何かを成そうとするなら、まずなにかしらのセオリーを用いるのは普通のことだと思う。でもセオリーに従ったからと言って成功するとは限らない。
探究というのはそこから始まるように思う。
ダイエットをしてみる。カロリーを計算する。計算通り食べようとする。しかし計算通り進まない。計算上に現れない、自分の知らないなにかがそこに隠れているのだ。
かくして探究は始まり、人間の探究をすればいずれは潜在意識にたどり着く。30年前はそこまでに結構な時間を要したけれど今ならあっという間だ。
子供が不登校。いじめられている。いじめている。仕事で成功したい。お金がほしい。恋愛がうまくいかない。結婚できない。人間関係が苦痛。
潜在意識が関係しているというよりは、潜在意識はこの世のすべての事象の元になっている。宇宙ムービーのフィルムが潜在意識なのはもう、間違いない。
良いことをするにはただ良いことを選んでやればいいし、悪いことをなくすには悪いことをしなければいい。ただそれだけなのに、この世はそうはいかない。
その理由を、人は漠然と誰か他者の、或いは外側の状態のせいだと考える。
そして他人を変えることはできないから、自分が変わればいい、というあたりまでは常識になりつつあるのかもしれない。
潜在意識への取り組みというのはある意味セオリーに組み込まれているかもしれない。特に経営者とか、自営業とか、起業する人にとって。或いは選手や表現者やトップランナーにとって。
子育て待ったなしのお母さんたちも、インナーチャイルドについて触れたことがない人の方が少ないのかもしれない。(沖縄にいたときはそう感じていました。)
更に、潜在意識の癒しとか浄化に疲れちゃったという声もよく伺う。要は同じテーマが繰り返されたり、進んでいる実感がなかったり、ゴールが明確ではないときにそうなる。
それで、私はもう癒しはいらなくなった、もう卒業した、と決めて別の解決を選ぶなどの舵を切る方もおられる。
でも、真の仕組みに基づいて取り組むなら、潜在意識へのアプローチは確実に変化をもたらすし、逆にそれ以外のことは一時的なもの、気休め程度だと言えると思う。
最近見かけるのは、潜在意識はもう古い。これからは超意識を使おう、というやつだ。
世の中で取りざたされて一番残念なのは、あれこれ間違った情報が検証されないまま偽物だった、価値がなかった、と烙印を押されてしまうことだ。
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超意識って利用するものではありません。利用するって、誰が主体なんでしょう。
超意識は主体なんです。つまり本当の、真の自己のことであり、あなたそのものであり私なんです。
潜在意識は単に過去の、いわば記憶の集合体です。
その中に使えるものもあるし、もう用が済んだものもあります。
潜在意識とは作り出すものではなく、用が済んだものをお掃除するべき箇所です。
潜在意識を見る意味は、用が済んでいるのに気づかずにしまい込んでいるものを見つけるためです。
掘り起こしてみたらお宝がみつかって、掘れば掘るだけ宝の山が見つかるんじゃないか、と思えることがあります。確かにワクワクするんです。でもそれは目的ではないし、探求すべきなにかでもないんです。
私たちの目的は、真の自己を真の自己だと再認識することなんです。
超意識とは言ってみれば私たちが愛ってこんな、神とはこんな、と捉えているものに似ています。
でも、私たちが捉えているどんな愛よりも神よりも完璧で全一で公平です。
それは地上の不完全さや矛盾や分離に慣れ切った私たちからは到底想像できません。
でも、私たちには神の子だった記憶がそれぞれのうちにあり、その記憶とは、ひとつで完全だったという記憶です。ですからそれを思い出せばいいのです。
思い出す道のりの近道のために、神は私たちに奇跡という選択を与えました。先人たちは瞑想というツールを残してくれました。
私たちには神の想念の音波や電磁場の痕跡が残され、求める人にはアクセスが赦されています。
それは私たちに2000年を節約させてくれる、とあります。
私は本当にそうだろうと実感しています。
潜在意識を探究し始める入り口はほぼ100%、この世における成功が目的でしょう。しかし潜在意識の浄化が始まり癒されるなら、私たちの目的そのものが変容します。それは間違いなく起こるでしょう。私たちは癒されないなら恐れが目的です。癒されて初めて、愛は初めから今までここにあったとわかります。そして目的はそれしかなかったとわかります。
恐れが癒され、愛の国が戻ってきますように。
感謝とともに
AZU拝
癒しのお手伝いをしています。
