みなさん、こんにちは。
気がつけば前回投稿から1か月以上が過ぎています。
その間に、この世界では世界中を激震させるような事件が起こり、多くの人の心を揺さぶっていることと思います。
なぜ人と人は、対立し、戦うのでしょうか。
それは、この世界が対立によって存在している世界だからなのでしょう。
この世の最も美しいものから醜いものまで、すべては対立によって成り立っています。
そして対立するもののすべては、なんらかの形を持っています。
形あるものはいつかは失われます。
同時に形は存続することを目的としています。
この世界においては、肉体の命が最大の目的です。
私たちが肉体の命を最大の目的としている限り、世界は対立によって生み出され、そして失われていきます。
一方で私たちは、永遠のものを観る力を持ちます。
その力だけが、神が私たちに与えた唯一で絶対ものです。
私たちがその唯一で絶対のものを思い出し、それこそが自分の真のアイデンティティであり、それを自己の最大の目的であると認識した時、すべての対立、戦いは意味を失うことでしょう。
しかしながら私たち人間は、これだけのことを思い出して自認し、そのことの優先順位を1番に上げ、その他を退けるのに苦戦します。
生き物の本性がそれを許さないからです。
そして生き物の本性は、かくも甘美な魅力に溢れ、時にこの世で最も意味と価値があるかのように見せかけてくるのです。
またどのような状況においても、自分だけではないなにかという目的のために心を一つにすることには、愛の片鱗とも言える要素が含まれています。
しかしながら、愛の片鱗を見出すために、その状況が必要なわけではない、というのが真実です。
私たちはいつも、状況と結果を関連付けて理解しようとします。
しかし、神と愛、真理はいつも、ただ無条件にそこにあり、なににおいても変質しないものです。
奇跡のコースにあるように、私たちはいつもレベルを混同していて、それが私たちが抱える問題の根源となっています。
神がこの世界を創らなかった、ということを受け入れるなら、私たちは罪と罰という因果律から初めて自由になることが可能です。
逆に、神がこの世を創った、と、例え無意識的にでも受け入れている間は、私たちは常に混乱という罰を天から受け続けていることになります。
その不条理さへの復讐心が、分離を存続させ続けています。
神は、すべてを公平に、平等に、愛している。そしてそれが永遠にその通りである。
私たちがそのことを理解し、受け入れ、そうと思えない自我の不満を赦し癒されていくことだけが、平和への道だと確信します。
ここでひとつお知らせをさせてください。
私ども家族と、トータルヒーリングスペースRUACHは、今年6月をもちまして長野県に移転することになりました。
沖縄での店舗の営業は5月22日までとさせていただきます。
長い間、沖縄のみなさまのお世話になり、多くを分かち合い、育てていただいたご恩を胸に、もうひとつ冒険と前進の旅へ進ませていただく所存です。
2009年1月以来、13年と半年、本当にありがとうございます。
沖縄のみなさまとは距離は遠くなりますが、これまで通り神の道具として全力で働かせていただきたいと願っています。
新天地もすばらしい場所へ導かれたと感じております。
オンラインで、また現地でお会いできますこと、神へのリクエストとして届けておきます。どうか今後とも、よろしくお願い申し上げます。
感謝とともに
AZU拝