わたしたちの心は、見たいものを見たいように見て、見たままを認識します。
これが潜在意識の仕組みです。
見たいと願っているわけではなく、ただ無意識に反応して、それを真実だと信じてしまうという仕組みです。
赤いレンズの眼鏡をして世界を見たら、世界は赤っぽいですよね。
するとその人にとって、世界とは赤いもの、という認識になります。
そして緑のレンズの人と同じものを見てそれについて語りますが、どうも話が噛み合いません。
まるで別々の世界で暮らしているみたいです。
物心ついた時にはすでにレンズが着いていたから、どんなにクリアに観たって考えたって、世界は赤色なのです。
この仕組みを知らないうちは、なぜ分かり合えないかが分かりません。
「信じられない!」「なんでわからないの?」「わたしはわかってるのに!」
それが世界です。
自分の内面と向き合って、自己意識の癒しや浄化をするようになると、その謎が解けていきます。
レンズの色が薄く透明になっていきます。
自分がいかに世界を誤解してきたかが見えてきます。
なぜ緑のレンズの人と分かり合えなかったのかも、その人がなにを見て、どう感じていたのかも。
つまり自分がすべてを誤解してきたように、すべての人が世界を誤解しているのです。
そのことがわかると、心に寛容が生まれます。
寛容さとは愛に不可欠な要素です。
受け入れるにもゆるすにも、寛容という余白が必要です。
寛容であるかのようにふるまおうとして、苦痛を味わうことはありませんか?
そしてそのことで自分にがっかりしたり卑下したり悲観したことは?
自分を責めたり、或いは蓋をして鎧を着て本当の自分を封印したことは?
自分の中に寛容という余白がないのは、自分に愛がないから、愛に値しない人間だからだと思っていませんか?
そうではありません。
それは、潜在意識の中に情報がありすぎるためです。
知識がつまっているからです。
敏感な人が余計に自分について悩むのはその仕組みのためです。
自己意識のおそうじは、瞑想することにつきます。
でも自己流で、方法論だけで、漠然と瞑想すると、それは遠まわりになります。
瞑想に師が必要と言われてきたのはそのためだろうと思います。
仕組みを理解し、信頼すること。
会ってお話すると、多くの方が「わかりやすい」「腑に落ちた」と言ってくださいます。
癒しとは、本質への回帰です。
本当の自分に戻り、しあわせの道を歩む。まさにそれです。