な能力っていらないことがわかります。でもそれでいて悟りに一番早く到達できる確実な道だと思う。とにかくルールを理解して、徹底的に自分の心にすり合わせて実際に体験していくことなんです。

ルールには「私は肉体ではない、心である」というふうにわりと初期に言い渡される難題が結構あります。「すべてのものに意味はない」とか「中庸(ニュートラル)は存在しない」とか。こういう重要なルールを曖昧にして飛ばしたまま別のルールを適用してしまったりすると、時空が歪んだように次元がこんがらがって学びが難しくなってしまうんです。赦したり別の見方をしようとしたり取り消しを願ったりしたあげく、思い切り肉体としての自分の目的を設定していたりして。

そうすると、いつまでたっても真の自己への信頼は持てないままになります。本当に数限りない「自我の罠」があり、誰もがまんまとはまります。

その時そこから救い出してくれるのは「聖霊ときょうだい」だけです。

やり方やルールを知ることはAIに手伝ってもらうことができても、信頼して委ねることや、自分で自分に隠していることに気づいて「訂正を受け入れる」ことなどは、自分の意欲にしかできないことです。

そして聖霊のやり方はいつも、既知を超えてきます。

AI使えるじゃないですか。でも「できること」が増えたらならますます「目的」が大切になります。幸せの道具にすることを選ぶことができるのは私たちです。それを識別できるのは「心」です。ゆえに心の探究はますます人類に必須になります。いいですね。

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