AZU WORLD

トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア] 心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

【お知らせ】オンラインで瞑想会を始めます。

沖縄で行っていた定期瞑想会。

新型コロナでお休みしましたが、オンラインで再開します。

 

日本語でコミュニケーションできる方どなたでも。

ご参加いただけたら嬉しいです。

 

 

第一回目のご案内です。

期日 2月19日㈰11時~ 90~120分(ご参加の人数によります)

 

オンラインツール zoom(事前にe-mailでリンクアドレスをお送りします。

            アプリのインストールなしで、スマートフォン

            パソコンなどでご利用になれます)

 

ご参加資格 ご興味のある方、経験者、未経験者どなたでも。

 

定員 1名~10名さままで

 

内容 誘導瞑想とシェアリング、質疑応答。

   進行と誘導瞑想はRUACH[ルーア]

   心のセラピストAZUが担当いたします。

   

   お話やコミュニケーションに気が進まない方でも、

   ご無理なく楽にご参加いただけるよう配慮します。

   

   みなさんが分かち合える範囲で分かち合っていただければ、

   それが大きな実りに導かれると確信しています。

 

ご参加費 3000円(お手数ですが、お振込みをお願いいたします)

 

お申込み e-mailまたはSNSのメッセージまたは、

     公式サイトからWhatsAppでお願いします。

     e-mail ruach(アットマーク)live.jp

     Instagram FB Twitter 

  

お申込み締め切り 2月17日㈮18時まで

 

沖縄では2018年1月より3年間、毎月開催させていただきました。

ご参加くださった多くのみなさまに大変感謝しております。


当時は私と夫の風間真吾とのコラボレーションでお送りしましたが、今回は基本的には私が担当させていただきます。

主旨は当初と変わりありません。以下当時のブログからです。

ルーアの全セッションの根幹を成す瞑想のエネルギーと場をご提供し、共有したいと考えました。
少人数のグループで行う瞑想は波動を共有し、また体験を分かち合い理解するのに最高の機会を与えます。深い瞑想は私たちを本来の無限の魂の意識へと呼び戻してくれます。
初心者から超ベテラン、また中・高校生にもご参加いただき幸せなお時間をいただいています。ご参加をお待ちしています。

 

瞑想について、もう少し。

 

私たちが瞑想会を始めた前後から、マインドフルネスがとても流行りました。

瞑想に対する認識もどんどん変わりつつあると思います。

私自身にも日々気づきがあります。

 

このブログでも繰り返しお話しさせていただいていますが、

究極的に癒しとは意識に対して働くものであり、

意識の癒しは、瞑想状態において働くものです。

(変性意識の状態というのは、

日常の特定の条件のもとに皆さんが体験しているものです。)

 

私たちの意識の最奥には無限の創造の源があり、

それが私たちの本質です。それを神と呼びます。

 

本質に還るとき、それ以外のものは霧消し、浄化されてしまいます。

それが癒しのメカニズムです。

 

私たちは自分たちが知っている以上に途方もなく、思い込みの世界で生きています。

それは自分が作り出し、無意識的に採用しているルールです。

そのルールが自分を縛っています。

真理の世界でも量子の世界でも、それらは幻想と呼ばれるものです。

 

瞑想は即座に、或いは手順を踏んで、その縛りから解放してくれます。

瞑想すればするほど、私たちはより本質に戻っていきます。

戻るほどに、無意識が意識化されていきます。

無意識に大事にしてきた縛りがどんどん、明らかになっていきます。

しまいにはこの世のシステムは隅々まで、

自分が作った縛りの反映なのだとわかります。

 

しかし隅々までそうだったと気づいたとしても

後から後から縛りのほころびが見えてきます。

 

そしてある時、ほころびの隙間から差すように見えていた光が、

実はそれが全体だったのだという風に世界が逆転します。

 

その頃にはそれは特に驚くことではなく、

当たり前のように在るのです。

ある朝ふと、或いは夜更けに、白昼に、静かに理解が来ます。

 

ほころびの隙間から差していた光は鮮烈で、

目が覚めるような強烈さがあるかもしれません。

でもそれは単に、これまでの闇との対比に驚いているに過ぎません。

 

その強烈さを求めて瞑想しても、

それはすでに過ぎ去ったプロセスかもしれません。

 

世界が隅々まで照らされていくのを見ることは、

決して歓喜の感覚ではないかもしれません。

 

自分が平然と暮らしていた世界がいかに

犠牲と罪悪感にまみれていたのかと

愕然とするかもしれません。

 

過ぎ去った世界の後味の悪さが、

あなたを迷わせるかもしれません。

 

けれどその時には、

あなたは神の懐というこの世界には存在しえない

対極のない平安という居場所を与えられています。

それは外ではなく、内にあります。

形ではなく、内なる場にあります。

 

そしてその頃にあなたは

外や形に求めることへの執着や未練を退け

内側の世界こそが実在であり

その実在こそを求め選んでいます。

 

すべてのきょうだいが

その居場所をみつけるまで

私たちは何度も

せっかくの居場所を見失うことでしょう。

そして、何度でも戻ってくるのです。

何度も何度も、見失っては戻るのです。

 

しまいには手放しで、なんの目印もなく、

ただ肉眼を閉じて、内なる神に心の眼を向けるだけで、

戻ってこられるようになるのです。

そうなった時、あなたが差し伸べる手は

どれだけ力強い本質への磁力となっているでしょうか。

 

瞑想は、そうやってステップバイステップで

私たちに学びを与えてくれます。

鮮烈な目覚めのその後も、ずっとです。

本当は目覚めた後の生こそが本番なのです。

 

私たちの内側に、もれなく神がいてくれることは

それを知るだけで私たちに人知を超えた安堵を与えてくれます。

それを瞑想が可能にしてくれます。

 

本当に知るというのは、実感し納得し確信することです。

それは、頭だけでできることではありません。

また、体で体験できるのは出来事という形だけです。

心で体験を味わうことが、それを可能にするのです。

 

私たちは、その内なる神に自分の心を重ね合わせることなしに

恩寵を生きることはできません。

自分の心を神から分離させておいて、

神がともにいると言うことはできません。

 

自ら、神に自分の心を合わせること、それが瞑想なのです。

それは過去や未来に達成されるものではなく、

今、私たちの意欲によって選ばれることを必要としています。

 

一見長い道のりに見える私たちの歩みは、

ただ、今のこの瞬間の中に存在しています。

今この瞬間のその選択が、未来も過去も、変えてしまう力を持ちます。

 

共に瞑想することは、こういった内的体験を共有させてくれます。

ですから、私の肉体に与えられ残った時間を、

この共有に捧げたいと願っています。

 

ご参加を心からお待ちしています。

感謝とともに

AZU拝

 

公式サイト トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]

過去世の有る無しと、その先に在るもの

私たちは生まれる前から五感の記憶を記録し始めます。

ですからお母さんのお腹の中の記憶も、普段は思い出さなくても覚えています。

自分にとって印象的だった部分を。

 

ではなぜそこが印象的なのでしょう。

その選択の基準は、すでに存在しています。

 

複数のお子さんを育てているお母さまに伺うとみなさん強く頷かれるのですが、同じDNAを引き継ぎ同じ環境で育った子供たちがどうしてこうも反応が違うのか。

強く反応する部分とそうでない部分が、きょうだいで全く違う。

つまり、同じものを与えても、受け取るところが違う。

 

この違いはどこから来るのでしょうか。

 

答えは過去世にあると私は理解しています。

 

赤ちゃんは無垢でまっさらだと言われますが、もしそうなら赤ちゃんはみな同じ、ということになります。

そしてだとすれば何が違いを作っていくのでしょう。

この肉体の置かれた環境、育て方だけということになりませんか。

でもそうでないのは明らかです。

みんな反応の基準は少しずつ、或いは大幅に違います。

ですから、インナーチャイルドにはそれぞれの言い分があるのです。

その言い分を持って大人になった私たちは、中身を開けてみれば驚くほど違う見解を持っています。

同じ事象、同じ人に対して、例えば自分のお母さんがどんな人かという見解が、きょうだいで全く別人のことを言うように違っています。

世界はこのような違う見解の総和でできています。

摩擦と誤解の集積です。

 

 

インナーチャイルドがそうなるのは、過去世から持ってくる記憶の組成が皆違うからです。

数千回と言われる人生体験と、そこから得た人生観、つまり判断の元になる価値基準に違いがあるからです。

 

奇跡講座では、「私たち(自我)は見たいものを見る」という言葉で表現されます。

そのことをそっくり受け入れるのには私たちには抵抗があることでしょう。

嫌な目に遭ったり、嫌な態度をされたりという体験をしていない人はいないでしょうから、自分で選んだ覚えはない、と。

 

私たちは快不快にかかわらず、自分の注意が行くものを見て、それに対する反応を記憶していくというのがその意味なのです。

そして注意が必要なものにまた出会っていくのです。

 

ちなみに奇跡講座では注意の必要なもののことを、防衛や攻撃の対象、というふうに表現します。

 

自我が注目するのは、自分で対処するために覚えておこうとするからです。

奇跡講座では、それを神聖な力によって、赦しなさいと言います。

赦しとは、取り消しです。

 

自我のやり方と神のやり方、自我の見方と神の見方はこのように真逆です。

 

真実というのは、時代や環境や条件に関わりなく、永遠に真実であるものを指します。

それを真理では「実在するもの」と言います。

私たちが知りうるものでは、「愛」がそれです。

 

時代や環境や条件、価値観の変化や違いによって変わりゆくものを、幻想と呼びます。

幻想とは「実在しないもの」です。

 

私たちを脅かし悩ませるものは例外なく「実在しないもの」のほうです。

なのに私たちはいつも実在しないものを選び、実在しないものに注目し、それが存続されるべく信じています。

 

もしこの世に正義と罪の両方が実在していたなら、正義は罪を許さないことで勝利するでしょう。

この世界はこの理論に覆われています。

 

そしてその見方を信じれば信じるほど、そのようなケースに出会い、目の当たりにすることになります。

信念が体験を呼び、体験が信念を強め、ますますそのループを繰り返すのです。

 

幾世もの旅の間に正義の立場を演じ、罪の立場を演じ、両方を繰り返せばいつかはそのからくりに疑問を抱き、そして気づきがあるかもしれません。

でも途方もない時間がかかります。

また疑問を抱き気づいたとしても、そのループからの抜け出し方がみつからないという葛藤を繰り返すかもしれません。

見つからないうちにまた慣れ親しんだループに飲まれてしまうこともあるでしょう。

 

神の見方をするなら、そのどちらの立場も幻想、ということになるでしょう。

 

神はその中身がなんであれ、それらの幻想は実在しないがゆえに、私たちに罪はない、と言います。

無罪の私たちがきょうだいたちのあいだで断罪のゲームをすることのすべてが幻想だと。

 

罪は幻想にすぎないのだから、実在の世界に戻っておいでと。

 

愛に戻った時、赤ちゃんの時にすでに持っていた過去世から持ち越した価値観、独自の体験からくる他者との差異、また特別性というギフトとして持ってきた過去世での成果までも、私たちの真実の価値の前にその実在性を失うのです。

 

過去世は、私たちが神に戻るまでは、私たちに影響を与えます。

過去の記憶の繰り返しという牢獄に幽閉されているのです。

投影とはこのことです。

 

神の愛の中でのみ、それらは解き放たれます。

 

過去世ワークでは、解き放つという体験をしていただきます。

そしてそれがイコール愛への帰還の道だということを、超越的に理解していただけると思います。

 

 

セッションについては

トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]公式サイト

をご覧ください。

 

感謝とともに

AZU拝

愛に値するわたし

みなさん、こんにちは。

今日は、昨年12月に続く「奇跡の講座」のグループミーティングをさせていただきました。

前回の記事はこちらです。

私が行っている「究極の意識の仕組みを学ぶ奇跡の講座」と山田美那子さん(=宮崎のカウンセリングルームSanctuary)の「心の仕組みと共に学ぶ奇跡の講座」の受講者のみなさんの集いで、山田美那子さんと共同で主催させていただきました。

 

今日も示唆に満ちたすばらしいミーティングでした。

ご参加くださったお一人お一人がご自身の心を内に向かって掘ったトンネルが、深いところでひとつのスペースにつながったような幸せと喜びを感じさせていただきました。

楽しいとはこのこと。心がひとつだというのは本当だと実感します。

 

道端の看板なんかで「神は心を見る」(聖書)などと書いてあるのを見ると、まるで私たちの心が良いか悪いかを神が見張っていて裁くかのような、ちょっと脅しめいた感じを感じませんか。

 

しかし本当の意味はこうだと奇跡講座にはあります。

「神は心しか見ない」。なぜなら神は心しか創造しておらず、ゆえにそれ以外のものは実在していない(無いから見えない)と。

 

こうなると解釈(イメージ)がだいぶ違ってきます。

 

私たちは神を、自分たちが知っている何かになぞらえて理解しています。

例えば世間の目だとか天変地異を神からの罰だというように、自分の罪の意識を神の裁きに重ねます。

自分が作り出した自分の価値基準に照らして「神を判断して」いるのです。

 

そして神を誤解しているということは、神が創った本当の自分をも、まったく理解できない、できていないということです。

 

さらに、「自分をどうみなしているのか」が世界に投影されます。

罪があるという自分が世界に投げかけたものが世界に映し出され、自分に返ってきます。

その返ってきた世界を見て、私たちはその世界から身を守ろうと防衛(攻撃)しています。

 

この堂々巡りを考えてみてください。

私たちの作った世界とは、自分が作り出した脳内敵と戦い続けるという仕組みでできているようなものです。

 

神はその狂った世界から、愛だけで満たされた世界に戻っておいでと言っています。

 

奇跡講座は、何も隠さず、明確に、単純に、その道を示してくれています。

これまで何千年もの間、その帰り道は限られた人だけの、何かに到達した人だけの道のように考えられてきました。

それもきっと、私たち人類の神への誤解がそうさせているのです。

 

神が誤解されるということは、私たちが自分への認識を間違えているということであり、愛についても同じく誤解しているということです。

 

私たちがこの誤解を解いて理解を共有するということにどれほどの価値と意味と、パワーがあるでしょう。

世界を変えるに違いないはずです。

 

そのために私たちは、赦すだけでいいのです。

いえ、赦すと決めるだけで。

 

私は奇跡講座とまだ出会っていない頃、苦し紛れにあることを実行しました。

それは「この世で最も許すことが難しい人を許しなさい」という本の一説の実践です。

 

私の混乱した人生を見回してみて、最も不条理で暴君で、自分に恐怖を与えている人はすぐにみつかりました。

そしてなにも考えずに、その人を許す、と決めました。

ただ心の中で、強くはっきりと、この人を許します!と言っただけです。

 

私がやったことはただそれだけでしたが、それからすべてがそうなるように自然に動いたのです。

そしてその人を完全に赦すどころか、この世で最も愛しい人だと感じるようになりました。父のことです。

 

それだけでそれは充分に奇跡なのですが、そのことによって私は失ったすべてを――神と愛と、そこへの信頼と確信を、結果的に取り戻すことになったのです。

神と愛、それは本当の自己への認識です。

私はなにを持っていようといまいと、どこでなにをしていようと、本当の私にはまったく無関係で、本当の私は、私の心の理想そのものの姿をしていて、まったく損なわれることはない、という真の自己認識です。

 

そうである私はそうであるがゆえに、他者のなかにも同じものを見つけることができる。

それは永遠に不変で、信頼に値するものである。

その真理が取り戻されたことにより、私は人を愛するということが可能になったのです。

 

こうして書いてみて、私が私の人生に最も必要としていたものがなんだったか、そしてそれが、確かに失われ損なわれていたことがわかります。

 

私は、愛したかったのです。

でも私は傷つき、恐れ、そこから自分を守ろうとし、攻撃し、許さない思いを心に持つことで、防衛に拍車をかけました。

結果神は私の心から締め出され、私は自分を誤解し、自分が愛に値しないとしか思えなかったのです。

愛に値しないというは、愛してもらえない自分ではなく、愛する自信も力も機能も失った自分だったのです。

そんな自分がなにをどうしてなにを得たところで、決して満たされることがないとわかっていたのです。

それは絶望そのものでした。

 

私たちは自分の力で赦すことができません。

というより、赦していない私たちは自我の力で生きているために、赦すことができません。

赦すには神の助けが必要です。

赦したとき、私たちはありのままの姿、愛に戻ることができます。

 

その時私たちは、神と同じ、無限に愛する力を取り戻すのです。

赦さないままに、制限付きの私たちが制限付きで愛するのは、もはや愛ではありません。

 

私は愛したかったのです。

そして、私は愛することができます。

 

地上の多くの人が抱えている様々な問題に見えるものを集約すると、それはこういうことなのかもしれません。

人が神の創ったままの神の子であるなら、その機能は愛することであり、恐れることはその機能を奪います。

けれど神の子の本来の姿を取り戻したなら、そこに問題は存在することができないのです。

 

愛することを始める。

気まぐれで移ろいやすく実態のない愛に似たものではなく、本当の愛を。

そんなこと誰でもできるから価値がないという人、誰にもできていないからやってもしょうがないという人、様々かもしれません。

でも本当は、愛だけは確実で実態のあるものです。

それが真実です。

 

ご一緒に学び始めませんか。

 

 

詳しくはホームページで。お気軽にお問い合わせください。

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