みなさん、暑中お見舞い申し上げます。
避暑地の岡谷でも、日中は頭がクラクラします。
みなさん、ご無理のないようにご自愛ください。
日常の雑務が思うように進まない時、私は内面を特によく見る機会にしています。
そうしていると、すべては良き選択の機会となります。
そんなチャンスをみなさんが受け取られますように。
今日は夫が奇跡講座のレッスン138を音読しているのを聴きながら、いろいろなことに気づきました。
自分の人生の創造というものを考えた時、最初に差し出されるのが「選択」という課題だったように思います。
私たちの社会では選択がすべてを決めるみたいです。
選択というと、「目の前にある事や物」のどれを選ぶかだと私たちは自然に受け止めます。
子育てや仕事場で、常にとっさの判断を迫られている生活の中で、真理のように「その選択は存在しない」みたいなことを言われると「そんなの絵空事よ」と切り捨てたくなるかもしれませんよね。
でも本当に人生を左右するような決断に迫られたら、その指針となるものを誰もが求めると思います。
真理(非二元)において、私たちが選択可能な決断とは、実在(愛、真理、神=真我)だけです。
実在を選ぶなら、その手段としての赦し、奇跡を選ぶことになります。
幻想は、選んでいる自覚なしにどっぷり浸っているものなので、わざわざ選ぶ余地もありません。
仕事場で常に「これどうしますか?」と部下や顧客から問われ、常に決断しなければならないようなとき、この真理とやらをどのように適用するというのでしょう。
真理においては外側の世界は投影です。
ということは、形や肉眼で見るものもすべて幻想です。
決断を迫られたとき、「AかBか、という選択が実在している」という見方も幻想です。
幻想だから、どっちを選ぶかということには何の意味もないということになります。
でも、選ぼうとするとき、内側でなにかしらの反応を私たちはしています。
選ぶことで自分が被る責任に対して、とか、周囲の反応はどうか、とか。
子育てであれば、こっちを選んだ時、この子は反発するか、ぐずるか、とか、将来この子はこうなってしまうかもしれない、とか。
つまり選択が存在していると認識されるとき、私たちはそこになんらかの恐れを見ています。
そしてその恐れを回避できる選択がある、というように認識しています。
「AかB、どちらの選択が、その恐れを回避できうるのだろう」と。
もしこれがどっちも最高に幸せな選択なのだとしたら、私たちはそれを選択しているとすら感じません。
わー嬉しい、と、受け取るだけです。
自分が神の子で、いつも完全に満たされているのならそれだけです。
でももし自分が自我の側にいるならそれらがどんなハッピーな選択に見えても、「もしこっちを逃して、あとで後悔しないだろうか」などと、すぐさま恐れが入り込んできます。
ですからどこまで行っても選択の裏には恐れがくっついています。
ということは、真理の言う通りなのです。
選択の自由などは存在せず、ただ恐れの中にとどまるか、それともそこから出るか、という唯一の選択があるだけなのです。
結果的に言えば、真理を受け入れ理解すれば、日常の選択に見えるものは、選択には見えなくなります。
つまり、目の前に並んでいる選択肢は、なんの原因にもなりえない、ということです。
それらは「結果」なのです。
結果に対して「自分の解釈」をそこに投影している、というのが事実です。
迷う、悩むというのは、「これが原因となりうる」という認識の表れです。
でも原因でなく結果が来たのなら、それに対して正しく見たいと願うだけです。
そして、真理を受け入れ理解していくと、それに対しての正しい見方をいつも教えられるようになります。
ですから、原因と結果というものを見誤らなくなり、恐れを抱かなくなり、ものごとをあるがままに見るようになります。
目の前にやってきた結果を見て、「選ばなければ」などという勘違いをしなくなります。
「これどうしますか?」に対して「それ、あなたに任せます」とか「こっちにしときましょう」(なんとなくそっちが自然だから、とか、楽だから、とか、みんなが楽しそうだから)でもいいし、(難しいゲームにチャレンジしたいから、とか、退屈だから)でもよくなります。
正しいとか間違い、という判断が行き場を失い、よって自分の罪を裁くことがなくなり、他者を断罪し裁くことが不要になります。
しあわせですよね。多分、想像を超えてそうです。
真理は空想ではありません。実際です。
それは自分の知覚のすべてを変えます。
周辺と世界全体への認識を変えます。
なにより、自分とは何かという認識を変えます。
生活が変わるのは当たり前です。
生活とは、この時間の質のことです。
時間の質のすべてと、時間に関する価値の認識のすべてが変わります。
つまりは目的がはっきりとわかります。
そうやって私たちには全員しあわせになる道が既に完璧に用意されています。
あとはそれを選んでみるかどうか、だけです。
次回オンライン瞑想会は8月4日㈰午前10時から行います。
瞑想は、真理を内側に呼び覚ます効果が絶大です。
開催時間 90~120分
オンラインツール zoom(事前にリンクアドレスをお送りします。スマートフォン、パソコンなどでご利用になれます)
ご参加資格 瞑想、自己探求、癒し(ヒーリング)、心理療法、ライトワーク、奇跡講座、真理、潜在意識、真我、心の仕組み、AZUのセッションなどにご興味のある方。対話にご参加いただける方。
定員 1名~10名さままで。
内容 誘導瞑想とシェアリング、質疑応答。進行と誘導瞑想をAZUが担当いたします。お話やコミュニケーションに気が進まない方でも、ご無理なく楽にご参加いただけるよう配慮します。みなさんが分かち合える範囲で分かち合っていただければ、それが大きな実りに導かれると確信しています。
ご参加費 3000円(お手数ですが、お振込みをお願いいたします。リンクアドレスともにお振込み先をお知らせします)
お申込み e-mailまたはSNSのメッセージまたは、公式サイトからline、WhatsAppでお願いします。e-mail ruach(アットマーク)live.jp
お申込み締め切り 定刻の前日20時までです。お申込み、お問い合わせも、お待ちしています。