鬼は外。福は内。
ノンデュアリティ=一元論では外、つまり鬼は実在しないという。
どう見ればそれが自分にとって本当のことになるだろう。
それを本物にするのが私たちの使命だ。
でもそれはひとりでするのではない。
実は既にみんなでやっている。
使命を忘れたり別のなにかに夢中になっていたとしても、いずれは誰もが思い出すことになっているし、仲間の誰かが遂行すれば、忘れている友人は無意識でもそれに協力するようになっている。
これが別の見かただ。
そして、すべての仲間たちには、完全に万能な道具も与えられている。
それが赦しだ。
みんなが赦しこそが唯一の武器だということを自覚すれば、このゲームは終わる。
すべての人が勝者になるのだ。
すべての人が勝者になるゲームは一元性にしかあり得ない。
そのゲームのルールは赦すこと抜きには機能しない。
奇跡講座の概要を理解し真理を選んでいるつもりでも、赦しが目的となっていないうちは依然として自我が台頭している。
私という個があり個が個の目的に真理を活用できるという発想がある限り、目的は簡単にすり替わる。
私に目的はない。私は目的のための手段である。
そのことを受け入れた時、自我は消え、神の創った子が自分であるという認識がやってくる。
他者と世の中のすべては私が私自身を赦すための機会を与えている。
そして赦しの向こうにある完全性が実在することを私に教えている。
自我が究極的に赦したくないものは「私はいない」という真実だろうと思う。
それ故に神の実在を恐れている。
本当の自分自身を。
※どのメニューを選んでいいかわからないという方は、トータルカウンセリングをお選びください。どのようなご相談でも、テーマがわからないというご相談でも、対応できます。