皆さんはどんな時に人生に困難を感じますか?
私は思い起こすと、確かに家族の中にたくさんの問題はあったのですが、本当に自分を苦しめ始めたのは何を隠そう、ダイエットの問題だったと記憶しております。
周囲の環境がどうであろうと、自分で自分を把握でき、自分をコントロールできているうちは、自分に対して希望を持つことができます。私自身は自分の思ったように自己表現することや、意見や考えを持ち人に伝えることを子供のころから得意としていましたので、困難というのは外側にあって、自分はそれを助ける側にいつもいるという認識だったのです。自分を助けることすらままならないという大きな挫折は、自分の肉体のコントロール不全でした。
きっかけは、中学3年の受験期に思春期のせいもあり少しふっくらとしてきたのを、義務教育を終えて自分をデザインしなくては、という思いでダイエットしたのが最初です。
当時はアイドル全盛期で、アイドルと言うのは40キロ台前半でなくてはならなかったようですし、活躍する年齢も10代からと言うのが当たり前の時代でした。山口百恵ちゃんは21歳で盛大に引退していましたし、キャンディーズも早々に解散しました。
私はそういった、芸能の世界に進むのだと意識していましたので自分の体重が増えることにはとても敏感でしたし、外見の美しさというものには物心ついた時からとてもとても注意を払っていました。
誰もが試みることだと思いますが、思い出すのはレタスの山です。最初はとてもうまくいって、周囲からも「きれいだね」と言ってもらえました。
高校に入って少しすると、周囲に不満が出てきました。自分が思うように発揮できずに周囲に埋もれてしまうような感覚も感じました。同時に家族の中には多くの問題があり、私は人生を早く進ませたいと焦っていました。
そうするうちに、体重はまた増えまじめました。見た目が自分のイメージとは違うほうへ進み始めたのです。高校2年になると、ニキビが出始めました。色白で肌がきれいなところをいつも母に褒められていたのでショックでした。母は本当に色が白く、ニキビが出たことはなかったそうで、「ああ、あんたはお父さんに似たんだ」と言われたことで母から切り離されたようなショックを感じました。
いつも私をほめたり気にしてくれていた母の姉も、私が太り始めニキビに苦しむようになると、とてもいやな顔をして、実際にいやな言葉を言われたりもしました。
あとで聞くと伯母は自分も思春期には体重の増加とニキビに悩んだそうなので、自分のコンプレックスを私に投影していたんだと理解できます。
とにかく私の家族親族は全体的に、美意識が強く外見に対する思いが強い傾向がありました。
将来を意識して、母の勧めで映画のヒロインのオーディションを受けたのも高校二年生の初めでした。そのころすでに外見のことで葛藤があったので、書類審査には受かったものの、着ていく服が思うように似合わなくてとてもいやな気持ちでした。
どれも気に入らなくて、最後は母に決めてもらったものをぐったりした気分で着ていきました。今でもその服装をはっきり覚えています。上下とも黒。よせばいいのに黒のタイトスカートと丈の短い白黒のチェックのブラウスです。老けたカッチカチの16歳でした。今思うとすでに波動がとても重たかったのです。
オーディションは本格的で、それでも私は最終審査まで残りました。2000人ほどの中から30人ほどが残りました。しかし何一つ自分のいいところが出せた気はしませんでした。終始緊張し、頭が固くて気分もからだも重たく、まさかの、朝から夕方までかかる長丁場で、もういやというほど疲れ切ってしまいました。
帰りの電車だけが少し楽しい思い出となりました。小田急線で一緒に帰ったのがこのオーディションで選ばれた南果歩さんだったのです。家族やらなにやら、いろいろな話をして帰りました。彼女は5人きょうだいの末っ子で洋服はみんなきょうだいのお古なの、今日のワンピースも、と話してくれました。
白地に黄緑の少し古めかしい小花模様の、確かに洗いざらされた印象の木綿のワンピースを、私は念入りに観察しました。私はいろいろなことに神経質になっていたので彼女のナチュラルで透明で軽やかな感じをとてもうらやましく記憶したものです。
その後も私の自己コントロールはさらにどんどん困難になりました。あらゆるダイエット法を試し、失敗すると食べては吐く、という今でいう摂食障害にもなっていました。当時は誰にも言えないことでした。
しまいには私は自分を実験台にして精神的な試みをしていました。自分という存在をとことん否定したらどううなるのだろう、死ぬのだろうか?という実験でした。
当時は自分のからだに執着があったおかげで、自分のからだを自分で破壊するところまでは怖くてできませんでした。ですからせめて、心の中では自分を精神的死というところまで追いつめてやろうと考えていました。
まったく、なんでも究極でなくては気が済まない、とんでもない完璧主義者でした。
ここから自分の中に光を見つける道のりは、長くて多くのエネルギーを要するものでした。お伝えしたいのはこの、自分の中に光をみつけるかどうかだけが最も重要である、と言う点です。
環境や対人関係や食べ物は確かに大きな影響を私たちにもたらします。恩恵も毒も与えてくれます。しかしその両方を人生の贈り物に変えてくれるのは、うちにある光だけです。 すべてのものは中立である、という言葉の意図はポジティブな面を見ると言るようにということでも、いいほうに考えるということでもありません。真実はなにかということなのです。
ほんものを探す旅のきっかけはいろいろですが、努力や意志やコントロールの効かないなにか。それは私たちを闇に放り込みます。その時に初めて私たちは本当に世界を照らすものを探し始めることができるのかもしれません。
意志のコントロール不能、思考での理解不能、感覚への不信、運命への恐れ、いろいろな仕掛けが人生にはあります。しかしそれらは私たちに制限ではなく、無限のものへとつながる道を常に教えてくれます。無限であり絶対なもの、すべての道はそこに通じているのです。
そんな道のりのガイドのお仕事をさせていただいています。
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