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トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

喜びによって生きる

みなさんは、ご自身の内側に神をみつけたいでしょうか?本当は誰もがみつけたいのだと私は思いますがいかがでしょう。

 

自分を振り返ると、その苦闘の時間の多くは「自分がなにを求めているかわかっていなかった」時間です。或いは明らかに求めていると信じていたものが実は「幻の幸せであった」時間です。

私はどんな時も全力で走っていたように思うのですが、私のように全力ではない人のほうが幸せそうにいつも見えました。私は自分に大きな欠如があるといつも感じていました。そしてまっさきにそれを埋めなければ「普通に生きられない」ことにいつも苦しんでいました。

なぜ多くの人が静かに通り過ぎるだけで済むことにいちいち躓くのかがどうしてもわかりませんでした。

ですから私は、普通に生きていて与えられているかに見える幸せの権利のようなものをみつけなければならないといつも思っていたのです。

今書いたことは正解ではありませんでした。でも感じていたことに不正解はありません。ただ認識と理解に誤解や不十分さがあっただけです。

究極的に私は今も、私の細部にわたってまで理解する旅をしています。その旅は人生をかけてするに値すると今では思っています。なぜならそれは私だけの満足にとどまらず、多くの人の人生の謎を解くことに役立つからです。

そして更に、そのことは人類全体にとっての存在意義に関わってきます。

 

生きていると他者との関わりで問題が生じます。その根っこを辿っていくと、自分の心にあいている穴をみつけるに至ります。その穴をあけてしまった原因を辿ると、最初にその亀裂を作った体験をみつけます。それをみつけると、それ以降同じパターンを繰り返していた自分のシステムを発見します。その不必要性に気づけたときその穴は埋まります。

穴をふさいだから万全に生きられるかというとそうはいかないことに気づきます。多くの人はここで、他にも穴があいているのでは、と気になります。

次から次へと穴を探し回ります。自分がポンコツなのではないか、という最初の疑念に戻ります。結局は繰り返しているだけか、と落胆します。

 

このあたりで、自分のシステムを更に拡大した視点から観る必要があります。

潜在意識と顕在意識はどちらも自己意識の領域です。合わせてエゴ(自我)なのです。

自我のやり方はここまでが限界なのです。

ループとは言え、人生が回るようになればなんとかバランスしながら課題を少しずつクリアし、それで今世を全うするというやり方でもそれはそれで成功と言えるかもしれません。

しかしそれでは回らない人生もあります。私は回らなかったほうです。要は意識をクリアにすればするほど心の純度が増して、結果生きづらさも増大するパターンです。自分の居場所がますます狭まっていく感覚です。

この感覚が分かる方は、早急に内なる神をみつけなければならないと魂に求められている人です。と、私は理解しています。

 

今日本では人生の早いうちにこの世を去る選択をしてしまう人がとても多い状況です。無理もないのです。例えばおとなが「いじめられたら逃げなさい」とか「学校に行かなくてもいい」「やめてしまえばいい」と言ったとしても、彼らの生きづらさ、恐れを解決することにはなりません。

なぜならそれでは、自分の居場所、つまり生きるべき場所がみつかるわけではないからです。昔はみんなが居場所を作るというゲームを楽しみました。狩りすることで生きてきた生き物としての本能が優位で環境もそれに準じていました。力のあるものが優位でした。

環境は著しく変わりました。

力を使うことはすなわち考えることとなりました。

考えれば考えるほど、この先良いことがあると思えない。生まれた瞬間からもう先が見えている。それに興味や希望が持てない。

結婚したほうが有利か、不利か。子供を持つことは有利か否か。

一生で稼げるお金はだいたい決まってる。どう計算しても安心や豊かさは見込めない。自分を洗脳してでもレールに乗っていたい。でもそれが幸せとは思えない。

そうなって当然の状況に置かれているのが今です。

 

しかしそれらはすべて、真実ではありません。それは人間の自己意識の持論によって展開されている自我の罠なのです。

子供をその地獄から救うには、おとなが自分のはまっている罠に気づく必要が少なくともあります。

 

私たちは、無限の可能性を持ちます。変化することが本質です。そしてその本質には中核があり、中核とは回転の中心であり、それはなにがどうなろうと永遠に変化しません。その中核が神そのものです。

私たちはその、永遠に変わらない神を核に、中心にして回る生命です。

その中心から切り離されたと感じる罠にはまった時、孤独になり恐れに見舞われ、方向を誤ります。神という核の周りをその遠心力に乗って回っている時、自由で創造的でパワーを持ち、源とともにある平安と信頼があるのです。それが本来の居場所です。存在意義です。生きてるだけでいい、という人生です。

中心である永遠で無限の愛と創造の源につながってこの回転の波に乗って生きること。そこに描かれる様々な波形を楽しむことができるように、神はすべての中心となってその求心力を保ち続けています。

時に回転のスピードが変わり、時には周囲の存在と摩擦が起こります。でもそれぞれが中心の神から手を放さずにしがみついていればやがて、それぞれの動きとの調和が訪れ、すべてはなるべくしてなり、あるべき姿であるのだということがわかるでしょう。

 

神とは常に新鮮な喜びです。苦しみの究極の原因は、この喜びの欠如です。あらゆる心の穴を埋めても最終的にそれをみつけなければ恒久的な幸せはありません。

魂と自己意識が違うほうを向いていれば、私たちの内側に不調和が起こりなにかしらの警笛が鳴ります。魂の向かうほうとはただひとつ、神と一つになる方角です。

 

感謝とともに

AZU拝


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