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トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

いよいよ2012年が幕を引きます

みなさん、今年1年お疲れさまでした。明日で2012年という年も幕を引きます。

アセンションの時にふさわしい、すばらしい躍進の年でした。私の言う躍進というのはもちろん、意識の進化のことです。それから、神からの贈り物も数知れずありました。ここへ来てはっきりとわかったのは、新しい次元が確実に幕開けしたのだ、という真実でです。

社会は動いています。世界は日々変わっています。それはひとりひとりの意識によって形作られています。

一見いいことわるいことというものにはあまり意味がありません。ただ、私たちが真実に対して目を開いていくこと、つまり目覚めていくことだけが重要です。

少し個人的なご報告を、自分のメモを兼ねて書きます。

私の個人的な体験としては、家族を通して、過去に愛を隔てていたものの清算がものすごくはっきりした形で示されました。これについては自分でも驚きでした。父、母、弟、妹、という家族の一人一人とのつながりが完全にクリアになっていたことが形としてわかりました。これは人生での最高中の最高のギフトだったと思います。

それから、私の中の私、子供のころの美緒ちゃんを支えてくれた小学校のときの親友たちとの再会がありました。これは紛れもなく、すばらしい統合でした。小学校5年6年生の私というのはまるで、今の私の元祖みたいな存在であり、理想の私でもあります。その子が私の中に帰ってきてくれました。みんなの愛によって、そっと、最高に優しい形で、みんなの手によって磨かれ、帰されたのです。これは奇跡でした。そしてこれがすごいことには、居合わせたみんなも同時に「奇跡だ」と、奇跡を大勢で共有することができたのです。さらにこの奇跡は伝わりました。セッションにいらしてくださる方々が口々に「私もワクワクしました」「自分のことも思い出しました」とおっしゃってくださいました。私の小学校のクラス会での奇跡を皆さんのハートで共有してもらえたのです。すべてが奇跡でした。

それから、これはまた改めてしっかりとご報告とご案内をさせていただきますが、来月下旬にルーアは移転いたします。場所は南城市知念具志堅です。東南の海を臨む一軒家で、東方に神の島久高島があり、せーふぁーうたき、カフェくるくまや八風畑が近くにあります。くるくまから臨む海をもう少し間近に臨む場所になります。(豊崎では1月19日まで営業の予定です。よろしくお願いいたします。)

これはほんの1ヶ月2ヶ月くらい前から、神にリクエストをした結果です。もう少しオープンに人が集える場所、来てくださった方が居心地よく、地と地球、聖母のパワーを受け取っていただける場所、瞑想と祈りにふさわしい場所へと導いてください、と願ってからあっという間でした。もう少しゆっくりでもよかったんだけど、でも、だからといってこれよりいい道は想像がつかない、という状況でした。私たちはいつも、夫婦二人と聖霊とで大切なことを決めて実行します。沖縄へ来るときも二人で考え、聖霊に尋ねながら具体的なことを選んだり決めたりしました。誰にでもできることですが、「神よ、もしこのプランが魂の計画からそれているのであればどうぞ妨げてください」「私は神からの贈り物以外はなにひとつ受け取りません」と祈るというやり方はお勧めです。神の計画は本当はどれを選んでもどこを採っても実現します。でもこう願っておけば、カルマやエゴの思い込み、エゴの欲求によって突き進んでしまうことを回避でき、魂が私たちを導きやすくなります。

セッションを実際に体験してくださった方はお分かりと思いますが、人間が深く信じていること、本当に思っていることというのは普段考えていることと全然違っています。これはある程度体験し捉え方を訓練しないとわからないことです。魂の進路は私たちの思考からは判断できません。例えば私たちがなぜ沖縄に来たのか、というのは、やはり魂の意志だったとしか言いようがありません。来ると決めた時点で予測される利点とか目的とかもありません。イメージがあるだけです。それはもちろん明確ではありません。心の中では導きだけを信頼しています。導きというのはとても現実的に惹きつけられ動かされる感覚です。これまで持っていた概念や合理的な都合の良さを覆し、なお余りある魅力です。ですから、こういう意味かな、とか都合が合うな、タイミングがいいな、とかそういうことだけでは判断できません。困難を困難と思わせず、あたかも自然の理のように納得させるような働き、とでも言えるような感覚です。傍から見ればとんでもないことだったり難儀なことに見えても当人には当然だったり自然だったりすることです。ですが、重要な点は、いやおうなく巻き込まれると言うものではなく、自ら選ぶという点にあると思えます。導きを自ら選ぶ行為が尊いのではないかと思うのです。そうなっちゃったというのではなく自らそれを積極的に選ぶことで初めて信頼は培われます受け入れるべきなのはそれを選び行った、その結果です。結果困難だったり厳しい現実がやってきたとしてもそれを受け入れることがさらに信頼と実績になります。私たちは選び行い続けます。その基準や動機を「愛」や「神の創造」「魂の計画」と自分で決めるかどうかが重要です。いったんそうと決めたら迷わずそうなっているものとみなすことです。

前回、この豊崎に引っ越すときにもこのマンションを購入しました(それができたのもほとんど奇跡でした)が、そのときには誰にも計画を話しませんでした。両親に報告したのはすべてが完了してからだったと思います。しかし段々と私たちのやり方を信頼いただけるようになったこともあり今回は少し前に報告しました。どちらの両親もとても喜んでくれたのですが、「あんたたちって楽しいわね」「楽しみね、うんと楽しまなくちゃね」という言葉を双方の母からいただけたのがメッセージのように心に響きました。私たちはひたすら一歩一歩慎重にこつこつやっているだけなので、それはもちろんなにより幸せなのですが、両親が安心して、楽しむ心で見守ってくれているというのは、子供にとってなんと力になることだろうと思いました。それだけでいろいろなものを卒業できる思いがしました。

最後に、パートナーである風間真吾のすばらしさと輝きは増すばかりで、これは何よりのこの人生への贈り物であり、私の神への問いの応えだと思っています。彼の魂は沖縄という選択を「自己の人間としての成長に最適な場」として選び、日々その恩恵を受け取り感謝しています。それは彼が気づいたように、どこにいてもできることです。ですが、彼が自ら選んだということに意味があります。彼が感じたかった肌触り、感触、温もりや手ごたえをここが与えてくれています(もちろん私もです)。それは恩恵であると同時に自らの創造に責任をとることであり、それこそがスピリチュアルに生きる醍醐味です。すべてに責任をとるということは、自己の中にすべてがあるということに納得いかないことにはできません。そうでないうちは不平不満がわいてきます。多くの人が悪いものとして捉えている「怒り」というのはこの不平不満を怒りで表すことです。あらゆる責任を負うことができる準備ができると不平不満というものはなくなり、あってもそれを信じることができなくなり、浮かんでも消え去ってしまいます。ですからそれを怒りで表すことはできなくなります。代わりに怒りは理解や信頼や愛の表現の道具になります。スピリチュアルな生き方を苦手とする男性性を強く持つ男性が、スピリチュアルに生き、また積極的に変わることを受け入れる姿勢とその変化を間近に見ることのできる私はすばらしい体験を与えられています。

スピリチュアルを魔術だと思わないでください。それは、人間という生きた神秘を探求し、実際に主権を持って生きる生き方のことです。自分に愛を与える、愛する許可を与える、など翻訳された日本語にごまかされないでください。それは、見えざるもっとも崇高なものを求め、そうあるべく生きるよう決めることです。それは人間のあらゆる美点、叡智と賢さ、優しさと思いやり、勇気、想像力、感受性、共感能力、受容性、積極性などを求められる生き方であり、またそれらを個のものとして所有するのではなく、共有し分かち合う生き方です。だから、全部自分が持ってなくても、分けてもらえばいいのです。すべての持ち主は神ですから。

多くの方が貴重なお時間を割いて、この文字の多い記事をお読みくださり心に留めてくださることに感謝します。

私たちのひとりひとりのすべてが愛に満たされ愛を分かち合う世界を心から願い、2012年の幕引きに捧げます。 どうぞ祝福とともに新年をお迎えください。


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