実態の見えないものを人は恐れる。 人には想像力があり、思考力があって、それを「生存」のために役立てようとするから。
予測することによって人間はか弱い野生力でも生き延びてこられた。 人はこうした直感力を使って生態系の頂点に立ったかに見える。
しかしここで言う直感は、五感の記憶の集積、つまりデータによる予測力に過ぎない。
前世の記憶として多くの人が関心を持つものも、この範疇にある。 当たり前のことだけれど、それは、過去の記憶だ。
また多くの人が、これが私の性格だから、と思っているものも、そのほとんどは、過去の記憶からくる習慣、つまり癖だ。
これらの領域は「潜在意識」に属する。 それらの記憶を直感的に察知することができても、それをどう捉えていいのか、多くの人が知らない。 過去からのメッセージをそのまま予知だと勘違いしている人も多い。 また単なる過去の記憶の残像を、意味のあるお告げや導きだと捉えていることも多い。
また、今起こったことから想起されるイメージは、これらの記憶のフィルターを通して感知される。 そして次の展開が予測される。
人類の歴史は、生存とそれに付随する困難の集積だ。 ゆえに人は、このフィルターを通して世界を知覚している限り、無条件に幸福や愛を感じることは不可能だ。 一番いいところで、赤ちゃんの時のお母さんのぬくもり、何も知らずに得た安心感に勝るものはない。
運よくそれを体験でき、そういった幸福の記憶を途中で塗り替えてしまうような体験に打ち消されていない人は、その恩恵を持続できる。 しかし多くの人はそうはならない。 つまりは印象によって、私たちの幸福の基盤は決まってしまうのである。 肉体感覚を信頼しているあいだは。
意識的進化の途上にある人間という生き物のこういった悲劇的側面を克服する方法は一つしかない。 それは、潜在意識のさらに奥深くに座している、より本質的な領域「超意識」というところにアクセスすることだ。
超意識を私はざっくり、魂と呼んでいる。
魂は愛の記憶の貯蔵庫、と私は呼ぶ。
肉体意識の貯蔵庫が潜在意識。愛は魂。
そこに、それぞれの人の本質が眠っている。 いや、眠っているのは私たちの意識のほうだ。 私たちが目覚めて、そしてそこへ向き直し、そして手を伸ばせばいい。 手を伸ばして、そこに触れたら、その手を離さず摑まることだ。
ただし、そこへはいくら考えても、なにかを知ったとしても到達することはできない。 内面という、予測不可能な世界に向かっていくしかない。
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