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この世で最もシュールでリアルな夢

こんばんは。 ごく最近、二月になってからのことなんですが 小学校の同級生だった男の子(45)が連絡をくれました。 その子は転校生で、六年生のときだけ一緒のクラス。 中学にあがるとき、隣の世田谷へお引越ししたので 一緒に過ごしたのは本当に一年だけたったのですが このブログにも時々書いている、五・六年の担任の岩ちゃんのクラスでした。 その岩ちゃんが今年でご退任なのでみんなでお祝いしましょうというお知らせ。 その子はインターネットで昔の記憶を頼りに私をみつけてくれたとのこと。 連絡したのは私が一人目で、 他に二人くらい連絡先がわからなくもないけれど とにかくその時点では、彼のアイディアを共有するのは私だけだったのです。 私は人生で何度かパラダイスを経験しているおめでたい人ですが その最初のパラダイス、言わばこの世のパラダイスの原型をおしえてくれたのが 岩ちゃん(岩村繁夫先生・今もご活躍で本も何冊も出されています)と 六年四組の仲間たち、でした。 ここのところ、昨年から今年にかけてでしたが、その時一番の仲良しだった女の子二人と 頻繁に夢で会っていました。 二人とも中学のときに引っ越してしまって それ以来、まったく連絡がとれていませんでした。 大人になるあいだ、自分の過去をどんどん脱ぎ捨てる過程で 私たちはばらばらになりました。 だから夢で会うとき、私たちは十二歳のままでした。 他にも夢に出てくる子たちは何人かいます。 私は永遠のいのちを信じているので(笑)今世で絶対会いたい、という風には ふだんあまり思わないのですが この二人の友達と夢で会った後にいつも 「もうこの子たちとこの人生で会うことはないのかな?」と 純粋に不思議に思うようになっていました。 私という心を作るにあたって とても強く大きく影響を与えてくれた人がこの世に何人かいますが この二人の女の子と夢で再会するにつれ 彼女たちが与えてくれたものの大きさを感じないわけにはいきませんでした。 一人は、まるで生まれながらに優しくたのもしくあったかいお母さんのような女の子。 もう一人は、感性豊かで、圧倒的なカリスマ性を持った女の子です。 カリスマの女の子と私は、コンビを組んで歌手になるために練習を重ねていたのです。 ちゃんとコンビ名まで考えて。 (私たちは二人ともとてもりっぱなソバカスがあったので フレックルズという名前でした。) 私はその友達のどちらのおうちにも泊めてもらっていて そのおうちで初めて 「どこのおうちでもお父さんってこわいわけじゃないんだ。 ご飯のときってお父さんとこうやって笑いながら食べるものなんだ」 ということを初めて体感しました。 今でもその優しい笑顔と会話を忘れられません。 お父さんの一人はお泊りからまもなく亡くなってしまいました。 私はこのころには学校の行事や児童会などの政治、ダンスに歌、お芝居、アナウンスなど なんでも得意で、いつも学校中をかけまわり 「みんなのこと」を考えるのが大好きになっていました。 みんなが楽しいって本当にしあわせなんだ、ということを知っていました。 岩ちゃんはいつも私たちを大人のように一人前に扱ってくれ 自分で考えさせてくれ 等身大で正直になんでも言ってくれる人で そして授業はいつも爆笑と興奮に満ちていて そしてずっこけていて ちからが抜けていて 最高でした。 五年生になって始業式で担任が発表され 岩ちゃんが私たちの並ぶ列の前に立って さて、これから教室に行ってめんどくさい話しが始まるのかと思いきや 「今日はもうこれで解散。明日教室に行ったら適当に座ってろ。 四階の便所の前のくっさい教室だぞ。以上」と言って にやっと笑って行ってしまいました。 私はとたんに人生に魔法が起こったと感じました。 明日からとんでもなく楽しいことが始まる予感でした。 恐らくクラスのみんなが感じたのではないでしょうか。 男の子たちは歓声を上げていたかもしれません。 この二年間は私にとって、本当に宝でした。 振り返ると、ではなく、当時からその事に気づいていました。 こんなことは人生にそうあるものではない贈り物なんだ、と。 このクラスで体験した奇跡は「全員が優しかった」こと。 いつも一人がみんなを、みんなが一人を、気遣っていました。 誰かが元気がないことを、みんなが自分のことのように考えることが習慣でした。 そのような習慣を与えてくれたのが岩ちゃんです。 転校生の男の子が連絡をくれてから 私の記憶はずっと鮮明になってきました。 潜在意識の記憶が十三歳で閉じられるというのは本当だな、と心底思います。 私はクラスの一人を思い出すと、その子の着ていた服の色や形や風合いまで思い出します。 人によっては二セットか三セットくらい思い出せます。 髪の毛の質とか、手とか、爪の形とかも、時間をかければ思い出せそう。 つまりそれくらい、私の中にみんなが生きているのです。 これは決してノスタルジーではなく 彼らは現実の脳細胞のように 今も生きて働いているのです。 そうして時にはなにかに気づかせたり、考えさせたり、笑わせたりします。 元気を出させたり、自分の中の才能や、エゴにも気づかせてくれます。 そう、この記憶がインナーチャイルドそのものなのです。 転校生だった男の子が私に 「いったいこれからどんなことが起こったら、オミ(私)は200%満足すると思う?」 と尋ねました。 私はこの頃はあまり欲を感じないので この質問の答えを一晩考えなくてはなりませんでした。 今の欲望ではなく、恐らくチャイルドである小さいオミの心をたどって。 二人の友達にたどりつくことはもはや現実となっていました。 (そのうちの一人から今朝メールが来ました。カリスマのほうです) 岩ちゃんに感謝を伝えるのは、もはや当然のこと。 でも200%ってなんだろう。 そもそもすべてのことを100%と呼ぶと言うのに。 それで私は「私の中で恐らくそうはならないだろう、となかば受け入れていることで しかしながらそのなかばあきらめつつ受け入れている事実が結果もしそうならなかったら 私の既成概念が大きく崩れ去るだろうと思えること」を見つけました。 「全員みつかること。 たとえ誰かが不幸であっても、会えない状況であっても、 もしすでにこの世を去っていたとしても、仲良くつながれなくても、 それでもいいから、全員がみつかる。」 もしそれが本当に、実際に起こったら、 私は過去の時間と経験に対する観念を大きくくつがえされると思う。 誰かがみつからなくてもそれは自然なことだと思う。 当然なことだと思う。 すべての人がこのクラスを愛しているわけではないし 会いたがっているわけではない。 でも、たった一人の転校生だった男の子のアイディアから もしそうなったとしたら 私は過去のこの時のことを 単なる人生の一ページという風には見られなくなる気がする。 それは、更なる悠久の生命からつむぎ出された奇跡という この世で最も美しい真実だとささやかれているものに 本当に出会ってしまうようことのような気がするのだ。 あまねく背後に常にある神に触れるように。 ひのえうま生まれの我々は総勢三十六名。 私の概念がくつがえるまでに「あと十四名だよ」とメッセージが来た。 新たに出会い始めている仲間たちはみな 「夢見ているみたい」という。 「記憶の中だけでなくて、本当にわたしたちはつながってたんだね」 という言葉をもらったとき この子は私という意識の投影である親愛なる友だと感じた。 私たちはずっと、本当にひとつだったのかもしれない。 同じたまごから生まれて、少しだけそれぞれの旅をして けれどどの旅もみんなが共有している。 すべては夢だ。 私たちが一つだった、という真実だけを除いて。


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