みなさん、こんにちは。
いよいよ、沖縄を出発する日が近づいてきました。
沖縄で暮らしたのは13年半。
少し前には思いもよらなかった感覚が溢れてきます。
来たばかりのことが、本当につい最近のように鮮やかに蘇り、すべては一瞬のようにも感じられます。
時間は存在しない、ただ、記憶があるだけ、ということが身に沁みます。
結婚して2年足らずでこちらへ移ったので、結婚生活のほとんどは沖縄での暮らしです。
書きたいことはいくらでもあるのに、結局のところ、感謝しか残っていない、というのが本当の本当のところです。
夫とも、この会話を何度も繰り返しています。
沖縄へ来ることができ、沖縄で暮らせたこと、そのすべてが私たちにとって奇跡です。
毎日が奇跡でした。奇跡だね、と言い続けながら暮らしました。
沖縄へ来ると決めた時から、すべては神託でした。
何人かの方にはお話したことがありますが、沖縄に来ることを二人で決めて、その後は「もし間違っていたら止めてください」と神に祈っていました。
今少しだけ訂正させていただくなら、神は止めません。
ただ、私たちの行くところすべてに、共に行くのが神です。
私たちの訓練は、そのことを受け入れること、信頼すること、それを喜ぶことです。
「止められる感じがする」体験を多くの人がするのではないでしょうか。
その時見直すべきは、私たちの内側の恐れです。
その恐れにまつわる記憶だけが、私たちを停滞させるのです。
うまくいく時、私たちは見直しません。
感謝もあまりしません。
それが普通であり当然の努力の結果のように受け取ります。
けれど本当は、当然のことなどなにもありません。
より大きな、誰もがそれとわかるようなものを人々が求める最中で、針の穴を抜けてやってくるような神の御手とその愛に全霊で応えることができるのか、それがこの世における奇跡の道のように思います。
幸い、チームを組んで間もなかった私たち夫婦はまったく停滞感を味わうことなく沖縄に着地できました。
けれど、極めて大雑把ななんとなくの見当で立てた計画はほとんど外れていました。
そうでなく、もっと本当の、深いところにある望みがことごとく実現されていきました。
例えば、夫はご高齢の方、歩行困難な方のための保険を使った鍼灸の訪問治療をさせていただいてきましたが、そういう制度があることさえ知らずにこちらに来ました。
仕事の準備をしていてたまたま私がネットで見つけたのです。
そしてこのお仕事は夫にとって、過ぎてみるとまるで、沖縄での最も重要な使命だったようにさえ見えます。
夫が沖縄に来ようと決意したきっかけについては前にも書きましたが、本土の終戦記念日のテレビの特番で座間味の集団自決について語るおばあを観た瞬間でした。
それからこちらに来て間もない頃、ぎーざばんた(糸満の断崖絶壁の海)へドライブする途中、さとうきび畑で作業する痩せて小柄なおばあに道を尋ねた時、
「この道を、まあーーっすぐ、まあーーすぐ。曲がらないで、まあーーっすぐ。」
と、手振りをつけて教えてくれたのを、心の底から絞り出すみたいに夫が
「かぁわいいなあ!」
と言ったのを見た時のことを忘れません。
この時、ああこの仕事に夫は導かれたんだと感じたのです。
啓示のように、はっきりと。
それから後は、私のセッションのお客さまも一度も途絶えることなく来ていただけました。
「最初は内地の人を家の中に入れるのはちょっと(いやだ、困る)」と思ったけど、と、後から教えてくれる方がいました。
それが自然な感覚なのであれば、そこには成り立ちがあります。
私たちが学ぶべきはその成り立ちに対する理解です。
違いという隔たりを恐れず、厭わず、心開いて近づくことさえできれば、その幻はなにも悪させずにいてくれます。
そしてその向こうにはただ、同じ、一つの、心があるだけだということを、ひたすらに体験させてもらいました。
私のセッションにいらしてくださった方がたへの感謝と敬意は、これはもう、私にとっては神の至福に相当するものです。
人と触れ合うと言いますが、心に直接触れさせていただけることは、この世においてどう考えても奇跡以上のものです。
たった一度のセッションをずっと大事に思ってくださった方、何度もチャンスを与えてくださった方、ご家族ぐるみで取り組んでくださった方、本土からわざわざいらしてくださった方、人生の大切なイベントに関わらせてくださった方、本当に本当に、これ以上の幸せはありません。
改めて、感謝を伝えさせてください。
この先、私にはこれ以上のなにも必要とは思えませんが、この体験、この思いが真実であることは証しし続けたいと願っています。
どうかそのために、私をお使いください。
みなさんとともに幸せがありますように。
永遠のものが、永遠で在り続けることに感謝します。
感謝とともに
AZU拝