毎日暑い日が続きますが、みなさんお元気ですか。
我が家では互いにマッサージしたり、ヒーリングしたり、はり灸されたりしながら無事過ごしています。
しかしながら、なんだかすっきりしない、なにかつっかえてるようなとき、体調や外的な要素が原因ではないんですよね、真理に照らすと。
外圧がかかるとそれまで見過ごせていたものが気になって来る。そこで私たちは外圧を取り除くことを反射的に選びますけれど、そうではなくただ一旦そこから退いて内面に向かうほうに舵を切ると圧倒的な前進につながります。一瞬で癒され完全さに満たされる、ということが本当に起こります。
癒しの旅を長く歩んできた方にとって、道のりはあまりに長いトンネルだったかもしれませんが、それは潜在意識を別の状態に変えようとしてきたからで、言い換えるとそれは「より良い自我」を求めてきたからなんです。
この衣でない別の衣を探す旅、みたいなものです。でも癒しに衣替えは関係なかったのです。
私たちに必要なのはただただ真実に向かうこと。
真実を見ようとすれば真実でないものは存在できずに消え去ってしまいます。
思うに私たちは、愛であろうとするより真実であろうとすることの方が進歩するようです。
愛に力がないという意味ではありません。愛は完全であり愛以上のものはありません。
しかしながら私たちはあまりに愛を勘違いしているために、愛を行使しようとしたとき、とんでもなく制限をかけて誤用してしまうのです。
ただ正直であろうとするとき、そこに含まれる過ちや誤解や恐れ、つまりは自我を丸ごと差し出します。
その時こそ神は愛以外のものを即座に取り消して、愛のために愛に向けて愛である私たちをお使いになる気がします。
私たちのあらゆる幻想を丸ごと使って、真実のもとへ引き戻してくださるのです。
だから私たちは自分の攻撃と防衛から退く必要があります。
私たちが無意識にやり続けている攻撃と防衛を意識し、そしてそのやり方をやめたいと望むことーつまり赦したいとさえ思えれば、あとは愛の法が心を統治し本来の私たちを思い出させてくれるのです。
愛とは私たちにとって唯一の真実です。
ですからどちらを選ぼうとひとつところへ向かいます。
ただし私たちは真実を知らないとは思えても、愛は知っていると思いがちです。
知らないからこそ無心に全力で求めることができる、というのがその心です。
感謝とともに
AZU拝