意識の仕組み。
心には4つの領域がある。
〇を描いて、それを心とする。
こんなふうに、4つの領域に分ける。
①一番外の薄い皮の所が、顕在意識。
②次の果肉みたいな所が潜在意識。
③真ん中に近い芯の所が魂=超意識。
④中心の点が内なる神=宇宙意識。
①顕在意識
私たちが認識している部分。
考え、思考。
潜在意識との対比で1:10とか1:100とか1:100万と表現される1の部分。
こうだとわかっていると私たちが知っていることは、それくらいちっぽけだということ。
②潜在意識
無意識、半無意識の領域。
つまり私たちが実は知っているが無自覚のうちに使われたり、眠ったままになっている記憶。
その成り立ちは、私たちの肉体の五感(五官)の知覚を通して体験され蓄積している記憶のすべて。
ここには一つの個体を超えて集合的に記録された記憶も含まれている。
集合意識や本能ともいえる。
輪廻転生によって持ち越された記憶もこの領域に属する。
顕在意識と対比するとそれは圧倒的に膨大な領域とみられる。
生きるための自然な知恵(本能)や、過去に学ばれた訓練の集積の記憶(才能)も含まれるため、その部分を開拓することに魅力を感じる人も多い。
この領域の発展の目的は、生存、自己保存である。
記憶保存の基準の優位性はその目的に順ずる。
③超意識
魂という言葉は形を持たないため、慣例的に様々な使われ方をしている。
しかし魂の特性を重ね合わせると超意識の領域を指すとみていいだろう。
超意識はキリスト意識とも呼ばれ、神が創造した神の質そのものの部分とも言える。
上記①②を肉体意識というならこの領域は純粋な精神の領域であり、愛の貯蔵庫と言ってもいい。
キリストという言葉にまつわる概念は捉え方がまちまち過ぎるが、それは人間の知覚によるものであり、ここで言う「超意識=キリスト意識」とは根本創造主が創造したものであるから、人間の作った概念を超えている。
私たちの肉体意識の理解が及ばない領域であるがゆえに超意識と呼ばれていると言っていい。
④宇宙意識
創造主そのものとひとつであるという意識。
〇の中の点で表現されているのは、この領域はもはや体積や広さというものを持たないことをあえて表現したいがため。
私たちは、肉体が自分であると認識しており、肉体のどこかに心が付随している感覚で心を認識している。
そう自覚している間は、魂は肉体の数だけ分離していて、神も同様に見なすかまたは、外側のどこかに在ると認識されている。
しかし自己認識が肉体ではなく意識、つまり心であるということを受け入れると、創造された自己は心であり、その創造主と被造物である心とは分離がなくひとつであることがやがて理解される。
また肉体において「他者」と認識されている人々は、心においてはひとつである。
このような「真理」を私たちは深い深いところでは「知って」いる。
だが、私たちの生命活動は通常①と②の領域で行われ、なおかつ認識できているのは①のみである。
①と②を自我の領域
③と④を真我の領域
のように分けることができる。
①と②の間にはそれを隔てる膜があって、潜在意識の領域に降りていくことすら変性意識状態、つまり瞑想が必要である。
更に真我の領域を認識し理解するには、自我意識の解体、浄化が必要である。
自我意識とは自分は肉体であり、自分は自分の力でコントロールし、守らなければならないものだと強固に信じられているからである。
潜在意識の無意識を意識化すること、再認識することによって、この領域は再整理され浄化される。
自分と向き合う、探究することの重要性はここにある。
潜在意識を組み替えたり有用なものを取り出すことではなく、更にその奥の超意識、宇宙意識に到達することを目的とする。
潜在意識の探究は、潜在意識の有用性を引き出すことが目的とされがちであるが、それは自我に更に力を与えることとなる。
それは幻想を真実だと誤解することと等しい。
真我を求め、真我に触れていくと、潜在意識の領域はすべて幻想であることが理解できるようになる。
幻想とは、一時的で変則的、分離した知覚に準拠しているため一貫性がなく、よって確かさがなく価値がなく影響力もなく、よって存在すらしていないといえるものである。
顕在意識はもはや潜在意識を知覚するものではなくなり、真我を知覚するものとなっていく。
これが自我の解体の目的であり、心の訓練の成果である。
感謝とともに