ここらではおうちの庭にたくさん見られます。
ちょっと車で走るとお花見できます。
窓からいい香りが漂ってきます。
諏訪湖の自転車道の工事が終わり、いましがたおさんぽしてきました。
数本の桜のつぼみが梅仁丹のような色でまんまるく膨らんでいました。
春はこれからです。
おかあさん(犬)もはりきって歩きました。
一昨日はみなさんに瞑想会のご出席のお願いを呼びかけましたが、お応えいただき、気にかけていただき、本当にありがとうございます。
もしご検討の余地がございましたらお席には余裕がございます。
今日20時までお待ちしています。
瞑想があらゆる面ですばらしく良いということは、昨今の動画など見ていると医学的、科学的なデータでも示されるようになっています。
本当にその通りだと思うのですが、肝心の瞑想そのものについてはまだまだベールに包まれている気がします。
なぜなのかといえば、それは私たちの存在の根幹にかかわることだからではないかと私は思います。
瞑想をするということはその根幹に触れることです。
大切なことは方法論ではどうにもなりません。
心における目的が重要です。
私たちの内に大きく横たわる真の自己は、私たちが心を静め、平安を求めてそこに降り立つのを待っています。
そこに降り立つ時、それ以外の目的をいくら掲げても、真実に出会わないわけにはいかないのです。
そして出会ってしまえば、真の自己は私たちに必要なすべてを教え、与え、導いてくれます。
付き合えば付き合うほど、求めれば求めるほど、本当にそうなのです。
最初は自分の求めたものと違って見えたり、与えられていないと不安になったりするかもしれません。(私はそうでした)
でもそうやって自分のやり方を手放さないことは結局、ただ平安に行き着くことを遅らせるだけだったと今ではよくわかります。
私が知っているすべてより、私のことをよく知っているのが真の自己です。
その声は、私が勝手に想像する声とは違っていました。
そのやり方は、自分が正しいと思うものとは違っていました。
でも、それが完璧でした。
この真実を分かち合い、喜びながら進んでいきたいです。
ご参加くださるみなさん、明日どうぞよろしくお願いします。
感謝とともに
AZU拝